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 降谷さんは、わたしの質問の意図を理解すると丁寧に説明してくれた。

「穂純さんの場合、刑法第百五十七条の公正証書原本不実記載等にあたるかな。公務員に虚偽の申立てをして、登記簿や戸籍簿なんかの公正証書の原本に嘘を記録させた場合がこれに該当する。刑事罰は懲役五年か、五十万円以下の罰金だ」
「…………」

 可能であれば罰金で済ませたいものである。
 だからといって本当のことを説明しても、精神病院にでも放り込まれて終わりだろう。
 明らかに落ち込んだわたしに、降谷さんは少しだけ慌てた声で"大丈夫だ"と言った。

「穂純さんをどうこうしようと思っても、証明責任が果たせない。穂純さんが"どこにもいなかった"ということを証明するのは難しい、かといって"どこかにいた"ということを証明するのは不可能だ。身元の手がかりが一切ない、虚偽の申立てを疑ってもそれが虚偽である証拠がない。基本的には無罪の推定という原則があるから、穂純さんの申告に虚偽が含まれていることを立証できずに、家庭裁判所も就籍許可を出すに至ったはず」
「……黙っておけばいい?」
「そうだな、今ある戸籍を下手に弄ってもその形跡が残ってしまう。一度戸籍の請求をしていたのは正解だ。一般人が、その問い合わせで自分が無戸籍だったことを知って慌てて法務局に相談した。それゆえに戸籍には不自然な点が多いし、相談内容も曖昧だった。これで辻褄は合う。もちろん、疑い深い人間には疑われてしまうかもしれないが」

 工藤新一くんとか、赤井秀一さんとかかな。
 会わない方が良さそうだ。
 ただ、彼らが事件遭遇のきっかけになることの多い、パーティーやイベントにわたしもよく通訳として参加するから、絶対に避けられるわけでもないだろう。ままならないものである。

「それについては諦めてるから、大丈夫。……じゃあ、降谷さんたちは、このまま黙っていてくれるのね?」
「そうだな。これから連絡をするが、穂純さんに関する調査結果の共有は、僕の直属の上司と白河にのみしてある。"潜入捜査のしすぎでとうとうおかしくなったか"、"組織で変な薬でも飲まされたのか"と散々心配されたが、判断は僕に任されているから大丈夫だ」
「降谷さんの口からあんな推測を聞いたら、誰だって思います」
「わたしもまさか信じてもらえるだなんて思わなかった。……どんな言語も理解できる理由は、わたしにはわからないわ。神様がうっかりわたしをこっちに連れてきてしまって、そのお詫びにくれたギフトだとでも考えた方が腑に落ちるくらい」

 どうしてここに来てしまったのか、なぜ知らなかったはずの言語まで理解できるのか。
 それはどうしてもわからない。
 けれど、不可解なことだらけでも問い詰めても何も出ないことをわかっているからか、降谷さんは頷くだけだった。

「そうか……わかった、少し連絡をしてくる。風見は穂純さんを自宅まで――」
「あの、降谷さん……!」

 咄嗟に呼び止めると、降谷さんはジャケットの内ポケットから取り出したスマホから、こちらに視線を移した。

「ん?」
「預けたいものと、相談したいことがあって……」

 手元に本当の身分証明書を置いておくのは危ない、せっかく降谷さんたちが隠しておくと言ってくれたのに、見つかれば無に還ってしまう。それどころか、偽造と認められてしまえばそれを知っていながら隠したことになってしまう。それだけは避けたい。
 それに、ここ数日ひとりで考えても出なかった答えについて、聞いてもらえるのなら聞いてほしかった。

「預けたいものは、ここに?」
「いいえ、家に」
「わかった。風見、僕が連絡するまでここで待機だ。僕からの連絡が入ったら、穂純さんを先に帰せ。僕が合流して穂純さんの家に寄る。その後時間差で出て、直帰していい。……できるよな?」
「……庁舎に戻る予定が」
「もう明日に回せ。今から戻って取りかかっても非効率だ」
「……そうします」

 残業常連タイプか……。
 勤め人時代の繁忙期が懐かしいなぁと思いながら、ティフィンミルクに口をつける。
 降谷さんは連絡をしに外に出て行って、風見さんが対面に腰を落ち着けた。

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