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 数日間作戦に動きはなく、時折気を引き締めさせながら敵の動きを待っていた。
 その合間に、藤波が穂純さんに一件依頼をして、その成果物を回収してきた。中身を確認するなり担当者に戻し、今やっている回線の保護とは別のことをし始める。

「藤波、何かあったのか?」
「えぇ、ちょっと穂純さんの様子がおかしくて。単なる僕の勘なんで、念のため……ですけど」
「具体的にはどうおかしかったんだ?」

 藤波はモニターから視線を外さないまま答えた。

「依頼をするときに家に行ってもいいかって訊いたら、"今はちょっと、人を招けるほど部屋がきれいじゃなくて"って言ったんですよ」
「単によく知らない君を自宅に招きたくないだけじゃないのか?」
「いえ、以前から自宅にはお邪魔させてもらってるんで。彼女から提案されることの方が多いですし」
「なるほど。それは確かに妙だな」

 いつか"帰る"ことを前提にして生活している彼女の部屋は、過ごしやすいようにインテリアは整えてあるが、必要最低限だ。気を紛らわせるための趣味である服飾品や化粧品に関しては、そこから外れるが。
 それでも来客を入れるリビングダイニングにそういった趣味の物を散らかしているのは見たことがないし、それ以外の物が必要最低限しかない彼女の部屋が人を招けないような散らかり方をするはずがない。仕事の話をするのに最適であろう書斎なら、尚のこと。

「"部屋がきれいじゃない"というのは違和感を持たせないための方便だと思うんですよね。でも、"人を招けない"のは事実。あと、理由もないのに電気料金が少し上がったって言ってました」
「……盗撮と、それについて相談させないための盗聴か」
「おそらくは。ちょっと彼女の部屋を探ってみます」
「頼む。何かわかったら教えてくれ」
「了解。ぱぱっとやっちゃいますね」

 藤波に会ったのだから、何かしらの伝達はしてくれたのかと思ったが、そうでもないらしい。
 渡したUSBメモリに入っていたのは依頼物のみで、彼女からのメッセージは藤波が気にした言葉のみ。よほど伝えにくい状況にあるのだろうか。
 調査は藤波に任せ、回線保護用のシステムのメンテナンスを少しだけ手伝った。
 作戦の合間にやっていた調査の結果は、敵に動きがあって一気に片付けてからすぐにまとめられたらしい。しかし、藤波は気まずそうな表情をして白河さんを呼んだ。
 メモリを差し込んだタブレットを渡され、白河さんはきょとんとしている。

「何? どしたの藤波君」
「すいませんね白河さん、ちょっとこのフォルダの写真と映像整理してもらえませんか」
「は?」
「お願いします! 僕が見てはいけないものが多分に含まれてるんです!」
「何なのさ、別にいいけど……、!」

 タブレットに指を滑らせて中身を見た白河さんの表情が一変した。

「これは……! 藤波君、どういうこと?」
「いわゆるストーカーですよ。犯人は突き止められそうですが、目的はまだわかりません。とにかく、証拠品の整理をお願いします。あと、降谷さんに状況説明できるようにしてください」
「わかった」

 話からすると、藤波の言う"証拠品"とは彼女の自宅を盗撮したデータだろう。

「彼女の家の電気料金を跳ね上げていたのは盗撮に使われたカメラでした。カメラへの電力供給が途絶えないよう、配線にも細工がされているみたいです。そうだ降谷さん、この二つの端末のハッキングお願いできますか。メールでのやりとりだと思うんですが」
「あぁ」

 藤波の指示に従ってハッキングをし、メールの送受信履歴を確認する。受信側を調べてアドレスを偽装していることがわかったが、送られた時刻と文面を照らし合わせれば、同じ物から送信されていることはすぐに確認できた。何より、送信側の端末にはアドレス偽装用のアプリが入っていた。
 あるだろうと予想された証拠を掴み終えた頃、げんなりした様子の白河さんが戻ってきた。

「大丈夫ですか?」
「穂純ちゃんが大丈夫じゃなさそう。リビングに二つ、寝室に一つ、脱衣所に一つカメラがあるみたいで……このことを知ってからも約二週間、ずっと録られていたみたい」

 リビングで寛いで少しだらしない様子を見られたという程度なら、良くはないがまだどうにかできる。しかし、寝室と脱衣所にあったというのは悪質だ。彼女は寝室を外出の準備に使うためそこで着替えているし、脱衣所に至っては何も気づかずに生活していれば当たり前のように下着も脱ぐだろう。
 メールでは、"誰かにこのことが漏れたら米花駅でばら撒く"、"引っ越すのもカメラに映るものを隠すのもカメラを壊すのも禁じる"、そういった内容の脅迫文が送られていた。その印刷物を白河さんに渡して見せると、読むにつれて彼女の表情が怒りに染まっていく。

「何なのコイツ……! ここ数日は泊りがけで外に出ているみたいだから、少しは気楽に過ごせてると思うけど……」
「そうなんですか?」
「子供が来て、"知り合いの大学院生が論文に使う参考文献を読めなくて困ってるから助けてくれ"っていうようなことを言ってキャリーバック持った穂純ちゃんを連れて出てったよ。それ以降はぱったり映ってない」
「……事情を話して匿ってもらっているのか」
「そうかもしれないし、終わったけど帰る気になれなくてホテルに泊まってるのかもしれない。……あー、これぐらいなら見せてもいいかな。出ていく前日の、リビングの動画なんだけど」

 見せられた画面に映っていたのは、ソファの上で膝を抱えて横になる穂純さんの姿だった。
 目の下の隈がひどく、女性特有の頬の丸みもない。膝を抱える腕はほっそりとしていて力もあまり入っていないように見える。頭のそばに置いたスマホが震えると、それを覚束ない手で取って確認し、すぐに投げ出す。
 すべてを諦めたような表情で、何かをすることもなくぼんやりしている。時折浅い眠りに身を預けては、メールの着信に起こされているようだ。
 こんな状態になるまで、誰にも助けを求めなかったのか。
 被害者に"どうにかできたはずだ"と詰め寄ることが正しくないということはわかっている。穂純さんだって、どうにかしなければならないとわかっていながら、重なる寝不足と食欲不振、それによる体調不良で考えることすら億劫になっているに違いない。
 それでも、思わずにはいられない。もっと早く相談してくれていれば。藤波が渡したUSBメモリにでも、助けを求める言葉を忍ばせてくれていれば。辛い思いを長引かせずに助ける心積もりはあったというのに。

「いずれにせよ、連絡は取れそうですよ。犯人は少なくともドイツ語は理解していない」

 藤波が調べた結果がそうなら、正しいのだろう。
 "どうしますか"と振り返って顔を見上げてきた藤波が、顔を引き攣らせた。

「……なんだ」
「いいえ、なんでも。連絡取っていいですか?」
「あぁ。犯人の目的がわからないんだ、上に確認の許可を取るさ」
「じゃあ私が行ってくるよ。必要なら降谷君が電話代わって安心させてあげなよ」

 上司の元へ行った白河さんを見送り、藤波が寄越したイヤホンを身に着ける。
 少し長いコール音の後、"はい"といつも通りの彼女の声が聞こえてきた。

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