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 彼女が本当に頼りたかったのは俺なのだと聞けて、安心した。
 教えてくれた本人は泣いているのに、現金な心だ。

「……そうか」

 相槌を打つ声は、喜色を隠して平淡なものにすることで精いっぱいだった。

「でも、仕方ないじゃない……降谷さんたちが守っているのはもっと大きなもので、わたしなんて今は利用価値があるだけの些末な存在で……ちゃんと、個人的な付き合いだって言ってくれた風見にも白河さんにも、連絡取れなくて……」
「そうか、……僕が頼ってもいいと思えるような距離の取り方をしていなかったんだな」

 彼女の中では、俺は頼りたくても頼れない位置にいる相手だったらしい。
 白河さんや風見のように、個人的な付き合いをしていこうとは言わなかった。そのうえ、彼女は俺の立場を正しく理解していた。助けを求めても別の誰かに託してしまうと無意識のうちに思い込んでいたのだろう。

「……うん」

 否定して"じゃあどうして頼らなかったんだ"と言われるのが嫌だったのか、返答は素直なものだった。
 ぽろぽろと落ちる涙が痛々しくて、思わず手を伸ばした。指の背で掬うようにして涙を拭うと、浸るように目を伏せられる。

「素直だな。名前のある関係になれば、ちゃんと頼ってくれるか?」
「友人とか?」
「どうかな。"迷惑かけられるほど仲良くないし"とか言って何も言ってくれなさそうだ」

 友人では、意味がない。
 もっと、迷惑をかけてもいいと思える間柄にならなくては。
 穂純さんもそうすることは想像に難くなかったのか、黙り込んだ。
 クッションを握る手を取って、指先を優しく握る。細い指を軽く何度か握っていると、胡乱な目を向けられた。

「そうだな……」

 視線が合うと、ぱちりと瞬きをされた。
 言いたい言葉が、口をついて出ていかない。拒絶されたときのことを考えて、どうしようもなく臆病になってしまう。
 らしくないと、わかっているのに。

「……恋人、とか」
「どっかで頭ぶつけてきたの?」

 意を決して発した言葉は、間髪入れずに打ち返された。
 三つの顔を演じている俺のことを知っているからこそ、"そんな余裕はないだろうに"と言いたげだ。
 しかし、頭をぶつけたなどという間抜けなことはしていない。首を横に振った。

「まさか。いつかは帰さなければならないし、それなら思い出づくりみたいな真似はしない方が穂純さんのためだろうと思っていたんだが……そうやって曖昧な関係でいるから穂純さんが頼れないっていうなら、俺ももう遠慮はしない」

 握った指を引き寄せて、指を絡める。驚いた彼女の膝の上にクッションが落ちた。擦り合わさる掌は、体温が低くひんやりとしている。
 こうして捕まえても怯えを見せないことに安堵して、一方で意識されていないのかと思うと情けない。
 驚いて手を見ていた穂純さんの目が、またこちらを向いた。真意を探るような視線。先への不安を抱いて揺らぐ瞳。

「いつか捨てて苦しむぐらいなら、はじめからない方がマシだと思うのだけれど」

 思いの外、返事は好感触だった。
 言葉の端々に滲む諦念は、別れを考えてのもの。いつか帰ることを考えてか、――俺に捨てられることを考えてか。
 いずれにしても、俺の好意を厭っているわけではないことが窺える。

「そんな返事で俺が諦めると思うか? ……かえって期待する」

 俺の声に熱が籠もると、穂純さんは居た堪れない様子で視線を逸らした。

「帰れるってわかったら……容赦なく手放すくせに」
「帰り方がわかっても、教えないかもしれない」

 彼女は自分が"邪魔な存在"だと思っている。だから帰れることがわかればあっさりと手放されることを予期して、不安がっている。
 そんなことをする予定はない。みすみす帰すぐらいなら、心底惚れ込ませたうえで"帰る"なんてことを考えないようにしてしまいたいとさえ思っているというのに。

「そんな素振り……見せなかったじゃない」

 見せても逃げなかったのか、と問いたい。
 風見とのお互いにわかったうえでの友人関係と違い、すっぱりと切れない関係になることを恐れているくせに。

「秘密だと言いながら"暴いてほしい"と訴えて、それでいていずれは別れるからと深く触れようともしないで。そうやって帰るまでの拠り所を求めているだけの穂純さんに、そんなのぶつけられるわけないだろ。困ったときに頼ってくれる、それだけで満足しようと思っていたんだけどな……それすらない」

 穂純さんは辛そうに眉を寄せて、無意識になのか絡めた手に力を入れた。

「……いつから?」
「探っているうちに事情がわかってきて、その強がりを解かせてやれたらどんなにいいだろうと考え始めた。"うちに帰りたい"って泣いているのを見たときは、故郷も家族も全部捨てさせて手に入れたいって、最低なことを一瞬考えた。……穂純さん」

 逸らされた視線を合わせて欲しくて、名前を呼んだ。
 素直な彼女はこちらに視線を向けて、後悔したような顔をした。

「遠い先の未来は信じなくてもいい。……俺の気持ちだけ、信じてくれ」

 どの口が言うんだ。公安からの命令がなければ、伝えようともしなかったくせに。
 俺の想いがどれほど彼女に向いていても、伝えることを決めたのは"命令"という後押しがあったからだ。
 不誠実に思えて、これでは彼女が信じてくれなくても無理はないと思い始める。
 穂純さんはといえば、何かを考え込んでいた。度々舞い込んでくる依頼のことを考えれば、こちらの打算に思考が向いてしまうのも仕方がない。
 これに関しては、肯定も否定もしない。
 俺が穂純さんを好いていることも、公安が彼女をより信用できる協力者にするための関係づくりをすることを決めたのも、揺るがすことのできない事実だ。
 返事を待っていると、ぎゅっと手を握り返された。視線が合い、泣いたせいで潤んでいながらも意思の強い目と向き合う。

「……信じる。降谷さんがこの先どんな行動を取ったとしても……わたしのことを好きになってくれたって、それだけは信じるわ」

 "自分を守ってくれる"とは、少しも考えてくれないらしい。
 それでも、好意だけは信じてくれると言うのだから十分だろう。守るつもりがあることは、これからわからせていけばいい。
 まっすぐに向き合ってくれた彼女に笑いかけると、泣きそうな顔をされた。
 クッションを抱いたまま、ぴたりと体を寄せられる。肩にこつりと頭を預けられた。

「わたしはね……降谷さんのことが好きだなって自覚したの、本当に……ついさっきなの」
「なんとなくそんな気はしていた」

 俺と恋をすることをまったく考えておらず戸惑っている、という様子はなかった。
 思考は及んでいて、けれど踏み出すには躊躇う理由が多すぎる。そんな様子だった。

「そういう風に意識しないようにって、ずっと歯止めをかけていたけど……。あんなことがあって、自分が誰に助けてほしかったのか、向き合わなくちゃいけなくなって……。"後悔するなら俺も一緒だ"って一緒に苦しむことを選んでくれた降谷さんだから、わたしも一番に頼りたかったんだって思ったの」
「……そうか」

 これまでの"面白くない"という気持ちは、不思議と霧散していた。
 俺が対応を誤っただけ。彼女は十分、俺を信頼してくれていたとわかったからだった。

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