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 仕事をしていれば日が過ぎるのもあっという間だ。翻訳の合間に風見にUSBメモリを渡し、宇都宮さんと何度か打ち合わせをして、原稿の読み合わせもした。
 準備万端の状態で宇都宮さんが参加する技術発表会当日になり、杯戸町にあるレセプションホールにやってきた。
 展示もあるためか一般参加者も多く、既に会場は賑わっている。
 関係者用の入り口を探すために辺りを見回していたら、くい、と手を引かれた。

「千歳ちゃん、おはよう!」

 振り向くと手を引いていたのは光莉ちゃんだとわかり、満面の笑顔での挨拶に、こちらも笑い返して挨拶をする。

「おはよう、光莉ちゃん。パパとママは?」
「パパはもうお仕事! ママとお散歩してたら千歳ちゃんが見えたから、呼びに来たの。入り口わかる? 案内するよ?」
「ありがとう、案内してくれると助かるわ」

 こっちこっちと手を引かれて、宇都宮さんの妻――ナディアさん――と合流する。

「おはようございます、千歳さん」
「ナディアさん、おはようございます」
「今日は主人と光莉のこと、よろしくお願いしますね」
「えぇ、責任をもってお預かりします」

 穏やかな笑顔は、見ていてとても癒される。
 先導してくれる光莉ちゃんに手を引かれながら、関係者用の入り口で入場許可証を受け取って建物の中に入った。

「まったく、勘弁しろよな。声だけだって危ねーんだからよ」

 ロビーを抜ける途中で突然聞こえてきた覚えのありすぎる声に、ついそちらに視線を向けてしまった。
 視線の先にいたのは恰幅の良い男性と、光莉ちゃんより年下に見える眼鏡をかけた少年と赤茶色の髪の少女だ。

「スマンスマン! 哀君の言葉につい甘えてしまってのぉ」
「とにかく、灰原には変声器貸すから、それで凌いでくれ」
「その方が安心ね。借りるわね、江戸川君」

 少女に対する"哀君"、"灰原"、"声だけでも危ない"という言葉。それから、少年を呼ぶ"江戸川君"という声。
 まさか、こんなところで出会ってしまうだなんて。
 動揺は決して表に出さず、彼らがいたスペースの横を通り抜ける。
 入場許可証と一緒に受け取ったパンフレットの裏面を見ると、プレゼンの順番が書かれていた。
 宇都宮さんの次に、"阿笠博士"という名前があった。聴こえてきた話からすると、プレゼンに必要な通訳者を見つけることができず、かといって主催者側が用意する通訳料は高いから、英語を話すことができる灰原哀ちゃんに任せようとしていた、といったところだろうか。それを知った江戸川コナンくんが、おそらくは"声だけでも組織の人間に聞かれたら"危ないから、変声器を貸してごまかすことにした、と。こんなところだろうか。
 考える間に宇都宮さんの控室に着いていて、朝の挨拶をして簡単に打ち合わせをする。出番の二十分前にここにいればあとは自由にしていいみたいだったので、光莉ちゃんと展示を見て回ることになった。
 宇都宮さんが参加するものということで、展示会場には最新技術を用いた家電や玩具が並べられていた。
 "パパの会社のだ"とはしゃぐ光莉ちゃんを邪魔にならないところに立って見ていると、左隣に人が立つ。

「そのまま聞いてください」

 囁き声は安室さんのもので、指示通りに何も反応せず、続く声を待つ。

「今日は会っても知らないフリをしてください。ベルモットがいるので」

 あぁ、確かに少しでも繋がりがあると思われたくない。
 光莉ちゃんに手を振られて、それに小さく振り返すと、また囁き声が耳に届いた。

「理解したら左足から歩いて」

 指示通り、左足から踏み出して光莉ちゃんがいるブースに近寄った。
 光莉ちゃんのはしゃぐ声に相槌を打っていると、背後からベルモットの声が聞こえてきた。

「ハァイ、バーボン」
「どうも」
「面白いものはあるかしらね」
「さぁ、どうでしょう。見る人によっては軍事転用できる技術もあるんじゃないですか」
「だといいけど」

 最新技術が集まるイベントだから、軍事転用できるものはないかと見に来たわけか。
 それだけなら、諜報員として動くことの多いベルモットとバーボンが来ているのも頷ける。
 来場者には外国人も多いから、うまく溶け込めるはずだ。
 今が原作のどのあたりなのかはわからない。接触することはないだろうけれど、やはり心配なものは心配だ。わたしたちのことはもちろん、江戸川コナンくんたちも。
 一度は見捨てた、それなら"今度は見捨てなければいい"と、降谷さんが言ってくれた。
 それができる勇気は、まだ持てそうにない。
 罪悪感にじくじくと痛む胸を無視して、光莉ちゃんに手を引かれて控室に戻った。

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