01

※グロテスクな表現有


 タクシーから降りて、エドに紹介された相手との待ち合わせ場所の目印となっている建物の前に移動する。
 エドからもらった相手の顔写真を手に辺りを見回す。

≪ミス・穂純、こっちだ≫

 きょろきょろしていたわたしを見兼ねたのかかけられた声の方を向くと、写真のとおりの顔をした中年の男性が手を振っていた。
 早足で近寄ると、相手は手を差し出して握手を求めてきた。

≪お待たせして申し訳ありません、ミスター・ワーグナー≫
≪いやいや、時間通りだよ。少し移動するがかまわないかね?≫
≪えぇ、もちろん≫

 エドが"頼みを聞いてやってくれ"と頼んできただけあって、人の良さそうな男性だ。
 何か"訳あり"のような気もするけれど、内容を聞いてからどうするか判断すればいいだろう。
 彼の執事らしい男性が運転する車に乗って、彼が所有するマンションへと連れて行かれた。
 エレベーターを使って自分で使用しているらしいフロアに着くなり、彼は執事には席を外すように言って部屋の中へ案内してくれた。

≪……人払いを?≫
≪あぁ。できれば彼に聞かれたくはない≫
≪そうですか≫

 絵画の飾られた廊下を進み、質のいい絨毯と重厚なアンティーク家具が上品に並べられた応接室へと入る。
 窓に対して垂直に置かれたソファに座り、鞄を足元に置いた。わたしから見える方の壁は一部が胸の高さで長方形にへこんでいて、ガラス細工が並べられている。その横にもアンティーク調の棚があって、各地のお土産品らしい物がセンス良く並べられている。
 どことなく信用しきれなくて、出されたお茶は口をつけるフリをしてやり過ごした。

≪さて、君に頼みたいことなんだが……今から言う数字とアルファベットの羅列を記憶してもらいたい≫
≪記憶……?≫
≪文字にも音声にも残すんじゃないよ。そうすることで君は守られる≫
≪ミスター、一体どういう……。事情を教えてください。そうでなければ協力はできません≫

 まだ、彼と契約は結んでいない。エドに紹介されて話を聞きに来たけれど、仕事を引き受けるかどうかは別の話だ。
 ワーグナーさんは眉を寄せて、渋々といった様子で足元から金属の箱を引っ張り出した。
 黒光りする頑丈そうな金庫だ。四方が三十センチほど、高さは四十センチほどの箱で、下半分に扉が、上半分に半透明のフタがついた開閉式のパネルがある。パネルはパソコンのキーボードと同じように数字とアルファベットのボタンが配置されていた。

≪仰る数字とアルファベットの羅列は、これを開けるパスワードですか≫
≪その通りだ。この金庫は少々特殊でね、正規の方法以外で開けようとすると中身が燃やされる仕組みになっている≫
≪……具体的には? 物理的に破壊することはもちろんのこと、ハッキングも考えられるでしょう?≫
≪これにはインターネットに接続ができる仕組みはない。まぁネジを回してここを開けてもいいが、何か違うコードを挿された瞬間に仕掛けが機能する≫

 どうやら上半分には機械が詰まっているらしい。確かに真上を開けることはできるようだけれど、話が本当なら触れるべきではない場所なのだろう。

≪……そうまでして守られているものはなんですか?≫
≪"鍵"だ≫
≪……何の?≫
≪あるプログラムの管理権限を得るのに必要な"鍵"が記録されたUSBだ≫
≪それを、わたしにどうしろと?≫
≪警察に届けてほしい。エドガーから聞いたよ、君は日本とアメリカの警察に仲の良い知り合いがいると≫

 警察に届ける。何かの証拠品? 少なくとも、この箱の中身が犯罪に関わるものであることは間違いない。

≪その、"あるプログラム"の内容は≫
≪"洗濯機"だよ。"資金洗浄"という言葉はご存じかな≫

 マネーロンダリング――不正に得た収益の出所を誤魔化すための手段だ。

≪やる側も、操作する側も、その手法は進化し続けている。プログラムを使っているはいいが、やはり更新も必要でね。その作業に、この中に入っているUSBメモリが必要となる≫
≪更新できなければ……先に進化した"捜査する側"に捉えられる≫
≪その通りだ。だからそのプログラムを使う者もこれを欲しがるし……警察は、尚のことだろう。しかしこれをそのまま持って行くのは危険すぎる。あればいいだけのものだ、使い方は誰に聞く必要もない≫

