02
最悪の場合には乗り捨ててもいいらしいセダンに乗って、取引相手が所有する建物にやってきた。
外観は廃ビルだけれど、中に入ると綺麗にしていることが窺える。
ジンが先頭を行き、薬物が入ったバッグを抱えたウォッカが後に続く。その後ろを、バーボンに手を引かれながらついて歩いた。
エントランスで出迎えられて、応接間に案内された。フードを脱ぐと、バーボンに手櫛で髪を整えられる。応接間に着くと、見るからに高級品だとわかるスーツに身を包んだ男に迎え入れられ、通訳だという男と対峙した。
場違いな格好をしたわたしを目に留め、相手のボスは顔を顰めた。
≪お嬢ちゃん、ここはレジャーランドじゃないんだぜ? 来る場所を間違えてるよ≫
次いで向けられたのは嘲笑だ。彼らの国の言葉で言われ、ボスを睨む。
裏社会を生きている相手にとっては、"反抗的な目"程度にしか思われないだろう。
≪遊びに来てない。仕事で来た≫
ボスと通訳の男は、わたしが彼らの母国語を話したことにひどく驚いた様子を見せた。
バーボンに顔を覗き込まれる。ウォッカもこちらを気にしているのがわかった。ジンだけは、相手から視線を逸らさない。
「相手はなんと?」
「"ここはレジャーランドじゃない、来る場所を間違えてる"って。"遊びに来てない、仕事で来た"って返した」
「それはそれは」
通訳の男はわたしたちの会話を耳打ちでボスに伝えている。わたしには、ある程度聞き取れた。忌々しそうな目で見られて、バーボンの手を強く握った。
「どうぞお座りください」
入り口の扉に向かい合うソファを勧められた。ジンがずかずかと進んでいくのでついて行って、バーボンにエスコートされながらジンの隣に腰を下ろす。
ジンはどちらの話もわたしに訳させたかったようだけれど、その案は当然受け入れてもらえず、ジンの言葉をわたしが、相手の言葉を相手側の通訳の男が訳すことになった。
「……あんまり汚い言葉使わないでよ」
「保証はしねぇ」
こちらは薬物を持ってきたし、相手は現金を用意している。あとは金額の擦り合わせだけ、というところまで来ていると聞いた。
ジンから持ち出す話も車の中で聞いていたので、同時通訳も苦ではない。相手から聞く話も、ジンはボスだけを見てあくまでボスを話し相手として対峙していた。一方で、相手は通訳を使うのが初めてなのか、同時通訳を望んできた割にはもたついていて、ボスも実際に言葉を聞き取れるわたしの方しか見ない。
テンポが悪い上に、話す相手を間違えていて、ジンを苛立たせている。横目で見たジンの顔は普段以上に人相が悪くなっていて、相手もそれに気がついたのか灰皿を勧めてきた。
ジンは苛立ちを隠さずに煙草を吸い始める。そしてソファから立ち上がって、背後の窓際に立った。いったん休憩することになったのはいいけれど、ちょっと暇だ。
ふぅ、と溜め息を吐いていると、横からひょいとアークロイヤルの箱が差し出された。白い手袋に覆われた手の持ち主の顔を見上げる。
「吸いますか?」
バーボンがにっこりと笑って小首を傾げた。
「……いいの?」
「手持無沙汰でしょう。ブレイクタイムです、世間話をしても咎められません」
つまり、相手の態度をどうにかしろと。
煙草を一本口に咥えると、すかさずライターの火を近づけられた。久し振りの苦みを味わいつつ、深呼吸をして心を落ち着けた。
≪通訳をするのは初めて?≫
尋ねると、通訳の男は頷いた。日本語を勉強したはいいけれど、通訳ができるほどのレベルには至っていない、ということらしい。
≪英語は? あのひとも話せる≫
首を横に振られた。さぞかし日本では不便な生活を強いられているのだろう。
≪日本に拠点を置きたいんだ。そのためにもあんたたちとは継続的に取引をしていきたい≫
≪なら、ちゃんとジンと話して。あなたのボスは"取引の相手"を見ていない≫
