04

 物欲しそうな顔をしながら言い出せずに俯く姿に、助け舟を出したくなってしまう。目尻に溜まった涙をそっと指で掬うと、穂純さんの赤い瞳と視線が合った。

「噛んでもいい」
「……ちゃんと抵抗してね」
「あぁ、まずいと思ったら申し訳ないが全力で投げ飛ばす」

 穂純さんは満更でもなさそうな様子で、それでも俺に"抵抗しろ"と告げてきたうえで俺の腕に噛みついた。
 二ヶ所に鋭い牙が突き立てられ、血が流れる隙間を作られる。溢れた血は濡れた舌に掬われて、浅く動く彼女の喉に吸い込まれていった。
 腕の位置が落ち着かず、少し動かさせてもらおうとした。しかし彼女が拘束する力は強く、びくともしない。血を飲んで回復した証拠だった。仕方なく、そのままいることにした。
 夢中で血を啜る穂純さんを眺めていると、寒気と気持ち悪さが襲ってきた。貧血の症状だ。それでも好意を抱いている彼女に触れられていることが嬉しくて、腕を撫でる柔らかい舌の感触が心地良くて、あと少し、と思いながら見ていた。
 穂純さんは満足すると、最後に傷口を舐めて顔を上げた。抉られた傷からの出血はぴたりと止まっている。どうやら止血ができるらしい。
 感心していたのだが、穂純さんは困ったような顔をしてしまった。

「ふ、ふるやさん、なんで止めなかったの……!?」

 どうやら彼女の目から見ても明らかに顔色が悪くなっているらしい。
 ようやく解放された腕を動かしてみたが、指先から肘にかけての感覚がほとんどなくなっていた。

「まだいけるかと思ったんだ。あぁ、腕も痺れてるな……」
「気絶したら余計に止めるものがなくなっちゃうからやめて!」

 動けないほどの拘束が無意識だったことを確認したところで、体調の良くなった穂純さんに支えてもらってソファに腰を落ち着けた。
 プライドが許さなかったが、貧血の体で意地を張って、彼女の前で倒れるというのも避けたい。情けない思いでいっぱいだったが、今の姿では力も十分にあるという彼女の支えを素直に受け取った。
 穂純さんは玄関から置きっぱなしにしていた紙袋を持ってきて、キッチンに運んだ。俺用にお茶を淹れながら、わかりやすい柄のついたコップに紙袋から取り出したパックの中身を注いでいる。まだ足りなかったようだ。穂純さんはすんすんとコップの中身の匂いを嗅いで首を傾げた。
 残った血は冷蔵庫に仕舞われ、テーブルに二つのコップが置かれた。
 隣に座るように促すと、穂純さんは素直に座ってくれた。早速自分のコップに口をつけて中身を飲む穂純さんを眺めつつ、顧客別の売掛金台帳を思い出した。

「……いつもそんなに飲むのか? 結構良い値段だったんだが……」
「んーん。本当は毎日ひとくち飲むぐらいで持つのよ。長い間飲んでなかったせい」
「そうか」

 淹れてもらったお茶を飲んだが、はっきり言って横から漂ってくる血の匂いのせいで味がわからなかった。
 緊張していたせいも、あるだろうか。
 彼女がヴァンパイアだとわかった今、どうしても聞いておきたいことがあった。

「……ひとつ、聞いてもいいか?」
「ひとつと言わず、いくらでもどうぞ。答えられることなら」

 これまでの彼女から感じていた薄い壁のようなものは感じられない。
 今なら許されるのだろうと、遠慮なく聞くことにした。

「君が僕の告白を受け入れてくれなかったのは……ヴァンパイアだからか?」

 コップの中身を飲み干してテーブルに置いた穂純さんは、俺の顔を見た。何かを探るように俺の目を見てきて、それから何か決心したような顔をして口を開く。

「あなたは聡いから、きっとすぐにわたしが血を買っていることに気がつく……。問い詰められてうまくはぐらかす自信も、"化け物だ"って罵られる覚悟もできなかったの……。だったら、今のままでいいと思った。幸せになれなくても、あなたに嫌われさえしなければいいって」

 穂純さんは、申し訳なさそうに遠慮がちな微笑みを浮かべた。

「……わたしは、降谷さんが好き。だからこそ、受け入れられなかった」

 ――あぁ、そうだったのか。
 これまでの彼女の挙動に合点がいった。接触がないように常に距離を置かれたのは、異常に低い体温に気づかれたくなかったから。
 何度"好きだ"と伝えても哀しそうに"ごめんなさい"と返すだけだったのは、俺にヴァンパイアであることを知られたくなかったから。
 すべて、俺に嫌われたくないがためだった。
 気怠さに任せて彼女の膝の上に寝転がり、薄い腹に額を擦りつける。

「君に、嫌われていたわけじゃなかったんだな……」

 彼女が手を所在なさげにうろうろさせているのを感じ取り、身を起こした。
 寂しそうに俯く顔を見て、思うまま穂純さんを抱きしめた。
 ずっと、好意を伝えたことが彼女にとって迷惑以外の何物でもなかったのではないかと悩んでいた。自分の行いが原因で最愛の人に嫌われた――これほど耐え難いことはない。
 寂しい思いをさせてしまった。何もかも捨てさせてしまった。命の危険すら伴う行動を取らせてしまった。――きっと俺は、恨まれている。
 考え抜いて、"顔も見たくない"と言われるまではと、何かにつけて会うように心がけていた。
 それがどうだろう、蓋を開けてみれば、彼女はまったく別の理由で距離を置いていただけだった。彼女が俺に想いを寄せていてくれたとわかっただけで、人ではないという事実などどうでも良くなった。
 端的にそれを伝えると、穂純さんは俺の腕の中で俯いた。

「わたしを見て……怖くはならなかった?」
「驚きはした。だが、俺のために"逃げて"と泣く千歳を見て、恐怖心なんて出てこなかった。俺を殺すほどの衝動を、理性で抑えてくれたんだ……千歳を怖いなんて思わない」

 名前で呼んでみたが、静かに聞き入っているだけで特別な反応はない。
 それだけ、彼女にとって俺に恐れられなかったことは大事だったのだろう。
 遠回りをしてしまったが、彼女が俺の好意を受け取ってくれるのならあとは何でも構わない。

「……触っても、いい?」

 おずおずと聞かれて了承すると、背中にシャツ越しに冷たい手の感触が感じられた。触れるだけの手は、まだ尖った爪を戻せていないから。
 体温のない体を抱き込んでいると、シャツにじわりと濡れた感触が生まれた。独りで、寂しかったのだろう。その寂しさを涙に溶かして流してしまえばいい。小さな嗚咽を漏らしながら泣く千歳が愛おしくて、抱き締める腕に力を込めた。


 ――赤は嫌いだ。
 そのはずなのに、欲望でぎらつきながら俺のために泣き濡れた真っ赤な瞳に見惚れたと言ったら、笑われてしまうだろうか。


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