 つまり――奪われたら最後、命も失うことになる。
 だからUSBメモリを入れた箱に"鍵"をかけた。それを欲しがる者は強引な手段に訴えられない、そういう鍵だ。
 仮に金庫が奪われたとしても、開けられなければ意味はない。パスワードを知っている者が、口にしない限りの話ではあるけれど。

≪事情は分かりました。最後に、ひとつだけ≫
≪なんだね?≫
≪あなたはこれをどこから手に入れたのですか≫
≪BKAの知り合いが、これをすれ違いざまに渡してきた。事情はその手紙に書いてあったが、燃やしたよ。……その知り合いは、ドイツで既に殺害されている≫
≪……!≫

 彼も危険を覚悟のうえで、この話をわたしにしたのだろう。
 口角を上げて彼の顔をまっすぐ見据えると、ワーグナーさんは驚いた顔をした。

≪わかりました。その仕事、お引き受けします。報酬は結構。このUSBメモリを手にした方から毟り取りますわ≫
≪っ、そうか、……引き受けてくれるのか≫

 彼は安堵した様子で息を吐いた。
 一言断って髪を下ろし、念のため窓から見えないように口元を隠す。ワーグナーさんも口元に手を添えて、窓から隠した。
 聞き取った文字をそのまま返すと、"合っている"と頷かれる。
 確かに覚えた。この箱を開けられるのは、ワーグナーさんとわたしだけ。
 視線を金庫からワーグナーさんの顔へと戻した瞬間、彼の頬に当たる赤い光が目に入った。

≪狙撃――≫
≪何!?≫

 勢いよく窓を振り向いたワーグナーさんの頬を、銃弾が掠めた。遅れて床に砕けた窓ガラスが散らばる音がする。

≪下のフロアに執事がいる、この金庫はいいから一緒に隠れていなさい!!≫

 彼はバタバタと窓に駆け寄って、カーテンを閉めた。
 何発か撃たれた弾は、ガラスを巻き込んでカーテンに当たる。

≪早く行くんだ!≫

 叱声に弾かれるようにして鞄を引っ掴んでドアを開け、目についた階段を駆け下りた。
 ドアを開けると、執事が驚いた顔をしてわたしを見た。

≪どこか隠れられる場所はありませんか? ミスター・ワーグナーの命を狙う人間がここに来ているんです!≫
≪何と! 旦那様は……≫
≪このフロアにあなたがいるから、一緒に隠れていろと……!≫

 執事は息を呑んで、わたしを隠し部屋へと案内してくれた。
 どうやら強盗対策で用意した部屋らしい。部屋にある物を盗られても、命さえあればなんとかなる――分散して保有しているがゆえの考え方だとも思うけれど。
 彼は天井を開けるとそこからハシゴを下ろし、先に上ってからわたしを引き上げてくれた。そしてハシゴを回収して、天井を閉める。

≪ここは応接室のインテリアを置くスペースの下なのです≫
≪あの場所の……≫
≪旦那様は、ここへ来られるでしょうか……≫

 執事が心配そうに呟く。
 ワーグナーさんは、ここには来ない。そうでなければあの安堵は、狙撃に対する冷静さは、わたしと執事の命を優先するあの言葉は――。
 鞄からスマホを出して、音が出ないように設定し直した。執事も同じようにする。
 それから風見の電話番号を打ち込んで、通話状態にした。応接室の方向を教えてもらって、壁に耳をつけながら。

『風見だ』
「穂純よ。風見、助けて……!」

 電話の向こうで息を呑む音がした。わたしがこんな切羽詰まった連絡をすることなんて久しくなかったからだろうか。

『何があった? 場所は?』
「犯罪の証拠品を格納した金庫を開けるパスワードを教えられたの、それを狙った人間が狙撃してきた。場所は……」

 住所なんてわからない。
 執事の耳に電話を当てて、このマンションの場所を伝えるようにお願いした。

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