05

 ――"選べない"、と千歳は言った。
 大事なものも命さえも投げうって助けようとした俺のことも、それを献身的に助けてくれた赤井のことも。
 俺が一度千歳を手放したことは、千歳の心に大きな傷を残した。赤井はその傷を埋めるように優しさを与えた。
 傷つけられてもなお捨てきれなかった、けれどまた手放されるかもしれないと怯える恋心。他の男に焦がれてのことだとわかっていても、無茶を止めずに守ってくれた赤井の優しさに溺れていたいと願う恋心。
 千歳はどちらも手に取れず、それを宙に浮かべておくことを選択した。
 何かあったときの連絡は風見に行くようになり、千歳がポアロに立ち寄ったときと、"バーボン"と"キティ"として組織の仕事に出向く以外は、こちらから接触しなければ会うことのない日々。それは赤井も同じで、千歳が友人である灰原哀と会うときに運転手兼荷物持ちにと灰原哀から誘われる以外、千歳から寄っていくこともなかったのだという。
 甘えてもいいとわかっていたから、恋人関係でいる間は些細なことで連絡することを厭わなかった。けれど俺と赤井の告白を受け入れなかった千歳の心には罪悪感が残り、手間をかけさせまいと状況を把握してから風見に連絡をするようになった。

 ――その結果が、これだ。
 再び眠り始めた千歳の頭を撫でた少女は、コナン君に千歳のことを任せると、俺と赤井に向かって"面を貸せ"と言いたげに病室のドアを親指で示した。
 コナン君の苦笑いを背に受けながら、病室を出る。少し離れた休憩用の長椅子があるスペースで、少女は足を止めた。椅子に腰を下ろして腕を組む姿には、不思議と貫禄がある。

「あなたたち、千歳さんの警戒心を解く気はあるの?」

 睨み上げられて、うっと言葉に詰まった。
 少女の言葉は正論だ。警戒心を湛えた瞳が、俺に何も関心を持っていない様子が、酷く心を抉った。他人行儀に接されることにどう反応すればいいのかわからず、いつも通りに接することすらできなかった。
 この少女はコナン君から連絡を受けたときは随分ショックを受けた様子だったのに、病室に来ると普段と何ら変わらない態度で千歳に寄り添っていた。それどころか、千歳を警護する間の世話を引き受けるとまで言ってくれたのだ。
 情けない――なんてものじゃない。

「……すみません」
「あなたたちとの間に何があったか知らないけど、今の千歳さんにはそんなの関係ないの。千歳さんの神経を擦り減らすだけなら、いない方がマシよ」
「ご尤もだな。……すまない」

 少女は大きな溜め息を吐いた。

「千歳さんの性格なら、あなたたちの方がよくわかってるんでしょ」
「……好意を向けられれば、同じだけ返そうとする」
「そういうこと。見知らぬ場所に突然移動して身の危険が迫っていることもわかって……不安で堪らないのに、あれだけ気丈なのはどう考えてもおかしいわ。あなたたちを警戒して弱ったところすら見せられないってとこかしらね」

 返す言葉もない。押し黙った大の男二人を見て、少女は肩を竦めた。

「まぁ、間を取り持つぐらいはしてあげてもいいわ」
「助かるよ……哀ちゃん、でいいのかい」
「好きに呼んでちょうだい。千歳さんのことも長くほっとけないし、戻りま……」

 少女の言葉が止まると同時に、誰かに見られているような感覚がした。
 それは赤井も少女も同じだったようで、同じ方向を振り返る。

「……俺が見てこよう。二人は病室へ」
「わかった。哀ちゃん、急ごう」

 早足で病室に戻り、コナン君に異常がなかったか確認した。
 すぅすぅと静かな寝息を立てる姿に、安堵の溜め息を吐いた。
 しばらくして戻ってきた赤井は、"怪しい人影はあったが逃げ足が早く確認にまでは至れなかった"と言った。

「……ここも危ないかもしれないな。セーフハウスを手配しよう」
「記憶障害があるだけで、怪我はないものね。千歳さんの家に寄るなら、博士の家にも寄ってくれる? 私も荷物を持って行くから」

 風見に連絡をして物件の確保をさせ、医師に許可を取って眠ったままの千歳を連れて車で彼女の自宅に向かった。
 パスワードを知りたがっている以上、千歳を殺すことはないだろう。だが油断はできない。
 宇都宮氏が所有するマンションに地下駐車場があって良かったと思いながら車を停めた。

「車は僕が見てます」
「わかったわ。千歳さん、降りるわよ」
「灰原、後で博士んちで合流する」
「了解。じゃあ後でね、江戸川君」

 着く前に起こされてぼんやりしていた千歳は、促されるまま車を降りた。
 赤井がエスコートして、入り口まで連れて行く。
 千歳は指紋認証となっているロックに触れようとして戸惑って、結局赤井に手を取られてパネルに手を押しつけていた。

「千歳さん、手とか触られるのはあまり気にならないみたいだね」

 一連の様子を眺めていたコナン君が、見ていて感じたことを率直に口にした。

「体の記憶はある程度残っているみたいだ。癖でパネルを触ろうとして、自分が何をしようとしていたのかわからなくなった様子だったしな」
「あの様子だと、準備にちょっと時間がかかるかもね。千歳さん、旅行の趣味もないし出張が多い職種じゃなかったみたいだから。ボクも自分の荷物持ってくるから、千歳さんの準備が終わったら博士の家に向かって」
「あぁ」

 車から降りて走り去っていくコナン君を見送り、風見から入っていた着信に折り返した。

「僕だ」
『降谷さん、セーフハウスの手配ができました』
「ご苦労。今、コナン君が毛利探偵事務所に向かっている。接触して場所を書いた紙を渡してくれ」
『了解。……穂純の様子から、何かわかりましたか』
「いや。今のところ、失くした記憶に触れるようなものはないらしい」
『そうですか……』

 風見の声に深い落胆が滲んだ。
 ワーグナー氏の救出が間に合わなかったこと、気を失う直前に千歳の傍にいたのに何もできなかったこと、それらに責任を感じているのだろう。

『金庫に関しては、引き続きこちらで進めます』
「頼む。敵は待ってくれない、落ち込んでいる暇はないぞ」
『はい!』

 通話を終えて真っ黒になったスマホの画面を見下ろして、自嘲の笑みを浮かべる。
 人のことを言えない。千歳にどう接すればいいのか、未だに測りかねているのだから。
 周辺の道路状況を確認し、風見に指定したエリアまでの道のりに問題がないかを確認する。渋滞や事故の情報はない、大丈夫だ。
 スマホをポケットに仕舞い、エントランスと繋がる出入り口を見遣る。千歳に忘れられたことにショックを受けた筈なのに、"千歳のために"普段通りに接することができている少女の強さが羨ましい。
 一方で俺は千歳のこととなると、どうにも頭のネジが吹き飛んでしまうらしい。だが、しばらく命を預かる以上、こんなことでは危険な目に遭わせてしまいかねない。深く息を吐いて、千歳とどう接していたかを思い返した。

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