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 セーフハウスに届く郵便の確認を任せていた風見から連絡を受け、千歳をセーフハウスに招いた。
 届いていた採用通知を先に開封して確認したところ、結果は合格。相手が出す条件に頷くだけでは城に入ることが目的だと疑われかねないため、給与の面でほどほどに要求をするように指示していたのも良かったのだろう。
 相手は後ろめたい事情を抱えている。"待遇などどうでもいいからとにかく雇ってくれ"という態度を悟られれば、上手くいかなかったはずだ。
 インターフォンが鳴り、モニターをつける。千歳はそわそわとしながらも口は閉ざしたまま立っていた。名乗らないことに慣れるものでもないので、仕方がない。すぐにロックを外してドアを開けてやり、周囲を気にしながら入ってきたのを確認してからモニターを切った。
 数分も待てばドアがノックされ、やはりそわそわした様子を隠せていない千歳を迎え入れた。
 リビングに通し、シンプルなダイニングテーブルとセットになっている椅子に座らせる。

「面接の結果が来た」
「そうだと思った。合否は?」
「合格だ。四日後から城に入ってもらうことになる」

 開封済みの封筒を渡すと、千歳は中身を取り出して確認し、ほっと息をついた。
 ここで不採用であれば、作戦そのものが頓挫してしまう。しかも申し分ない経歴を記した履歴書を提出したうえでの面接の結果なのだから、原因は面接ということになる。責任を感じて不安になっていたのだろう。

「……良かった」
「労働契約書にサインをして、当日持って行けばいい。持ち物は書いてあるとおりだ。それと、こちらから支給する通信機器を持って行ってくれ」
「わかったわ。……本当に翻訳の仕事はしてもいいの?」

 白河さんから流された情報を基に、藤波が通信機器の設置方法のマニュアルを作成してある。ハード面ではどうしたって千歳に手間をかけさせてしまうが、機械音痴というわけでもないので問題はないだろう。
 日中は城での仕事に追われるだろうからと、納期を詰め過ぎなければ翻訳の仕事ぐらいはしてもいいとも伝えてあった。何かしら譲歩の姿勢は見せておかなければならないというのもある。

「あぁ、回線は藤波が保護するから、外部とのやりとりができるのはその間だけになるが」
「仕事ができるだけで十分ありがたいから、大丈夫。……頑張るね」

 千歳に頼んだことは、大きく分けて三つだ。
 白河さんが動きやすくなるように立ち回り、今回公安が目的としているDr.アパシーを探し出して接触し、おそらくは悪事を働いている城主の外部との繋がりを探る。
 白河さんに関しては、周りの同僚との関係をどうにかすればいいのだから、嫌がらせはあるとしてもまだ安全だろう。上手く接点を持ちさえすれば、白河さんが助けに入ることもできる。Dr.アパシーに関しても、接点を持つだけならば危険はないと言っていい。面接ではDr.アパシーが使う言語を扱えると言ってあるのだし、接点ができれば多少の親近感を抱かせて害意を削ぐことができる。
 だが、スパイ行為と言っていい、城主のビジネスに関する調査はどうか。手紙の翻訳や来客応対、通訳をする役職に就く千歳にしか頼めないことだが、その行動を見咎められれば裏社会に通じている城主がどう出るかはわからない。

「……すまないな、危険なことは絶対にさせないと約束したのに」

 千歳は慌てたように首を横に振った。

「零さんは"でき得る限りでいいから協力要請に応じてほしい"って言ってたでしょう。わたしが"できる"って判断したからやるの。白河さんもいるのだし、そんなに心配してないから。謝らないで」

 果たして俺たちと出会う前の君も、同じように判断しただろうか。
 聞くのはあまりにも酷で、今更断らせるわけにもいかないから、己が変わってきていることを自覚させられない。
 俺を想ってくれるようになる前の千歳なら、きっと"約束が違う"と断っていただろうに。
 千歳は状況が変わってきたことにも気づいているだろう。認識の齟齬を生まないように馬鹿なフリをして相手の真意を細かく聞き出すことはよくあるが、けして馬鹿ではないのだ。
 上は千歳に利用価値を見出しながらも、捨て駒にしても構わない存在だと見ている。天涯孤独の身で、ここ数ヶ月の足取りしか掴めない女性など、いなくなってもさして問題はないと考えられてもおかしくはない。現場に投入して使えるだけ使って、ミスをしたら切り捨てる。千歳は自分を"存在するはずのない人間だ"と考えているのだから、その予測も容易いだろう。
 そうでなければ、俺を気遣う言葉を口にしながら、不安そうに瞳を揺らすはずがない。
 それでも、俺への恋慕を理由に行動してくれることが嬉しくもあった。

「……そうだな。ありがとう」

 千歳は嬉しそうな、それでいて寂しそうな表情を浮かべる。暫く会えないことを寂しがってくれているのだろうか。

「……そろそろポアロに行かないと」

 出勤の前に渡しておこうと思って呼んだので、時間はあまりない。
 呼び出しておいて冷たいかとも思ったが、千歳は気にする素振りもなく柔らかく笑む。

「そうなの? お仕事頑張ってね」
「あぁ、ありがとな」

 物分かりが良すぎる部分が、ありがたくはあるが面白くない。もっと感情的になってほしいと思うのは、俺の身勝手な願望だ。恋心にほんの少しだけ素直になってくれただけでも奇跡だと思わなければならないほど、千歳は他人への関心が薄いというのに。

「気をつけて帰ってくださいね」

 千歳はにこりと笑んで手を振り、俺が時間の話をしたためか足早に歩いていった。


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「派手に壊したわね、バーボン」

 愉快そうに笑むベルモットが、揶揄うように声をかけてきた。
 助手席側の半分を壊した愛車をレッカーに預け、現場の処理も終わり、ようやく帰れると思った矢先にこれだ。周囲に人の影はなく、ベルモットもそれを見計らって近づいてきたはずだ。

「信用を得るには十分だったでしょう」
「フフ、そうね」
「明日の送迎はどうします? 僕は無理ですよ、あの車は修理に出すので。代車も別に要りませんし」
「あそこまで壊しておいて、まだ乗る気? ……まぁいいわ、バイクで行くから」

 面倒臭そうに言うが、なぜバイクで構わないのに俺を使おうとしたのか。
 話し相手がいないとつまらないだの寛いでいるだけで着くから楽だの、あれこれ理由はあるのだろう。組織からの信用を得るために"ベルモットのお気に入り"という立場は有効に使いたいが、彼女の我儘は少々厄介だ。
 ひとまず明日は体が空いた。千歳は潜入捜査の開始を二日後に控えている。会いに行って、荷物のチェックをしておきたい。しばらく顔も見られなくなるのだから、それぐらいは許されると思いたい。

「Dr.アパシーの件、ベルモットは聞いていましたっけ?」
「もちろんよ。アナタが調べることになっていたわね、バーボン。招待状を手に入れたとはいえ、呑気に構えていていいわけ?」
「明後日からフィンランド人への接触に適した人物を送り込みますから。事前の調査は抜かりなく」

 ベルモットは片眉を上げたが、それ以上は気にする素振りもなくひらりと手を振り、ブロンドを揺らしてハーレーに近づいていく。

「噂の科学者が本当にDr.アパシーだといいわね」
「えぇ、無駄足は御免です」
「幸運を祈っておくわ」

 ハーレーに跨り去っていく背中を見送って、溜め息をついた。

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