07

 カウンセリングを嫌がる理由のひとつは、自身が"正常だ"と思い込んでいることだ。
 千歳はその例に当て嵌まり、時間がかかるのが嫌だと言って拒否反応を起こしていた。
 翌朝には元気になっていたが、あの日の様子はとても見ていられたものじゃない。白河さんが雑炊に睡眠薬を仕込んだのも、無理矢理休ませるためだった。


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「穂純ちゃん、時間かかってるねぇ」

 汚れた服の処分を風見に頼みに行った白河さんが戻ってきて、テーブルに頬杖を突きながらぼやいた。

「……刺激の強いものを見てしまったので」
「何」
「首から上を蜂の巣にされた人間です」

 白河さんは目を剥いた。その反応も無理はない。

「なんつーグロいもの見せてんだ!」
「そのうえ死体からサブマシンガンの弾を奪えとジンに強制されていましたから……」
「それは駄目なやつだね。降谷君様子見てきて」
「……買い物を頼まれてくれますか?」

 手が血で濡れたことをひどく気にしていた。
 もしも嫌な予感が当たるのだとすれば、執拗に手を洗ってネイルもぼろぼろにしている可能性が高い。

「ん、いいけど」
「ネイル用のリムーバーとコットン、あと適当にネイルポリッシュを買ってきてください。ベースコートとトップコートも。それと氷と保湿クリーム」
「注文多いな!? シール買ってきていい? 穂純ちゃんがよく入れてるちっちゃいお花可愛いんだよね」
「任せます」

 俺と白河さんの予想は一致しているのだろう。すぐに理解して買いに出てくれた。
 脱衣所に行き、浴室の中の音を確認する。シャワーの音はしていないが、何かしら音はしているので気を失っているということはないだろう。
 引き戸を開けると、後ろを向いた肩がびくりと跳ねた。すぐに目に入った、座り込んだ足は擦り過ぎたのか真っ赤だ。
 千歳が振り返って、昏い目で顔を見上げてきた。明らかにそうとわかるほど涙を溢れさせて、ひりつくだろうにボディソープがついたタオルを握り締めている。

「零さん……?」

 浴室に入ってきた理由を問い詰めるというよりは、俺が"零さん"であることを確かめるような響きだった。
 あの場所で、死体に何の反応も見せない俺を見て、千歳は少し怯えた様子を見せていた。
 確かに今まで、千歳と一緒にいる状態であんな戦闘の場に居合わせたことはない。"バーボン"に対して、恐怖心を持ってしまったのか。
 そこまで推測できれば、対応は簡単だ。

「ん? 逆上せたんじゃないかと思って様子を見に来たんだが……何かあったか?」

 "安室透"を出さないように、しかし千歳の知る優しい俺を意識して声をかける。
 ゆっくりと屈んで視線の高さを近づけた。
 泡の隙間から見える指は、ネイルが剥げてぼろぼろだ。予想に違わない行動を取ってしまったのだと、胸が痛んだ。
 千歳は不安を顔に浮かべて、両手を見せてきた。

「手と足が……赤いの、どれだけ洗っても消えないの……」

 フラッシュバック。幻覚症状。脳裏をちらついた単語に、ずきりと鳩尾のあたりが痛む。
 組織の仕事を請け負えば何が待ち受けているかわからない――覚悟はしていると言ってくれたが、千歳の心はそれに耐えられなかった。
 タオルを取り上げて、手で泡を退かして千歳の手を確認する。足と同じように、擦り過ぎて赤くなっていた。

「もうやめるんだ。擦り過ぎでこんなに赤くして……ネイルもぼろぼろじゃないか」
「でも……っ」
「風邪をひくから、一旦上がろう。な?」

 どうにか宥めて水で手足を洗わせ、脱衣所に引っ張り出すことができた。
 バスタオルで髪と体についた水を拭ってやり、着る物を手渡す。手足を頻りに気にしたまま言われた通りにするだけで、羞恥心も働いていない。
 やることを与えて急いでシャワーを浴び、髪を乾かしてもらいながら"千歳は汚れていない"と言い聞かせた。
 手足を冷やしている最中に整理のつかない感情を吐き出してくれただけ、まだ良いのだろう。
 睡眠薬入りの雑炊を食べさせ、食後にすぐに歯を磨かせて、ぼんやりする千歳の手足に保湿クリームを塗ってやりながら白河さんを見送った。
 布団に入るとすぐに眠り込んだ千歳の寝顔を眺めながら、白河さんに電話をかける。

『どうだった?』
「"手と足が赤くなって、洗っても消えない"……と」
『さっきの降谷君との話から考えると、"人殺しに加担したから血で汚れた"、ってことなんだろうね』
「えぇ。千歳はストレスから不眠になることがよくあるようだから……」
『医療機関に任せるのが吉だね。予約取れるように連絡先送っとくよ』
「お願いします」

 千歳に対するケアについて少し相談して、通話を終えた。


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 頑なにカウンセリングを拒んでいた千歳の家を、三日ほど空けて訪ねてみた。
 出迎えてくれた千歳の目元には隈ができていて、目にも生気がない。眠れなくなっていることは明らかだった。

「……だから言っただろう」

 千歳は頷いて、ぐすぐすと泣きながら"ごめんなさい"と謝った。
 説教をしたいわけじゃない。謝らなくていいからと宥めて、千歳を寝室に連れて行った。
 腕の中に閉じ込めて、安心感を覚えさせながら寝かしつける。薬を乱用するのは望ましくない。これから医療機関にかかるのだから、検査に引っかかりでもしたら面倒なことになる。昼寝をさせつつ、夜は千歳の家にいられるように仕事を調整した。
 予約が取れたのが最短で一週間先だったが、それでも千歳には長かっただろう。眠りが深くなるようにいろいろと手を施して、毎晩付き添った。それでもあまりにも眠れないと嘆くので抱き潰して気絶させるようなかたちで眠らせたこともあった。
 待ちに待ったカウンセリングでは、臨床心理士からの聞き取りの後、当然のように医師に診てもらうように言われ、睡眠薬を処方されることになった。
 夢も見ないほど深く眠ることができれば、不眠も解消する。千歳は少しだけ気が楽になったようで、約束を守って連れて行ったビュッフェでは好物のチョコレートを使ったスイーツを存分に堪能していた。

「透さん、これすっごくおいしい」
「気に入りました? お土産に買って帰りましょうか」

 屈託なく笑う千歳からは、あの日の手負いの獣のような昏さは感じられない。
 生活圏から離れた場所であるからかにこにこと笑う様子が可愛くて、頬が緩む。

「どうしたの?」
「ん? 可愛いな、と思って」

 本心からの言葉に、千歳は顔を赤くした。
 幻覚を見て怯える様子も、眠れずに俺に縋るしかなかったところも、ひどく怖がらせてしまったのに無垢に笑いかけてくるところも、愛おしくて仕方がない。
 また縋られたいという仄暗い願望を押し殺して、ジンからの通訳の仕事の依頼のメールに"取引相手が出向いてくれるならいいですよ"と返信した。


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リクエスト内容:切甘
黒の組織or警察関係で、夢主と降谷が戦闘有りの事件に巻き込まれる


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