01

※若干グロテスクな表現あり


「"キティ"、てめぇに仕事だ」
「いや」
「嫌かどうかは聞いてねぇ。その可愛い顔に傷をつくったって俺は一向に構わねぇんだぜ……?」

 腕にしがみついて怖がるフリをしろ、と言われたけれど、言われなくてもそうする。
 零さんの――バーボンの腕に抱きついて、そっと身を隠した。

「ジン。"キティ"に何を言っても無駄ですよ。この子は僕の命令しか聞きません。僕のいないところで仕事をするつもりもない」

 仕事は受けざるを得ない、だからバーボンの同行を容認させる。そのために、呼び出しに素直に応じてジンと対峙しているわけだけれど。
 組織で必要な人材が確保できない薬物の取引の通訳だなんて、なぜよりにもよって代役の立てられない仕事をつくってくるのか。

「"キティ"。この言語、二週間で覚えられますか」

 現実逃避をしているところに薬物の目録を見せられて、読めることを確認して頷く。
 組織の一部の人間には、わたしは短期間で言語を習得できると誤解させてある。普段の取引から英語とドイツ語、フランス語を、Dr.アパシーの一件でフィンランド語とスウェーデン語を、赤井さんに力を貸してもらった薬物の取引の妨害の一件でロシア語とギリシャ語、イタリア語を扱えることが知られてしまっていたので、仕方のない処置だったのだろう。
 結果的に仕事が舞い込んでくることになってしまって、零さんには何度も謝られた。この取引に加担したところで、罪に問われることはない。バーボンの組織への忠誠心を疑われかねないので、協力してほしい――そう言われてヤニ臭い隠れ家にやってきた。
 ベースは"ちせ"でいい。どこかが抜けた"天才"なのだと思わせられる。バーボンに対して甘えたがりなのも有効だ。バーボンを警護につけられるから。
 段階を踏んで要求を飲ませる――ここまでは、筋書き通りだ。

「覚えることはできる。通訳してもいい。でもバーボンが一緒じゃないなら行かない」
「俺はバーボンを信用してねぇ。ウォッカを連れて行くつもりだ。こういうのは大人数で押し掛けるモンじゃねぇ」
「わたしはあなたを信用してない。バーボンが一緒じゃないといや」

 ジンは吸っていた煙草を口から離し、溜め息のように紫煙を吐き出した。
 お互いの要求が平行線で、苛立っているのがわかる。

「こちらから相手の根城に出向くんですよね。四人程度なら相手にとっても想定の範囲内ですよ。僕だってただの諜報員で、探偵業に役立つからボクシングをやっている程度――銃も最低限の扱いは心得ていますが、貴方やウォッカには到底及びません……頭数だけ増えたところで、威圧になんてならないでしょう? この子の世話役だと言えば誤魔化せます」

 バーボンの口からさらさらと流れ出る嘘。
 ジンはしばらく考えて、苛立ちをごまかすように煙草を一口深く吸って吐いた。

「いいだろう、それで呑んでやる。バーボンも二週間後は空けておけ」
「わかりました。帰りましょうか、"キティ"」

 バーボンが一緒に来てくれることにほっとして息を吐く。
 筋書き通りに、引き受ける仕事にバーボンが同行することを認めさせることができた。
 ジンの傍に控えていたウォッカはポケットから手を出さないし、本当に怖かった。
 隠れ家を出て、細工がされていないか確認をしてもらったRX-7に乗り込む。車が動き出すと、零さんに"もういいぞ"と言われた。

「はぁ……緊張した……」

 背凭れに体重を預けて脱力する。
 零さんは苦笑しながら、ハンドルを緩やかにきった。

「上手く要求を通すことができた。上出来だ」
「それならいいけど……」
「今回の件は"バーボン"もとばっちりだな。何もなければいいが……」
「薬物って……麻薬取締部? とかの管轄よね。そういうところには?」
「千歳が関わっているのに危ない橋は渡らない。"キティ"の内通を疑われても困る。"監督不行き届き"でバーボンもデッドエンドだ」
「洒落にならない……」
「あぁ。だから今回は何もしない」

 できる限り、身の安全を確保しようとしてくれている。余計なことをしないようにして、仕事をするだけでいい。
 わかってはいても、怖い。

「大丈夫だ。千歳のことは、俺が守る」

 行き先を見つめる視線はまっすぐで、澄んでいる。零さんがそう言うのなら、大丈夫なのだろう。
 力強い言葉に頷いて、窓の外に視線を向けた。


********************


 仕事の当日、適当なデパートの立体駐車場で待ち合わせてジン、ウォッカと合流した。
 メイクは"ちせ"をベースにということだったので垂れ目に見えるように気をつけている。
 ジンとウォッカはいつもと同じような服装だし、バーボンも組織の人間として活動するときの服装だ。三人とも、少なくともカジュアルだとは思われない格好。零さんと一緒に迷ったけれど、フリルブラウスに膝丈の黒いフレアスカート、黒のストッキングにフラットなレースアップブーツを合わせることになった。念のために持たせろとジンに口うるさく言われてスカートを留めるベルトの背中側にはホルスターに収められた拳銃がある。それを隠すために、黒いフード付きパーカーを着せられた。取引の場でだけフードを脱げばいいと言われているし、外で顔を見せる必要はないのだろう。
 ジンはわたしの格好を見て、特に何も言わずに煙草に火をつけた。文句を言われないので良しということにしよう。
 それにしても、慣れない拳銃を背中にぶら下げているのがしんどい。

「腰が重い……」
「なんだ、昨夜ヤったのか」
「貴方が持たせろと言ったんでしょう。700gの鉄の塊なんて普通腰に提げませんからね」
「……我慢しろ」

 踵を返したジンについて行くと、"アマガエル"とも呼ばれる黒いポルシェが見えた。

「ポルシェ……!」
「なんだ、珍しいのか」
「うん」

 元々こんな高級車には縁がないけれど、あのジンが乗っているというのも大きい。
 ジンはふんと鼻を鳴らし、"さっさと乗れ"とだけ言って運転席に乗り込んだ。
 ウォッカは助手席に、バーボンとわたしは狭い後部座席に落ち着く。
 車が走り出してしばらくすると、バーボンが口を開いた。

「ジン」
「なんだ」
「向こうも通訳は用意するんじゃないんですか? "キティ"はまだ自分が駆り出されることに納得していません。貴方の口から説明してあげてください」

 舌打ちをしたジンは、ウォッカに二本目の煙草の火をつけさせながら口を開いた。

「あぁ、するだろうな。だが訳された言葉が正しい保証はねぇ。そこで"キティ"の出番ってワケだ」
「お互いに監視しろってこと?」
「そういうことだ。隣に座らせる、誤訳があったら髪を耳にかけろ」
「わかった」

 口を開くたびに拳銃を持ち出してくるようなイメージがあったから、拍子抜けだ。いや、脅されないのはいいことなのだけれども。
 バーボンとはずっと手を繋いだまま。それで安心してジンを前にしても平静でいられている。

「郊外に廃ビルを一棟持っているらしい。近くまで行って別の車で向かう」
「?」
「車に細工をされたら堪りませんからね。……"キティ"、喉は渇きませんか? 着いたら何も飲めませんから、適度にどうぞ」
「ん、ありがと」

 バーボンがおしゃべりなのをいいことに、会話に織り交ぜて色々と教えてくれる。
 ついでにペットボトルに入った水も渡されて、素直に受け取って喉を潤した。

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