話を聞いていたボスは、わたしを射殺さんばかりに睨みつけてきた。
≪わたしは何でもいいけどね。通訳するのが仕事だから。このままだと、取引ルートより先にあなたたちの頭にトンネルが開通する≫
不機嫌になったジンに銃弾で頭をぶち抜かれても文句は言えない、という忠告。
そんな光景を見たいわけではないし、ジンも取引が反故になることを望んでいるわけではない。ちょっと態度を改めさせろ、と猶予をくれているあたりがその表れだろう。
ボスと通訳の男が話をしている間に、バーボンに会話の内容を伝えた。
話が終わったので煙草の火を消すと、ジンがソファに戻ってきた。
今度はボスもジンの方を見ながら話をしている。テンポは悪いままだけれど、ジンは苛立ちを見せなくなった。
金額の交渉には手間取ったけれど、概ねすっきりと話はまとまった。ウォッカが薬物を渡し、交換で受け取ったアタッシュケースの中身をバーボンと一緒に検める。
ふと、廊下の方に意識を向けて、やたらと人の足音が多いことに気がついた。
≪ジン、ドイツ語わかる?≫
≪なんだ≫
小説でジンがドイツ語を使っていたことを思い出し、小声で問いかける。すぐにドイツ語での返事がされた。
本来のわたしの仕事でも、ドイツ語はたくさん使う。よく使う言語で訊いてみて、たまたまジンに通じたのだと言えば疑われもしないだろう。
≪廊下、人が増えた? 気がする。近づいてくる足音がたくさんあるのに、遠ざかるものはない。見張りの交代だと思ったんだけど……気のせいだったらごめんなさい≫
ジンはわたしを一瞥して、ウォッカにドイツ語で"用心しろ"とだけ言った。ウォッカがバーボンにこっそりとそれを伝えて、緊張感が漂う中で二人が現金の確認を終えた。
アタッシュケースを閉じて、またウォッカが抱える。
用は済んだし、長居をする理由もない。バーボンがソファの傍に来て、手を差し伸べてくれた。
意識を集中させていた扉の向こうから、カチ、と何かが外れる音が聞こえてきた。
バーボンの手を強く握って顔を見上げると、彼は表情を険しくした。
「"キティ"。立てますか?」
「あ……うん」
急かされて、バーボンの手を支えに立ち上がった。
その瞬間、派手な音を立てて扉が開かれた。視界の端に過る黒光りする銃を確認する暇もなく、抱きかかえられてソファの背凭れの後ろに隠される。壁際ではウォッカが身を伏せながらカーテンを閉めていた。バーボンに頭を抱え込まれた瞬間、耳を劈くような銃声が幾重にも重なって部屋の中に響いた。
視界の端を高速で通り抜けていく黒い筋、分厚いカーテン越しといえど何度も銃弾がぶつかって割れていく窓。自分の体が強張るのがわかった。
「大丈夫ですから、落ち着いて」
「ウォッカ! 話をした二人はどうなってやがる」
「ソファに防弾の板を仕込んでたようですぜ!」
バーボンがわたしを宥める横で、ジンとウォッカは状況を確認していた。ウォッカは腹這いになってソファの後ろに寄ってきた。
"取引を継続したい"なんて、こちらを油断させるための嘘だったのだろう。
三人とも既に銃を手にしている。何かしら仕掛けてくることは想定の範囲内だったのかもしれない。
銃弾の雨が止むと、部屋の中は静かになった。
「足音」
「!」
掠れるような小声でジンに指示され、耳を澄ませる。
話をしていた二人のものらしき足音は遠ざかっていって、それとは別の二人分の足音が、静かにソファの両脇から近づいてきた。
二つの方向を示すと、ジンとウォッカが目配せをし合う。
確認をしに来た二人の銃がソファの陰から覗いた瞬間、ジンとウォッカがそれを奪い取って自分の銃を一発だけ撃った。
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