05

 手を引かれながら歩いて、近くのマンションに連れていかれた。
 オートロックのはずのドアが開くと、彼は気にせずに入っていく。階段を使って三階まで上がり、ある一室の前に着くと玄関のドアが勝手に開いた。

「?」

 部屋に入ると、白河さんが待っていた。
 ドアを閉めて鍵をかけると、零さんが溜め息をついた。

「お疲れ。あちゃー、服ぼろぼろじゃん」
「爆発した建物に千歳が閉じ込められたので炎の中を走り回っただけです」
「穂純ちゃんも大変だったね!?」

 玄関に敷かれた新聞紙の上で靴を脱ぐ。
 ブーツは足元が赤黒く染まっていて、それを見た白河さんは訝しげな顔をした。

「……何かあった? 火事だけじゃないよね」
「建物内で戦闘が少々。ジンとウォッカがサブマシンガンで射殺した敵の間を歩いたので、汚れたみたいですね」

 淡々とした返答だ。
 白河さんは気にした様子もなくわたしが脱いだ靴を新聞紙で包んで大きな紙袋の中に放り込んだ。

「穂純ちゃん、下着以外全部脱げる? お風呂入りなよ」
「はい……」

 脱いだものは全部紙袋の中に放り込まれた。
 案内された脱衣所には替えの服が用意されている。目の細かい洗濯用ネットに下着を入れて、浴室に入った。
 明るい場所で改めて見ると、手袋で拭ってもらっただけの手には血がこびりついていた。
 男たちのぐちゃぐちゃになった顔が脳裏を過って、息が詰まる。
 水に近いぬるま湯で溶かしながら落として、ボディソープでも洗った。
 濡れても使えるタイプのクレンジングオイルでメイクを落としてから、全身を洗って湯船に浸かった。
 緑色の入浴剤は、血の色と正反対で少しだけ心が落ち着く。あまり長湯をしてもいけない。体が温まったと感じたところで湯船から出て、シャワーを浴びて入浴剤を落とした。
 飛沫を避けるために閉じていた目を開ける。ぱちゃ、と濡れたタイルを踏む足音が血の絨毯の上を歩いた感触を想起させて――手足に血がこびりつく光景が、頭から離れなくなった。
 焦燥に駆られて、ボディタオルで手を洗い直す。それでも、赤黒いものが指先にこびりついた感覚が消えない。
 涙が溢れて、視界が歪む。あぁちがう、ころしたのはこちら側で、奪ったのはわたしで……。
 背後でカララ、と浴室の引き戸が開けられる音がした。
 振り返ると、彼が驚いた顔をしてわたしを見ていた。Tシャツと短パンというラフな格好だ。

「零さん……?」
「ん? 逆上せたんじゃないかと思って様子を見に来たんだが……何かあったか?」

 優しく笑って言いながら、屈んで視線を合わせてくれる。
 ちらりと手に視線が向けられたのがわかった。
 おかしいとわかっている。でも、自分ひとりではどうにもできない。

「手と足が……赤いの、どれだけ洗っても消えないの……」
「……っ」

 零さんは痛みを堪えるような顔をして、わたしの手からタオルを奪い取った。

「もうやめるんだ。擦り過ぎでこんなに赤くして……ネイルもぼろぼろじゃないか」
「でも……っ」
「風邪をひくから、一旦上がろう。な?」

 零さんに諭されて、不快感に蓋をして浴室から出た。
 髪と体を拭かれ、用意してくれていた服を着る。

「洗面所にドライヤーと化粧水がある。髪をちゃんと乾かして、スキンケアが終わったら部屋にいてくれ。大丈夫だ――千歳は汚れてなんかいない」

 頷いて、何も考えないようにしながら言われたとおりにした。
 白河さんは出かけているのか汚れた衣類の回収だけして帰ったのか、いなかった。
 ソファに座ってぼんやり待っていると、零さんは短時間で出てきた。髪が濡れていること、服を替えていることから、彼もシャワーを浴びてきたのだとわかる。濡れてまとまった毛先からぽたぽたと水が落ちて、肩にかけられたタオルに落ちていた。

