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 千歳の部屋を出て、エレベーターの中でメールが来たスマホを確認する。
 示し合わせておいた言葉が書かれたメールを見て、エレベーターを降りてから暗記していた番号に電話をかけた。

「……首尾はどうですか?」

 繋がった電話に安室としての口調で問いを投げる。
 ポケットに入れたキーを取り出し、来客用の駐車スペースに停めたFDに近づいた。

『今日も姿を見せました』
「三日と置かずによく来られるものですね。それなりに距離のある場所に引っ越したと聞いていたんですが」
『小遣い稼ぎにプログラミングの仕事をしているそうですから』
「あぁ、なるほど」
『失礼。――"はぁ? 三十分もかかんのかよ! こっちは家の前まで来ちまったっていうのに。近くの店で時間潰してるから早く帰って来いよ、穂純!"』

 少しばかり張り上げた声を聞きながら、FDに乗り込む。
 電話の向こうでは、その場を離れる足音がしていた。

『これで奴は三十分も待てば会えると思い込んだはずです』
「ご苦労。明日には米花町を離れるとはいえ、帰ってきてからまた悩まされても困るからな」
『引き続き監視します』
「あぁ。いなくなるようなら連絡を」
『了解』

 通話を終え、車を走らせてセーフハウスのひとつへ向かう。一時期の仕事では役に立ったが、現在では使い勝手が悪く手放すつもりだった安室名義のセーフハウスだ。車で三十分かかる距離ならば、千歳にとっても仕事がない限りは生活圏から外れる場所となる。どうせ手放すならと使うことにした。
 近くの時間貸し駐車場に車を停め、徒歩でセーフハウスに向かった。
 石の塀に囲われた敷地内の、道路に面した玄関がある二階建てのアパート。その一階の部屋に、大家に訳を話して"穂純"という表札を掛けさせてもらっていた。
 アパートと道路を挟んだ正面にある公園のベンチに座る男を確認した。アパートの入口をじっと見ているのは、間違いなく千歳にストーカー行為をはたらいていた男だった。
 公園に足を踏み入れ、男の前に立つ。視界を遮られた男は俺を睨み上げた。

「こんにちは。あのアパートの住人に何か用事ですか?」
「……あんたには関係ないだろ」
「そこに住んでいる女性から相談を受けたんですよ。アパートの入口を見張っている不審な男がいる、前にストーカーをしてきた男かもしれないから確認して欲しい、とね」

 俺の言葉に、男は顔に喜色を浮かべた。

「やっぱり、穂純さんがここにいるんだな!」
「……"穂純さん"というのは、"穂純千歳"のことですよね。千歳に何の用があるんですか?」
「悪いことをして怖がらせてしまったから、謝って、友達になってもらいたいんだ」

 どうやらまだ千歳のことを諦めていないらしい。
 薄気味悪い執念深さに、千歳には伏せておいて正解だったと考える。
 ふと、男は俺に訝しげな視線を向けた。

「……あんたは穂純さんの何なんだよ」

 彼女を敢えて"千歳"と呼んだことで、親密さをきちんと感じ取ったようだ。

「僕は彼女の恋人ですよ。そういう貴方は、千歳にストーカー行為をしていたんですよね。名前は確か――」

 男の名前を言い当てると、相手は目を眇めた。しかし、何を思い直したのか鋭かった視線を柔らかいものにし、ベンチから立ち上がる。

「だったら、穂純さんに会わせてくれよ! 俺が謝りたがってるって、友達から始めたいって言ってるって!」
「お断りします」
「なんで……!」
「仕事で会えない日が続いて、久々に会えたと思ったら窶れて普通の生活もままならない状態で……恋人をあんなに酷い目に遭わされて、怒らない恋人がいるとでも?」

 ソファの上で碌に動くこともできず、ぐったりとしていた姿を思い起こす。
 それだけで、簡単に怒りは湧いた。
 睨めば流石に焦ったのか、男は肩にかけていたショルダーバッグから茶封筒を取り出した。

「で、でも! 十万円渡せば、会ってもいいんだろ。はは、そんなに金に困ってるなんて……電気料金が少し上がったなんて細かいことも気にしてたし、そう、そっか、金が目的なんだろ! だから会うのに十万円払えなんて言うんだ!」

 二度と接触されたくないという願いも、彼女が藤波に託した助けを求める言葉も、何もかも汲まれていない。
 この男の母親がやりきれない様子を見せたことにも納得がいく。
 罰金を会うために必要な対価だと認識し、己が仕掛けたカメラのせいで増えた電気料金を訝しんでいたことを経済的に困窮しているからなどと理由づけて、窶れるほどに追い詰めた千歳とまだ"友人になれる"と思い込んでいる――。

