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 組織からの仕事を受けて、薬物の取引場所の調査をしていた。公安の部下を使っても情報は得られず、徒に時間だけが過ぎていく。
 "探り屋の名折れだな"と思いながら登庁すると、藤波が慌しくモニターに防犯カメラの映像を映し出していた。
 その脇に置いてあるノートパソコンには、テキストファイルが表示されている。
 目を通すと、探っている取引の情報だとわかった。
 プリントアウトのショートカットキーを押し、プリンターを確認して印刷をかける。
 背後から腕が伸びてきたことに驚いて振り返った藤波は、俺の顔を見て口元を引き攣らせた。隠していた、ということは事実らしい。

「事情はあとで聞く」

 今は取引の情報を組織に伝えることが先決だ。
 庁舎を出て、適当なコンビニの駐車場で書類を読み込んだ。
 ロシア語とギリシャ語が使われていること、日本語訳の文体の癖からすると、これを作ったのは穂純さんだろう。
 どこかで薬物の取引の情報を聞いて、それを訳して提供してくれたのだ。探っている情報について伝えておいたことが功を奏したらしい。
 ただ、なぜ俺に連絡が来なかったのかだけはわからない。
 連絡がつかなかったのかとも考えたが、履歴も残っていない。藤波が俺に断りなく消すとも思えない。
 言葉の中に織り込まれていた取引場所の隠語を読み解き、薬物の奪取の実働部隊のリーダーとなる男に連絡をした。

『随分手間取ったじゃねぇか』
「ロシア語とギリシャ語を同時に使うグループだったんですよ。理解できる人物から情報が来るのに時間がかかりました」
『フン、まぁいい、いつでも動けるようにしておいたからな。落ち合う場所は予定通りで問題ねぇ、三十分後に拾いに行く』
「えぇ、そこからの運転は僕が引き受けます」

 合流の手筈を整えてスマホを確認すると、着信履歴が四件入っていた。上司と白河さん、風見、藤波からのもので、いずれも呼出時間は五秒に満たない。
 潜入中の組織に関わることだとは伝えてある。この面子を使って他に伝えたいことがあるとすれば――穂純さんのことだろうか。
 内容から情報提供者が彼女だということはすぐに理解できる。そもそもそんなことは事後に聞いても良い事実のはずだ。取引を目前にして、わざわざこんな連絡を寄越すということは――まさか。
 組織の人間と合流して取引場所に着くと、予想したとおり、穂純さんがいた。白河さんの指示があるのか上手く隠れているが、周辺の人の気配も気になるし、組織の人間に見つかるのも時間の問題かもしれない。それならば。
 ここまで連れてきた数名に断りを入れて、穂純さんが隠れるコンテナに近づいた。

「誰かいますね。出てきてもらえますか? 手荒なことはしたくないので」

 コンテナの陰から、穂純さんが顔だけ見せた。

「安室さん……!」
「穂純さん? こんなところで何してるんです。夜の港に一人でいるなんて、自殺行為も甚だしい。何かありましたか?」

 彼女は"安室透"を一介の探偵だと信じている。"バーボン"は彼女にそう信じ込ませている。
 その設定を維持して言葉を返すと、コンテナの陰に引っ張り込まれた。穂純さんは背後を気にする様子を見せているが、強い警戒ではない。おそらくは彼女が射線上に立っていて、背後にスナイパーが控えているのだろう。抵抗はせずに彼女の前に立った。
 穂純さんはしばらく考えてから、俺の顔を見上げて口を開いた。

「……ちょっと、FBIに捜査協力してて」

 その言葉で、すべてが繋がった。
 彼女は俺と赤井の確執を知っている。奴が所属するFBIに対しても気が短いことを知っていて――故に、白河さんに相談したのだろう。
 公安が必要としている情報を手に入れた、けれどFBIも絡んできてしまった。そこでどうすればいいのか、判断する能力がなかったからだ。

「FBI? もしかして、ここで行われる麻薬取引ですか? 奇遇ですね、僕も同じような目的なんです」

 穂純さんは深く被ったフードの下で、口元を引き攣らせた。
 藤波は白河さんたちと連絡を取っているだろうから、俺に対して後ろめたいところがあるのも知っているのだろう。

「安室さんは探偵だったわよね? 随分危険な仕事もするのね」
「割がいいんですよ、こういう仕事はね」

 何か伝えたいことがあるらしい。
 雑談に応じながら、彼女の様子を観察する。ちら、と人の気配がする方に視線が向いた。

「そうかもしれないけれど、流れ弾に当たりたくないなら、今日のところはここから離れた方がいいわ。特に、トラックに近づいてはだめ」

 "流れ弾"、"トラック"。狙うとしたら、トラックのタイヤか。
 彼女が俺への連絡を躊躇った理由がFBIというだけでなく、赤井が絡んでいるからだとしたら――あの男のことだ、間違いなくトラックを潰すだろう。
 FBIが絡むこの案件に、穂純さんの護衛というかたちで白河さんが協力しているのなら、この件に関してはFBIに捜査許可が下りているということだ。
 公安がこの取引を潰せば、"バーボン"に疑いの目を向けているジンからの目は更に厳しいものになる。それなら、捜査許可を得て大手を振って捜査ができるFBIに取引を潰させればいい。それが白河さんの判断だろう。
 取引への介入には間に合った。しかしFBIと鉢合わせたために手を引かざるを得なくなった。元より"バーボン"の仕事は情報収集だ、ここまでやれば失態にはならない。

「……ありがとうございます。そういうことなら、僕もここに長居はしません。捜査協力をしているということは、護衛が近くにいるんですね?」

 周囲に潜んでいるのはFBIの人間で、穂純さんの近くには白河さんが隠れている。
 白河さんが穂純さんの面倒を見ているのなら、悪い事態にはならないはずだ。

「えぇ、だから心配しなくても大丈夫よ」

 案の定、白河さんへの信頼が窺える言葉が返ってきた。

「それは良かった。……では、気をつけて」

 手を振る穂純さんに背を向け、着信を知らせるスマホを手に取り応答した。

『ソイツが情報の出所か?』
「えぇ、会えば何かしら気になる情報をくれるので、重宝しているんですよ。だから手出しは無用です。……それより、離脱しましょう。FBIが周辺に大勢潜んでいます。おそらくは腕の立つスナイパーも」
『チッ! タイヤを狙われればジ・エンドだ、ジンも小遣い稼ぎ程度にしか考えてねぇ。――退くぞ』

 誘導は上手くいった。実働部隊の判断なら、誰も文句は言わないだろう。
 組織の仕事を失敗させられたことに安堵しながら、現場を離れた。

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