「髪、まだ濡れてる」
「千歳が心配ですぐ出てきたんだ。ドライヤー、やってくれるか?」
「うん……」

 ドライヤーを持ってきてくれた零さんは、ソファの前にあぐらを掻いて座った。行き場のなくなったわたしの足を肩車をするみたいに自分の肩にかけさせて、寄りかかってくる。

「熱かったら言ってね」
「あぁ」

 零さんの柔らかい髪を手で梳きながら、風を当てていく。
 徐に足を触られて、まじまじと見られた。優しく足の甲を撫でられて、くすぐったさに膝が震える。

「汚れてなんかいないじゃないか。あのブーツも防水だったんだ、汚れているはずがない」
「……ほんとう?」
「あぁ、本当だよ。でも洗いすぎて赤くなっているのは確かだ。冷やした方がいいな」

 零さんの髪の間を通る指は、ネイルが剥げてしまっている。これもごしごしと洗ってしまったせいだ。
 落ち込みながら零さんの髪を乾かしていると、玄関から物音がした。

「ただいま。降谷君、頼まれた物買ってきたよ」
「ありがとうございます」

 白河さんは零さんとわたしの体勢をからかうこともなく、ドラッグストアの袋をテーブルの上に置いてキッチンに向かった。
 髪を乾かし終えると、ドライヤーを戻してきた零さんは袋の中を漁り始めた。
 出てきたのはコットンとネイル用のリムーバーだ。零さんはそれらを準備すると、隣に座ってわたしの手を取った。

「手も綺麗じゃないか。剥げたネイルだけ綺麗に落とそうな」

 コットンにリムーバーを含ませて、爪を撫でられる。隙間まで拭われて、いくらか指先がすっきりしたような気がした。
 袋に氷水を入れた物を足に載せられて、手も洗面器に入れた冷水に浸された。
 零さんの顔をじっと見ていると、不意に視線が合う。

「どうした?」

 優しく聞いてくれる零さんの目はいつものもので、昼間に見た冷淡さの滲む蒼ではない。

「……いつも、あんなのを見てるの?」

 零さんは目を細めて、頭を撫でてきた。

「いつもじゃないさ。情報収集が主な仕事で、戦闘に直面することは滅多にない。今日だって、"キティ"に付き添っただけで相手が英語でも話せれば行く必要はなかったしな。……怖かったか?」
「怖かったけど……そうじゃなくて。ジンとウォッカが人を殺すのを見て、わたしも間接的にそれを手伝って……人を殺すことは間違ってるのに、殺さないと死ぬしかないのもわかってて。罪悪感もあるの、でも……零さんとわたしが生きていられることに、安心する部分もあって……どう思うが正しいのか、わからなくなっちゃった……」

 言葉にすると、自分の考えがどれほど支離滅裂かわかる。
 けれど零さんはそれに対して怒ることもなく、わたしの肩に額を載せた。

「それが正常だよ。殺すのは正しくない、でも死にたくない――それが、普通だ。あの場で何も言葉をかけてやれなくてごめんな……」
「……"バーボン"がそうするのは不自然だから、でしょう?」
「それもあったが、俺の口から"手伝え"なんて言えなかったんだ。千歳は"生きている世界が違う"とはっきり感じ取ったはずだ……俺までジンと同じようなことを言ったら、千歳は俺を怖がるんじゃないかと考えて……何かあったときに真っ先に助けられるように、伸ばした手を千歳が迷わずに取れるように、何も言わないでおく必要があった。ガラスを割った後、千歳はすぐに脱出してくれた。正解だったと思ったよ。本当に……あのまま焼け死ぬようなことにならなくて、良かった」

 掠れた声は、泣いているのではないかと思ってしまうほど弱々しい。
 零さんの肩越しに見た白河さんの表情も暗く沈んでいて、自分がどれほど危険な状況に置かれていたかを自覚することになった。

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