「……本当に、救いようのない男ですね」

 バーボンを意識して嘲笑うように吐き捨てる。
 もう容赦はしない。この男と引き合わせたところで、千歳は怯えて会話もできないだろう。

「千歳はここには住んでいませんよ。あれほど嫌な思いをしたというのに、前よりセキュリティの低い建物になんて住むわけがないでしょう」
「け、けど! 落ちてた封筒には確かにここの住所と穂純さんの名前が……、それに、さっき穂純さんを訪ねてきた人だって!」
「あれは知り合いに頼んで敢えて貴方の傍で落としてもらったんです。貴方が千歳とまた接触を図ろうとすることは予想できる状況にありましたからね。千歳を訪ねてきた男性も、僕がここに来るまで貴方をこの場に足止めするために、あたかも千歳が三十分待てば帰ってくるかのように演技をしたんですよ。……貴方に聞こえるようにね」
「なっ……!」

 潜入捜査に支障が出てはいけないと、千歳の警護を続けるとともにこの男の動向も探らせていた。千歳と親しい公安の人間は皆Dr.アパシーの件で忙しくしているため、他の班の手を借りて、ではあるが。
 千歳の所在を探る動きを見せていたため、敢えて送り主を千歳のものにした開封済みの封筒を見つけさせると、男はすぐに食いついて誰も住んでいないセーフハウスに通うようになった。
 あとはタイミングを見計らって俺を引き合わせてもらい、少し"話"をすれば解決すると思っていたが、中々に手強い。

「僕は探偵をやってましてねぇ。この手の調べ事は得意なんですよ」
「なら、恋人だっていうのも俺を諦めさせるための……」
「いいえ、それは事実です。そもそも、自分にストーカー行為をしてきた男と友達になりたいと思う女性がいると思いますか? 少なくとも、千歳は当てはまらない」
「そ、れは」

 男は言葉に詰まった。
 あと一歩だ。この男は千歳の社交辞令を好意と受け取って勘違いをした。
 夜にバーに出かけて行く姿を見ていれば別だが、おそらくこの男は大学生であったときもあまり夜に飲み歩いてはいない。つまり、千歳の昼間の仕事に出かける姿か、買い物に出かける姿しか見ていない。

「千歳は、恋人がいながら他の男と親密な関係になることを望むような、軽い女性に見えていたんですか」
「そんな、ことは……」
「お母様から罰金の意味は教わりませんでしたか? 千歳は貴方には会いたくないと言った。それを無視されるなら、心を傷つけられたせめてもの代償に金銭を要求することにしただけに過ぎない。電気料金についてもね、知り合いに"知らないうちに電気を使う何かが仕掛けられたかもしれないから調べて欲しい"と、貴方に気づかれないように依頼しただけなんですよ。貴方の勝手な思い込みで、千歳を卑しい人間に仕立て上げるのはやめてください」

 男は"こんな自分にも優しく接してくれる"と、千歳を神聖視していた。
 理屈を以て取っていた行動がそのイメージを損なうようなものだとは、自分で気がつかなかったのだろう。

「俺は、そんな……」
「今度は彼女がどんなに面倒臭がっても示談などという甘い措置に留めるつもりはありません。住んでいる場所を突き止めて待ち伏せするなんて、ストーカー行為に他なりませんよ。前科をつけられたくないのでは? ご両親も仕事に困ることになるでしょう」

 千歳の関知しないところで事を済ませようとしているうちに、諦めてもらいたい。
 言葉は強くなったが、男には効果覿面だったようだ。肩を落としてベンチに座り込んだ。

「金輪際彼女に近づかないと約束できるなら、今回のことは見逃しましょう。どうします?」

 男は視線をうろうろさせ、少しの間頷くことに躊躇った。
 しかし、弁護士である両親の名に傷がつくことを懸念したのだろう。そこに思考が至るなら、無鉄砲な真似はこれ以上しないはずだ。

「……わかった、もう、穂純さんには、近づかない……」

 俺を恨みがましそうに見て、男は立ち上がった。俺が恨まれる分にはいい。千歳に逆恨みの矛先が向かないのなら。
 千歳が同じマンションに階を移して住み続けているとは想像もしていない様子なのだから、千歳の生活圏に近づくこともないだろう。これでひとまずは千歳の安心は確保される。
 公園から出ていく背中を見送り、溜め息をついた。


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