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控室に戻ると、宇都宮さんは身なりを整えてプレゼンに向かう準備をしていた。
原稿と貴重品を手に、スタジオまで案内される。
「千歳ちゃん、この部屋でスタッフの指示に従ってくれ」
「えぇ」
「千歳ちゃん、がんばってね!」
「ありがとう、頑張るわね」
光莉ちゃんの可愛らしい声援に返事をして、スタジオの扉を開けた。
ずいぶんと広い部屋だ。待機している人もいるし、小声で指示を飛ばし合うスタッフも見受けられる。足音をマイクに入れてしまわないようにだろうか、床にはカーペットが敷かれていた。
奥の方に白線に囲まれたスペースがあって、その中で椅子に座り、イヤホンから届くプレゼン者の声に合わせて原稿を読むらしい。
「宇都宮さんが雇われた通訳の方ですか?」
スタッフの一人に小声で話しかけられ、それに頷く。
ちょうど次だったので、マイクの使い方などを教わって、前の人が終わるのを待った。
――と、視界の端に赤茶色の髪が見えた。大人だらけのこの部屋で、一際目立つ少女が一人。随分顔色が悪いようだけれど、大丈夫だろうか。まさか、ベルモットたちとすれ違ったとか。
考えても仕方がない。ひとまずは自分の仕事だと取りかかることにした。
丁寧に打ち合わせをしていたし、宇都宮さんに頼まれての通訳はこれまでしてきた仕事の中でもトップを争うほど多いので、プレゼンは何のミスもなく終わった。
それでも安堵はするもので、切ったマイクの前でふぅと息をついて肩の力を抜く。
椅子から立ち上がって白線の外に出ると、灰原哀ちゃんが入れ替わりで入っていった。
小さな体でよじ登るように椅子に座り、赤い蝶ネクタイを弄る。
"あー"と小さく発声テストをしたようだけれど、少女の声以外は聴こえてこなかった。
肉声しか拾えないとか、そんなバカな耳になっているわけがない。
不思議に思っていると、その疑問を解決してくれる言葉が少女の口から発せられた。
「うそ、こんな時に故障……?」
カチカチとダイヤルを弄り、何度テストをしても設定した声が出ないらしい。
阿笠博士のプレゼンの時間はすぐそこまで迫っていて、組織に存在を知られることを危惧してか、少女は怯えた様子でマイクに向き直っている。これはやっぱり、展示会場で近づいてしまった可能性が高い。
組織の"気配"を感じて、怯えているのか。
周囲の大人たちは様子のおかしい哀ちゃんを遠巻きに見ていて、そうやって注目を浴びてしまった状況にも動揺している様子だ。
……仕方ない。
カーペットが足音を立てないでくれるのをいいことに、後ろから近づいて少女が持つ原稿をそっと奪い取った。つけているイヤホンの片方も外して自分の耳につける。まだ司会のアナウンスみたいだ……よし、間に合いそう。
驚いた表情でこちらを見上げる哀ちゃんには立てた人差し指を唇に当てることで"静かに"と伝えてマイクに顔を近づけ、イヤホンから届く博士の声に合わせて原稿に書かれたタイトルを読み上げた。
原稿を走り読みし、ざっと構成を掴む。理解できない単語はない、発音できそうにない単語もない。
椅子を譲ってくれた哀ちゃんの頭を撫でて、音を立てないように椅子に座った。
打ち合わせはないけれど、博士の喋り方は時々見ていたアニメで知っているので、テンポは掴みやすい。
宇都宮さんほど息を合わせることはできなかったけれど、それなりの出来で読み終えて、マイクを切ってから再び安堵の溜め息をついた。
わたし以上に深い溜め息をつく少女の背に手を添えて、白線に囲まれたスペースから出る。
ドアに近い場所に移動すると、袖を遠慮がちに引かれた。
少女はこちらを見上げていて、顔色は悪いながらも気丈に振る舞おうとしている様子が窺える。
「あの……、ありがとう……」
あまり心配してみせるのも良くないだろう。
初対面の相手に、そこまで腹を見せる謂れもない。
「どういたしまして。何か壊れちゃった?」
「いくら英語を話せても子どもの声だと変だからって、博士の発明品の変声器を持ってきたんだけど……壊れてしまっていて」
「そう、大変だったわね。一人で心細かったでしょう。良かったら阿笠さんのところまで送るわ」
このまま一人で送り出して、ベルモットと鉢合わせやしないかが心配だ。
だったら、お互い知らないフリで避けることのできるバーボンに、わたしの存在と一緒に哀ちゃんを避けてもらうしかないだろう。
「……お願いするわ」
やはり一人で行動するのは心細かったのか、哀ちゃんは素直に頷いてくれた。
軍事転用できそうな技術を探しに来たほどなのだし、関係者エリアに入ってくる可能性もないとはいえない。
会えばバーボンが避けてくれるだろうけれど、できればそもそも鉢合わせないようにしないとと思いながら、少女の手を引いてスタジオを出た。
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