03

 目を開けると、真っ白な天井が視界を埋め尽くしていた。
 ……病院、だろうか。倒れた記憶もないけれど、ここが病院ならそうなのだろう。
 随分と寝てしまったのか頭が重い。ぐらぐらする頭を押さえながら何とか起き上がってみた。
 頭の上には"穂純千歳様"と書かれた札。はて荷物はどこに行ったのだろうと考えて、そうじゃない、まずはナースコールを押さないと、という考えに至る。
 枕元に置かれたボタンに手を伸ばしたら、ドアがノックされた。

「はいっ」

 反射で返事をしてしまい、ドアの方を見ると勢い良く開けられた。
 驚いた顔をして入ってきたのは、柔らかそうな金髪を揺らす、垂れ目のイケメンだった。……なんだか、見覚えがある雰囲気の人だ。

「良かった、目が覚めたんだな」

 ほっとした様子で言いながら、ゆっくりと歩いて近づいてくる。
 どうやらとても心配をかけてしまったらしい。

「あ、あの……わたし、もしかして電車の中で倒れたんですか……?」

 状況把握に努めようとしたわたしが投げかけた質問を聞いた彼の顔から、すとんと表情が抜け落ちた。

「は……?」
「えっと、ごめんなさい、病院にいるからてっきり倒れたんだとばかり……」
「もしかして、何も覚えてないのか……?」
「……?」

 険しい顔で言われるけれど、何か覚えていなければならないことがあったのかもわからない。
 怖くなって身を強張らせてしまう。
 ポケットに手をやった動きにさえ過敏に反応してしまって、彼の眉間にシワが寄った。
 彼の手の中にあったのはスマホで、彼は反対の手で指差しながら落ち着いた声を降らせてきた。

「……君の目が覚めたら連絡が欲しいと言われてるんだ、少し電話をしても?」
「どうぞ」

 両親か、会社だろうか。
 電話をかける姿をじっと見ていると、気まずそうに逸らされた。

「僕だ。彼女の目は覚めたんだが……少し様子がおかしい。病室まで来てくれるか。……あぁ、二人一緒に」

 端的に伝えて通話を終えた彼は、病室の壁に立てかけられたパイプ椅子を持ってきてベッドの傍に置き腰を下ろした。

「僕のことはわかるか?」
「……えっと」

 わかる――と言っていいのだろうか。
 何も答えられずにいると、彼は首の後ろを掻いた。

「……質問を変える。今日は何月何日だ?」
「え? 倒れてから日を跨いでないなら……9月7日」
「やはりな……」

 何が"やはり"なのか。
 話についていけず、困惑することしかできない。
 考え込む彼を見ていると、また病室のドアがノックされた。返事を制されて、彼がドアを開けて訪れた人を確認する。
 許可をもらって中に入ってきたのは、やはり見覚えのある顔の子どもと大人だった。

「安室君、千歳の様子がおかしいとはどういうことだ?」
「今日の日付を9月7日だと言った。この意味……二人ならわかるはずだ」
「! それって……、米花駅に来てからの記憶が……」
「あぁ」

 "安室君"、"米花駅"。見覚えのある顔。
 目の前にいるのは"江戸川コナン"、"安室透"、"赤井秀一"で間違いないのだろうか。
 赤井さんと思しき人がわたしのことを"千歳"と親しげに呼んでいることも気になってしまう。
 ふと、コナンくんがこちらを見てベッドに近寄ってきた。ベッドに両手をついて顔を見上げてくる。

「千歳さん、アメリカの首都は言える?」
「ワシントン」
「7×8は?」
「56」
「ここに自分の名前を書いて?」

 手帳と芯の出ていないボールペンを渡された。手帳を開いて真っ白なページを見つけ、ボールペンの芯を出して"穂純千歳"と書く。

「……まるでわたしが記憶喪失だとでも言いたげな質問をするのね?」

 手帳とボールペンを返しながらからかうように聞いてみると、コナンくんからは真剣な表情を向けられた。

「うん。だって千歳さん、9月7日から先の記憶がないからね」
「何を言っているの? 今日が9月7日なんだから、その先の記憶なんてあるわけが……」
「違うんだよ、千歳さん。……残業が続いていた仕事、切り上げて定時で帰れることになったんだよね?」

