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「穏便に済んだようで何よりです」

 男の姿が見えなくなると、木の陰に潜んでいた公安の人間が姿を見せた。
 千歳に友人として会いに来た体でこの場にいたので私服だが、その顔からは休日のような気の緩みが感じられない。もう少し違和感を隠せと言いたくなった。

「一発食らって傷害罪で引っ張る心積もりもあったんだがな……」
「相手が素人とはいえ、顔に怪我をすれば穂純さんも気がつくのでは?」
「彼女は明日から三週間潜入するんだ、会う前に治る」

 千歳に気づかれる要素が消えるのだと返すと、苦虫を噛み潰したような顔をされた。

「あぁ、そうでしたね……。アパートの解約手続きはこちらで済ませておきますので」
「手間をかけさせて悪いが、頼む」
「いえ。ではこれで」

 こんな後処理のために千歳に寂しい思いをさせてしまったことは悔しいが、それで千歳の身に起こる危険を減らせるのならやむを得ない。
 明日以降は米花町から離れることができるのだから、その間に千歳のことを探る人物とやらについても調べをつければいい。長く姿を見ないとなれば、どこに行ったのかと気にする人物が現れるはずだ。
 あのストーカーといい赤井といい、千歳は厄介な男にばかり気に入られる。その中に自分も含まれているのも、嫌という程わかっていた。


********************


 翌日の昼、千歳は無事に城に着き、仕事を始めた様子だと白河さんから連絡が入った。
 周囲に気を遣いながら連絡ができる白河さんは、定時連絡の他に動きがあれば逐一知らせてくれる。
 初日は乗り越えられそうだと安堵しながら書類を捌いていると、休憩に入り与えられた自室に戻った白河さんから定時連絡が入った。城の中で得た情報について定例の報告を受け、新入りに関して噂話以外の深刻な問題は生じていなさそうだとも伝えられ、それで終いにするのかと思いきや、"そういえば"とチャットで続けられる。

『穂純ちゃんと接触したよ』
『今日の今日で?』
『食堂で穂純ちゃんを転ばせようとしたメイドがいて、敢えてそれで転んで私に助けさせたってところ。私に恋人はいないのかって教育係に聞いていたところからするに、恋愛対象が同性だと周囲に思わせたいんじゃないかな。乗っていい?』

 千歳が言っていた"捨て身"という言葉の意味がわかった。
 この件で、黒川恵梨に助けられた新入りは恋愛対象として気にするようになる。自由時間を利用して接触を重ね、ある程度の日が経ったところで好意を伝えれば、新入りへの注目は集まったとしても、そこで働く男に絡まれる頻度は減るだろう。付き合える望みが薄いのに、わざわざ話しかける暇はないはずだ。
 黒川恵梨に関しても同様だ。"新入りと恋人になった"と噂が広まれば、メイドたちに"男に色目を使っているのではないか"と監視されることは減るはずだ。通りがかりに好奇心から見られることはあっても、見張るような視線がなければかなり動きやすくなる。

『乗ってください。かなり動きやすくなるはずだ』
『お互いの部屋に行き来する理由もできるし、好都合だね。了解』

 こちらで思いついたとしても提案はしなかっただろう策だ。
 それを率先して始めてくれたうえに、白河さんとの接触も恙無く済ませている。
 初日にここまでできれば上々だろう。

『それと、噂を聞く限りでは何か特別な仕事を任されたみたい。ドクターの世話係がどうとかって執事が話してたから、フィンランド人の科学者に接触できているかもしれない』
『そこまでできれば上々ですね』
『ね。結構素直で可愛い性格してるよ。あれなら取り入りやすそうだ。次の仕事まで仮眠取りたいから切るよ』
『了解』

 小まめに報告をしているためか通信は短時間。切れたのを確認して、藤波に断りを入れて仮眠を取った。
 夜の八時になり、千歳との定時連絡の時間になる。
 千歳に渡した通信機器へのアクセスを試みていた藤波から上手くいったことを伝えられ、画面を覗いた。

『藤波です。繋がった?』
『繋がってます』
『よし、回線の保護は万全。降谷さんもいるよ。とりあえず今日の報告をしてくれる?』

 報告の形式も分からないだろうと、こちらから質問をするかたちで報告をさせる。
 白河さんから聞いていたとおり、手紙の翻訳や商談の通訳に加えて、城に滞在しているフィンランド人の科学者であるハンネス・レフラ、通称"Dr.アパシー"の世話係も命じられたそうだ。
 通常業務の中で翻訳をした手紙には武器、薬物、果ては人間と様々な物を売買するための内容が書かれており、同僚となったメイドたちは非日常的な空間で麻痺しているのか殺されることを恐れているのか素知らぬフリで仕事をしている。城そのものを叩くなら、カウンセリングを手配しておいた方が良さそうだ。
 それから、Dr.アパシーの研究の内容と、逃亡計画とやるべきことについても報告を受けた。白河さんにレフラの逃亡ルートを調べる仕事を頼めるか確認するためにメッセージで連絡をした。
 藤波に代わるようにジェスチャーをされ、それに従う。

『レフラが逃亡計画を企てていたのは僥倖だな。その協力者に千歳を選んでくれたのもだ。このまま懐柔されていてくれ』
『了解』

 白河さんからは逃亡ルートの下調べをしてもらうことについて了承の返事が返ってきた。千歳にも下見ぐらいはできるだろうが、ルートの良し悪しはわからないだろう。どうせレフラは研究室に籠っているのだから、千歳はレフラが食事をしている間に下見をするフリをしておけばいい。道を覚えられるよう、ある程度は行ってもらう必要はあるが。書庫に地下通路の地図があるとのことなので、休憩時間に各々がコピーを取っておき、藤波を通して白河さんが印をつけた地図を書き写させればこの問題はクリアできる。

『逃亡ルートの下調べは白河さんがする。明日の休憩時間に書庫で地下通路の地図をコピーしておいてくれ』
『わかった』

 千歳は手紙を翻訳する業務があるため書庫で見取り図をコピーすること自体は怪しまれずに済ませることができるだろう。仮に何か聞かれたとしても、城の構造に興味が湧いたとでも言っておけばいい。
 ガードマンである黒川恵梨なら、警備をより万全にするために調べているという言い訳もできる。
 あとは当の白河さんとの接触だ。千歳に任せることにはなっているが、どういう予定で借りを作ったのか知っておきたかった。

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