02

「千歳さん、おはよう!」
「おはよう。コナンくん、わざわざありがとう」
「気にしないで! ボクも心配で気が気じゃなくなるからさ」

 仲良く話す二人を横目に見ながらまとめ終わった荷物を持っていると、千歳が慌てた様子でこちらに手を伸ばした。

「あの、荷物……」
「どうぞ」

 貴重品が入ったバッグを渡すと、千歳は素直に受け取ってはくれたが俺が肩にかけたままの大きな荷物にちらちらと視線を向けてくる。
 "見ず知らずの他人"に荷物を持たせている状況が居た堪れないのだろう。

「右腕、折れていないとはいえ無茶をするものじゃないでしょう。恋人なんですから、これぐらいさせてください。ね?」

 千歳は胸の前で左手をきゅっと握り、俯いた。

「……ありがとう」
「どういたしまして。さぁ、帰って家でゆっくり休みましょう」

 バッグを肩にかけたため空いた千歳の左手を、コナン君が握って引っ張ってくる。
 千歳を助手席に、コナン君と荷物を後部座席に乗せて、千歳とコナン君の穏やかな会話を聞きながら通い慣れたマンションに向かった。
 マンションに着くと、コナン君は少年探偵団の子どもたちから呼び出されてそちらに向かって行った。場所は阿笠博士の家のようだから、近場だ。
 コナン君を見送ってから、地下駐車場の来客用のスペースに停めた車から千歳を降ろした。左手の支えになれるように手を出しながら、低い天井に頭をぶつけないようにそっと反対の手を差し込む。

「ふらつきはありませんか?」
「えぇ、大丈夫」

 荷物を抱えて部屋に着くと、千歳はほっと息を吐いた。
 靴を脱ぐのを手伝い、部屋に上がらせる。

「移動で疲れたでしょう、ソファで休んでいてください」

 千歳はお礼を言って、まっすぐにリビングに向かった。その動作に躊躇いはなく、本当に俺に関する記憶だけがないのだと実感する。

「すみません、まさか記憶を失くされると思っていなくて、色々と僕の物を置きっぱなしなんです」
「?」
「枕とか、歯ブラシとか……」
「……あぁ、なるほど。大丈夫、あっても驚かないわ」

 千歳は合点がいったのかふわりと微笑んで頷いてくれた。
 その顔には疲れが滲んでいて、やはり一人で気を張り詰めて生活していた名残りがあると感じる。まるで、探りを入れていたときの彼女のようだ。
 こうして一人で生きているのと、俺や公安からの庇護を受けながら組織と渡り合っていくのと、彼女にとってどちらが良いのだろうか。
 冷蔵庫に入っていた麦茶を二つのコップに注いで、ソファに座る千歳の前に置いた。
 自分の分に口をつけながら、俯く千歳の様子を観察する。
 俺に関する記憶がない中で、彼女はどんな生活をしてきた"記憶"を持っているのだろう。
 千歳のそばに膝をついて、顔を覗き込んだ。膝の上に載せられた右手に触れると、千歳は少し驚いて、それからそっと握り返してきた。"不思議ね、安心する"と笑って。
 ずっと頭の片隅で声を上げていた、"忘れている今のうちに手放して、思い出すきっかけのないところへ逃がしてやれば"――なんて考えは、あっさりと砕かれた。千歳が事情を知らないことにより生じるリスクを思い浮かべておきながら。

「――ごめん」

 されるがままになっている千歳の手を額につけて、目を閉じた。湿布のにおい、微かに残る包帯に染みついた薬品のにおい。この弱い体が包帯まみれになることがないようにしていたいのに、安全なところへ隠すことさえしたくない。この腕の中に、留めておきたい。
 自分勝手で、望んでそうしていてくれる千歳に甘えているだけだ。
 頭に自由な方の手をふわりと乗せられる。細い指が、髪を梳くように撫でてきた。

「降谷さんは、わたしに何かゆるして欲しいみたいだけれど……」
「……あぁ」
「わたし……そんなに苦しめるほどあなたのこと恨んでた……?」
「!」

 覚えのないことで謝られても、許すことはできない。それなのに謝られ続ける不可解さを気にしてやれていなかった。
 何よりも、何も知らないはずの千歳の言葉が突き刺さった。千歳が俺を恨むことはない。彼女に人を恨み続ける勇気はない。遠くへ逃がしてくれるはずだった赤井の手を取らなかったことが、その答えだ。

「いや……恨まれていると、感じたことはない……」
「じゃあきっと、それが答え。聡いあなたなら、わかるでしょう?」

 ふと覚えた違和感。

「……っ、だが、俺は――、!」

 ――恨まれるだけのことをしたと自覚している。
 言葉は音にならなかった。強烈な違和感が、はっきりとした矛盾に変わった。
 "聡いあなたなら"、その言葉が今の千歳の口から出るのか?
 見上げた顔は、優しく微笑んでいた。

「わたしはね……あなたといるときが、一番心地が良い。苦しむならあなたと一緒がいい。あなたのそばにいられれば、それだけで幸せ。あなたに愛してもらえたら、尚のこと」

 彼女の口から紡がれたのは、はっきりと覚えている言葉だった。

「まさか、記憶が……」
「……ごめんなさい。本当は、朝起きたらいろいろと思い出していたのだけれど……少し、混乱していて」

 一晩眠ったら、記憶が戻ってきたということらしい。
 手を握っても、頬に触れても心地よさそうに目を細めるだけで、不快に思っている様子はない。その反応が俺のことを思い出したのだと教えてくれる。

「いいんだ、そんなこと……。本当に、思い出してくれたんだな」
「うん。ごめんなさい、悲しませて……」
「不慮の事故なんだ、気にしないでくれ」

 隣に腰を落ち着けて、千歳の体を抱きしめた。頬に当たる緩くウェーブのかかった髪がくすぐったくて心地良い。
 背中にそっと左手を回された。

「わたし、無意識に零さんにひどい態度を取っていたのかと思って少し焦ったのよ」
「……とんだ被害妄想だったな」

 居た堪れない思いで同意すると、ふふ、と声を立てて笑われた。
 その声に含まれる優しさにほっとする。

「えぇ、本当に。……大好きよ、零さん。何があっても一緒にいて欲しいくらい」
「俺もだ。選択肢として思い浮かんでも……千歳を遠くへやるなんて、とても実行に移す気にはなれなかった」

 千歳は小さな安堵の溜め息をついた。
 俺が千歳を手放すという選択をしなかったことに、その選択をする前に記憶を取り戻せたことに、随分と安堵している様子だった。

「さて、人助けは良いことだがその代償が何かは分かってるよな?」

 腕の中に閉じ込めた体がぎくりと固まった。
 生活に支障が出るほどの怪我を負って、面倒を見るのが俺だということを今更になって実感したのだろう。
 炊事、掃除に洗濯、着替えや食事や入浴。右腕が動かせないことによる影響は大きい。そういうときに甘やかすと、終始照れた表情を見せてくれるのだと知っている。

「あ、あー……宇都宮さんのところにお邪魔しようかなぁ……」
「俺が許すとでも?」
「……思いません」

 観念して凭れかかってくる千歳の頭を撫でて、髪に頬を寄せる。
 とことん甘やかしたときの照れながらも嬉しそうな顔を思い出しながら、昼食のメニューに思考を巡らせた。



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リクエスト内容:切
夢主が一時的記憶喪失になる


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