 言われてどきりとする。確かに決算のために忙しくしていたけれど、電車の中で倒れただけでそこまでの話なんてわからないはずだ。

「! なんでそれを……初対面のあなたが……。会社に連絡した……?」
「ううん、違うよ。これ、千歳さんの荷物。見て」

 見覚えのない鞄だ。趣味には合っているけれど、こんな高そうな物をなぜ?
 恐る恐る開けて、中身を取り出す。
 スマホが三台。二つは好みのデザインで、一つは野暮ったいデザインの物だ。好みのデザインのスマホのうち一台は、いつも使っているスマホと同じようにロックを解除できた。もう1台は虹彩認証、残った物は特にロックがかけられていない。そもそも、なんで三台もあるんだろう。
 財布もまったく覚えがないのに、中に入っている物はすべてわたしの名義だった。クレジットカードも、見慣れない国保の保険証も、運転免許証も。
 持った感覚には妙に覚えがある。それなのに、わからない。

「わかる気は、するの……これがわたしの物だって。手に馴染むから」
「うん」
「でも、どうして……?」
「証明できるものは、何もないんだ。千歳さんが"もう要らないから"って、全部処分したから」

 コナンくんの声は優しい。
 まるで、わたしが庇護の対象みたいだ。
 それだけで、この子への警戒心は少し薄れた。傍らに立つ大人二人が頭のいいコナンくんに任せて口を閉ざしているのも、これが目的だったのかもしれない。

「千歳さん、自分が勤めてる会社について調べてみて」

 言われるがまま、ブラウザアプリを起動して検索欄に会社の名前を打ち込む。いつもなら検索結果のトップに出てくるのに、似た名前の、九州の会社のホームページが引っかかるだけで結果は得られない。

「……住んでたところ、も」
「うん、いいよ、好きなだけ調べて」

 住んでいたアパートの名前。マップに打ち込んだ実家の住所。もしもこれがわたしを騙すためのものなら――そう思って東京タワーやスカイツリー、有名な施設の名前を検索してもダメだった。どれも望む結果は得られず、心の中に焦燥が湧き上がってきた。
 勤めていた会社も、自宅も、実家もない。それどころか、知っている場所すら――。
 胃の底が冷えるような心地がして俯いていると、褐色の手が指先が冷たくなったわたしの手を包み込んできた。
 顔を見ると、安心させるように微笑んでくれた。

「……僕の名前はわかるか? 三つあるんだ」
「安室透、バーボン……、――降谷、零」
「そこにいる男は?」
「……赤井秀一。でも、あの……記憶にあるより若いような……? というより、出歩いていいんですか……?」
「今の状況は色々と不都合があってな。変装しているんだ」

 赤井さんは徐に着ているパーカーのフードを被った。前髪を下ろしているし、目立つ目元の隈も隠しているし。それでフードの陰に隠してしまえば、治安の悪い地域に居そうな男にしか見えない。

「こうすればわからないだろう?」
「……そう、ですね」

 困ったように、苦々しく微笑まれる。
 なんだか居心地が悪い。
 助けを求めてコナンくんを見ると、彼は苦笑いを浮かべて頭の後ろを掻いた。

「千歳さん、灰原と仲が良いんだ。もうすぐ来るから、それまでちょっと頭の中を整理したら? 安室さん、何か飲み物買ってきて」
「あ、あぁ」
「赤井さんも、喫煙所に行ってきたら? 千歳さんのことはボクが見てるからさ」
「……しかし」
「大丈夫だよ! 何かあったらすぐ連絡するから」

 少年に追い出されるようにして病室を出ていった二人の背を見送り、ほっと溜め息をついた。

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