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少しすると、藤波が千歳を連れて部屋に入ってきた。
「対応はとりあえず合わせたが、あれで良かったか?」
向かいの席を勧めつつ、問いかける。
「うん、ありがとう。あっさり知り合いだって指摘されちゃった」
千歳は座りながら苦笑いを浮かべた。
嘘をつくことは後ろめたいものだが、千歳はそれをおくびにも出さず乗り切ってみせた。
白河さんの"嘘をつくことに対する罪悪感は捨てろ"という教えが功を奏しているのだろう。
「その割に焦りは顔に出ていなかったな。あと、結婚詐欺師の話は上手かった。恋人がいない理由もでっち上げたんだから、尚のこと僕との繋がりは想定されないはずだ」
褒めてみると、千歳は嬉しそうに笑った。
「ふふ、及第点?」
「大変よくできました、かな」
悪戯が成功したような表情が小悪魔的で可愛らしい。
綺麗に見せるように心がけている千歳を見てもそう思ってしまうのだから、俺も相当焼きが回っているのかもしれない。
「ハイそこいちゃつかないー。会議しますよ!」
"いちゃつくな"という言葉に否定ができず、何とも言えない思いのまま目の前に置かれた資料を手に取った。
面接は明後日。白河さんからは面接で聞かれた内容について報告がされているし、個々の考えが出るような質問については千歳に答えを考えさせて、それで問題がなければ藤波に伝えてあった。
学歴だけが追加された千歳の履歴書、質疑応答の例文。最後に練習をすることになっているのでその辺りはさらりと流され、留められた資料は早々に横に退けられた。
「次は、先に潜ってる白河さんの話です。正直動きにくい状況みたいです」
警備を担うガードマンという役職に就くのは、ほとんどが男性らしい。しかも今は女性が白河さんしかいないという。どんなに強かろうと紅一点という状況は周囲からの気遣いを生むし、それを遠くから見ているメイドたちからはやっかみを買ってしまう。
いろいろな人間から動向を気にされてしまい、Dr.アパシーの居所すら掴めていない状況だ。執事の会話から、フィンランド人の研究者がいることは聞き取れたらしいが。
"バーボン"も裏社会の噂話を頼りにDr.アパシーが居るのか確認しに行くという状況。入り込むために必要な招待状は用意できたが、手掛かりはほとんどない。
だから、Dr.アパシーとの関わりを作れる可能性が高い立場で潜入できる千歳の存在が重要だ。
「さらに予想されるのが、穂純さんへのやっかみだね。来客応対に打ってつけの天才的な語学力と、城の看板にしても問題のない容姿。多分どの性格で潜り込んだとしても、そうならざるを得ないと思う」
閉鎖的な空間で、陰湿な嫌がらせをされないとも限らない。白河さんが助けてくれるだろうが、全てを未然に防げると約束もできない。
だから多少の覚悟はしておくようにという意味で伝えたが、千歳はいずれ切れる付き合いにはさして興味もないのか気にする素振りもなかった。
「つまりは、男性の使用人と黒川さんが親しくなりすぎているんじゃないかっていう勘繰りと、わたしへの恋愛感情になり得る興味を一気に引き剥がせばいいのよね」
「まぁ、できるなら……だけど」
それがどうにかできるのなら、白河さんがとうに実行に移しているはずなのだが。
藤波も戸惑った様子で頷く。
「わかったわ、わたしが何とかしてみせる」
きりっとした顔で断言され、二人揃って千歳の顔をまじまじと見てしまった。藤波にいたっては驚きで小さく声を出していた。
虚勢ではなく、"他に何も策がないなら"とでも言いたげだ。
「できるのか?」
「ちょっと捨て身だけれど、どのみち最後には検挙するんでしょう?」
「あぁ、それはそうだが……」
「一週間はかけないわ」
"捨て身"という言葉は引っかかるが、危険を伴うことだという様子は見受けられない。
どのみち今は何の策も出ないのだし、白河さんもいい加減自由に動ける状況を作りたいはずだ。
「……それなら、任せる」
「え、正気ですか降谷さん」
「これに関しては多少失敗してもどうにかできるだろ。策があるなら試そう」
"上は性能テストも兼ねている"――机の下で文字を打ち込んだスマホの画面を見せると、藤波は薄らと目に嫌悪感を浮かべた。
千歳を協力者として活用したいという意向は理解している。
現場へ赴いてくれれば、させる仕事の幅が広くなる。あらかじめどの程度動けるのか試しておきたい。それが千歳の身の安全にも繋がるのだ。潜入などとても向いていないのなら、今までどおり翻訳の仕事しかしなくて済むのだから。
しかし、そうはならないと言いきれる。
現に千歳は今、自分の性格を偽って生活することができているのだ。トラウトの逮捕に協力してもらった夜ですら、危険な状況に置かれてもある程度落ち着いて事態の対処に慣れた人間の指示を待つことができていた。現場に赴かせるに足りない点は、素人にしてはなさすぎる。
「あー……、そういうことなら、そうですね、任せますか」
藤波はからりと笑って頷いた。
白河さんから流されてきた情報を読み合わせ、千歳の面接対策の特訓もして、今できる準備を済ませることができた。
「――こんなところか。問題なさそうだな」
「元々正しい話なんてしないもの」
コナン君との会話に疲れを見せていたことからも、要領を得ない会話を続けるのは難しいことがわかる。
筋の通った虚構をつくり、それを覚えてその通りに演じる方が楽なのだろう。だからこそ、こちらで作った経歴を使うこともすんなり受け入れられたのだ。
「そこは千歳の強みだな。明後日はタクシーで行けるか? 領収書だけ切っておいてくれ」
「わかった」
「じゃあ穂純さん、僕らは時間差で出るから先に帰ってくれる?」
「えぇ、それじゃあまた」
復習ができるように経歴をまとめた書類だけを持たせて、会議室から出ていく千歳を見送った。下ろしていたブラインドの隙間から外を見て、千歳のアテンザが外に出ていったのを確認する。
藤波が深い溜め息をついて椅子の背凭れにぐったりと寄りかかった。
「はー……降谷さん、ああいうの見せないでくださいよ」
"ああいうの"とは、今回の捜査協力が千歳の"性能テスト"を兼ねていると伝えたことだろうか。
藤波は千歳に妙に入れ込んでいる節があり、今回の指令にもあまり前向きではない。割り切って仕事はするから、寧ろ好感を持てる面ではあるのだが。
「事実だろう」
「それはそうなんですけど! ……やっぱ穂純さん、便利ですもんね。言語習得の天才なんて言われちゃうほどには」
「あぁ。それに仕事で必要だったとはいえ、耳も相当良くなっている。現場に潜入して内部事情を探るのにあれ以上の適役は早々見つからない」
「演技も上手ですしね。……結構危ない位置にいませんか、彼女」
「そうだな。外事課からの相談は潰せたが、上からの指令が来ないとは限らない。能力は勿論だが、心理的な面も考慮して適度に庇ってやらないとすぐに限界が来るだろうな……」
仕事を依頼する度に、警察は千歳への警戒と保護の度合いを強め、裏切る可能性を潰さなければならなくなる。
どうにか俺の責任で藤波に管理を任せることができているが、それもいつまで可能かわからない。自惚れでも何でもなく、俺や風見との接点がなくなれば千歳は途端に扱いにくい存在になる。そうなった時に、持て余した上が千歳をどうするのかは、想像したくもない。
「降谷さんが愛想尽かされないように頑張るしかないってことですね!」
「……そうだな」
会話の終わりと同時に片付けを終えた藤波に促され、会議室を後にした。
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