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大企業の後継者候補暗殺計画を知ってしまってから、三日。
仕事をして気を紛らわせながら、空いた時間には必死に考えた。
助けられるのなら助けるべきだと、わたしの倫理もそう告げている。わかっている、理解している。
だけど、その一人の命を助けることが後で悪い方向に動いて、多くの人が命を落とす結果を招いたらという考えが、それを邪魔する。
どうやって助けるのか以前に、そこで躓いてしまうのだから笑えない。
今日も通訳で思考を中断して、夕方にマンションに戻ってきた。
エントランスでポストをチェックすると、ダイレクトメールの束が入っていた。
部屋に帰ってスーツから部屋着に着替え、ポストの中からまとめて持ち帰ってきたダイレクトメールをチェックする。
これはピザ屋、マンション投資、お寿司、いや要らないなこれ。うんざりしながらひとつひとつ確認すると、真っ白な封筒が混じっていたのがわかった。
危うくダイレクトメールと一緒に捨てるところだった。確認するくせがついていて良かった。いつもより多いからと面倒くさがって捨てなくて良かった。
透かして中を確認してからハサミで端を細く切り取り、テーブルの上に中身を落とす。
ぽとりと落ちたのは、三つ折りにされた紙一枚。
あ、剃刀の刃を入れる嫌がらせとかじゃないのか。
安心しながら、封筒を横に置いて紙を手に取る。
「……なにこれ」
やっぱり嫌がらせだったのかもしれない。
左上に年月日と数字、罫線の間には文章として読めもしない英単語の羅列。
あ、これ風見さんに渡した暗号と同じものか。数日前に自分が同じものを作成したことを思い出した。
警察庁の窓口に預けた封筒を開けた直後の風見さんの気持ちがわかった気がした。ごめんね風見さん。
なにはともあれ、怪文書ではなさそうなので解読しないと。左上に書かれた年月日の為替相場を調べてどの言語に訳せばいいのかを確認して、それぞれの単語の上に翻訳後の単語を書き記す。
パソコンを立ち上げてワードソフトを起動し、その頭文字だけをタイピングして。やっぱり読めないので、金庫から風見さんに送った文書の控えを引っ張り出した。この周りに書いてあるニワトリが、読むべき音を示しているからだ。
要らない文字を削除して、それが終わったら単語と単語の間にスペースを入れて。
ようやく読めるようになった文章は、"今日の夜八時に初めて会ったバーで合言葉にしたカクテルとデザートを注文してください"だった。
わぁ、毎日ポストをチェックしてるの知られてる。ついでに言うなら今日は日帰りの仕事だということも。
逃げるのは得策ではないだろう。それはわかる。
とりあえず夕飯を軽く食べて、バーの雰囲気に合わせて着替え、家を出た。
********************
バーに入ると、馴染みの若いバーテンダーに迎え入れられた。
カウンター席には座らずにカルーア・ベリーとガトーショコラを注文すると、"お部屋に案内しますね"と言われて。
注文した品はすぐに用意されて、トレイを持ったバーテンダーの先導で部屋に向かった。
「風見様、穂純様をお連れしました」
「ありがとうございます」
ノックをして、中から返事が聞こえたところで、バーテンダーが扉を開ける。
風見さんはトレイを受け取ると、バーテンダーにもう一度お礼を言って退出させた。
中に入るように促され、素直に従う。
ローテーブルにはバーボンウイスキーのボトルと二つのロックグラス。そのテーブルを挟むように設置されたソファの手前側の壁際に、降谷さんが座っていた。
向かいのソファに座るようにと言われ、歩を進める。
ドアの鍵をかける音がして、なんとなく用件がわかった気がした。
対面のソファの真ん中に座り、風見さんがわたしの前にトレイを置いて降谷さんの隣に座るのを待つ。
用件はなんとなくわかったけれど、しおらしい態度をとるわけにもいかない。
「こんばんは。警察って暇なの?」
「暇ではないです」
風見さんが即答した。
暇でもないのにわたしが作ったのと同じ暗号を用意したのか。
「あれ作るの大変だったのに」
「いただいたものを参考にさせていただきましたから、時間はかかりませんよ。あれなら差出人が誰か、あなたにはすぐわかると思いまして」
「嫌がらせかと思ったわ」
「数日前に僕と風見もそう思いました」
努めて事務的に淡々と返事をする風見さんを制止して、降谷さんはテンポ良く言葉を返してくる。
風見さんより降谷さんの方が話しにくいと思っていることは、感じ取っているのだろう。
事務的に、必要最低限の言葉のみを投げてくる風見さんには、同じように返せばいい。けれど、巧みに関係なさそうなことも話に混ぜてくる降谷さんには、うっかり口を滑らせてしまわないかと不安になるのだ。
「……今日は何の用かしら?」
笑みを浮かべて降谷さんと風見さんの顔を見る。
降谷さんは無表情、風見さんは険しい表情。どちらも感情は読み取れない。
「急なアポイントで申し訳ありません。……あなたの秘密を、暴きにきました」
「だろうと思った。密談に最適なここへ呼び出して、鍵までかけちゃうんだもの。わたしにだって予想はつくわ」
「逃げられては堪りませんからね。鍵を開ける一秒、二秒。その時間さえあれば、あなたの逃走を封じることは容易い」
「それもそうよね。別にいいわよ、逃げる気はないし。……逃がしてもくれないでしょう?」
せっかくのカルーア・ベリーが氷で薄まっては悲しい。
グラスに手を伸ばし、マドラーでくるりとかき混ぜて、白と赤のグラデーションをピンク一色にする。
「逃げる必要はないと思いますよ」
「?」
言葉の意味がわからず、グラスに落としていた視線を上げる。
話をするなら、まずは喉を潤したい。
ひんやりとしたグラスが唇に触れ、視線だけで言葉の続きを促した。
「あなたは真実を話していた。――信じようとしてくれていたんですね、僕のことを」
ひた、と、グラスを傾ける手が止まった。
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