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 真剣な面持ちで聞いてくれる降谷さんに、ここ数ヶ月の間に仕事で鍛えられた耳で拾った会話と、そこから連想して調べたことを、詳細に伝えた。
 暗殺計画を立てた犯人グループにとって運が悪かったのは、言葉のわかるわたしが居合わせてしまったこと。
 そこにいる人間にはわからないだろうと高を括って普通に話していたから、多くの情報を得られたのだ。
 スマホでメモをしておいて、帰宅してから改めて打ち出したもの。件の企業と、その事業活動。後継者候補となっている二人の、それぞれの意見。プリントアウトした資料を降谷さんに渡した。
 降谷さんは顎に手を触れさせて、少し考え込む。

「筋は通っているし、その線で警戒させた方がよさそうだな」
「……素人考えだと思うけど」
「まぁな、先入観を持つのは確かに良くない。だから別の可能性も含めて調べるさ。十日もあれば十分だ。この書類、預かっても?」
「もちろん。使わなくなったら処分して」
「あぁ、そうさせてもらう」

 降谷さんは封筒を二つ、持ち帰ることになった。
 早速調べるというので、玄関まで見送る。

「計画の実行日の後の最初の休みはいつにするんだ?」
「月曜日は、朝十時の定時のメールチェックをして、あとは家でのんびりする予定」
「じゃあ、その日の午後一時にまた来る。それまでは万が一のために白河か風見が警護に来るかもしれないが、そのときは邪険にしないでやってくれ」

 あの時は、警察かどうかわからないという"設定"だったからそうしただけだ。

「もうしないわ。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」

 一言安室さんの言葉を残して、扉が閉められ鍵がかかった。


********************


 あれから二週間が過ぎた。
 ここ数日は、仕事で外に出れば風見や白河さんを見かけ、時には友人や大学のサークルのOGと後輩という設定で、話しかけてきた。
 話題はあちらから持ってきてくれるし、設定も無理のないものだ。
 風見とはその数日間の数回の接触で、気さくに話せるようになった。白河さんも、わたしのことを"穂純ちゃん"と呼んで設定をいいように使いお茶に誘ってくれた。
 降谷さんのように直接信じざるを得ないと思うような情報を口にしたわけでもないのに、もう疑問にも思っていなさそうだ。むしろ他の人の前で言わない方がいいことや、所作を気にして指摘してくれるほどだ。
 特に、嘘は自然に吐けるようになった方がいいと言われた。探ってくる相手には、いっそ嘘つきだと認識されてしまった方がいい。それが、降谷さんと同じく潜入捜査官として街中を闊歩する白河さんの考えだった。誰に経歴のことで疑われるかはわからないから、素直に教えてもらうことに従った。
 気が緩んで口を滑らせたとしても、彼らを相手にもう隠しておきたいこともない。彼らといる間だけ張りつめている必要がなくなって、起きている間に安らげる時間が増えた。
 今日もすっきり目覚めて、朝の十時にメールチェックをして。ソファの上でクッションを抱いて、ぼんやりとテレビを見ていた。
 四日前のイベントでは、本当に殺人計画が実行されたらしい。相変わらずテレビでは、その瞬間や、計画が漏れていたためスムーズに対処をする警察官の映像を流しながら、後継者候補の二人の意見について終わりの見えない議論をかわしている。
 つまらなくなって、テレビを消した。
 出かける気力も料理に手間をかける気力もなかったので、お昼はかけうどんにした。
 片づけを済ませて歯を磨き、洗面台の前で鏡に映る自分と向き合う。

「……」

 降谷さんが来るから、化粧くらいはしておかないと。
 けれど、必要もないのに自分を偽るのには疲れていたから、目元をきつく見せるアイラインは引かなかったし、艶めいたリップグロスではなく顔色を明るく見せるための口紅を塗った。
 来客を迎える準備を整えて、最近はまっているナンプレのアプリをやって時間を潰していたら、午後一時ぴったりにインターフォンが鳴った。
 モニターで降谷さんの姿を確認して、口を開かないことも確認してエントランスのドアを開錠する。ここに来たときは、絶対に彼からは口を開かないことが決まりだ。少々不躾にも思えるそれが、彼が本物であるという合図。
 部屋の玄関のドアをノックされて、すぐに出迎える。
 するりと猫のように入り込んできた降谷さんは、ドアを閉めて鍵がかかったことを確認した。

「こんにちは」
「……こんにちは。ちょっと失礼」

 降谷さんは言うなりわたしの顔に手を伸ばして、親指で目尻を押し上げてきた。
 別に指が目に入って痛いとか、そういうわけではないのだけれど。
 断りらしい断りもなくこんなことをされて、思い当たる節がなければ甘んじられない状況だ。

「……いつもは化粧で?」
「そう、化粧で。驚いた?」
「一瞬別人かと。……チェックしますね」
「どうぞ」

 降谷さんは靴を脱いで上がりこんだ。もう、盗聴器のチェックも慣れたものだ。
 仕事部屋だけは同行するけれど、あとはリビングで待つことにしている。
 盗聴の心配がないことを確認すると、降谷さんはリビングのソファに腰を下ろした。

「まずは報告だな。穂純さんの情報提供のおかげで、死者を出さずに済んだよ。僕の上司から管轄の組織へ連絡して、情報の提供元も割れないようにしてある」
「そう、……良かった」

 降谷さんの言葉を聞いて、安堵の溜め息をついた。
 わたしのこの不思議な力が、人の命を助けることができたのなら、よかった。

「あの晩は今回のことで慌ただしく帰ったから、きちんと聞けてなかったな」
「?」

 本当に簡潔な報告だけで、あの事件の話は済んだらしい。
 彼は別の話をしにきたのか。
 首を傾げつつ、目を合わせて続きを促す。

「……君はこれから、どうしたいんだ?」

 彼は容易く踏み込んでくる。触れられたくないところに、的確に。
 土足で踏み荒らされるような不快感はない。されどしたくもない隠し事を暴いてもらえる安堵もない。
 あるのは、目を逸らし続けてきた自分に下る、後悔という名の罰だけだ。

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