02

 調査から戻ってきた風見は、小さな手帳に書かれたメモに視線を落とした。

「どうだった?」
「"認定死亡"――ということになっています。どうやら、死体が見つからないような事件が同じ日に起きていたようでして」
「なるほど。それでその日に行方不明になった彼女だと断定されたわけか」
「仰るとおりです」

 降谷さんは、話についていけないわたしに"認定死亡"が何なのかを教えてくれた。実際には死体の確認がされていなくても、死亡したと考えるに充分な状況があれば死亡したものとして扱われる――そういう制度らしい。
 それって、つまりは。

「わたし……死んだことに、なってるのね。行方不明になって、そのまま……」
「……あぁ」

 降谷さんも風見も、何と言えばいいのかわからないような表情をして、曖昧に頷いた。
 "認定死亡"自体は、覆せるかもしれない。でも、そうなると行方不明になっていた間のことを話さなければならない。
 きっともう会社にも籍はなくなっている。社会復帰に苦労して、それで割を食うのは両親だ。今更戻ったところで、歓迎されるのかわからない。
 自分がどうすべきかわからなくて、下を向く。

「おそらくは、次のダイヤ改正まで猶予がある。――あと一度だけ、行き来できる」

 悩むわたしに選択肢を与える優しい声が降ってきた。

「降谷さんは……、わたしがこのままここに留まったら、困る?」
「あぁ、困る。君がいなければ帰れないかもしれない。君が上手くやれるか心配だし、頼みたい仕事もある。君自身、中途半端に投げ出したままなのは嫌だろう?」

 その言葉に、安堵してしまった。
 このことを教えられればわたしはきっと、仕事を全部片づけて、新しい仕事を受けないようにして、行方不明になっても仕事に関して迷惑がかからないようにしてきたはずだ。端からこちらに留まらせる気なんてなかった。まだ、必要としてくれている。

「じゃあ……戻る」

 ここにいて"死んだはずなのに"と見つかるのが怖くて、今までどうしていたのかを聞かれるのが嫌で、どうしたらいいのかわからない。
 だったら――"近くに居てもいい"と言ってくれる人の傍にいるしかない。

「助かるよ」

 公安の人たちが助けてくれることに、すっかり甘えられるようになってしまった。
 戸籍に関して嘘をつくことは大変で、ついた嘘を覚えていなければならないし、そこに重ねて嘘をつき続けることだって、しんどくて。
 誰の助けもなしに、二度と同じことなんてできない。

「今、外国語はわかるのか?」
「え?」

 そういえば、と近くにあった英語で書かれた注意喚起の文章に目を向ける。単語はある程度わかるけれど、すっかり慣れたすらすらと読めるような感覚はない。
 どうやら、色々な言語が理解できるのはあちらにいる間だけらしい。

「……わからないみたい」
「そうか」

 わたしに聞かせたくない話なのか、降谷さんと風見は英語で言葉を交わし始めた。
 なんとなく英語だということがわかるぐらいで、内容はほとんどわからない。
 迷子を引っ張るように繋いでくれる手の温かさを感じながら、駅前の交番から目を背けた。
 一人で放り出されるのは怖い。周りを見ることができない。今だって繋いでもらった手を放せない。
 気がついたら風見が居なくて、どうしたのかと思ったら着替えと日用品を調達しに行ったらしい。そういえば、こちらに来てしまったのは事故だった。そのつもりがなかったから泊まる用意もなかったのか。

「……手、いいの?」

 ずっと繋いだままの手にきゅっと力をこめる。温かい手は、安心感をもたらしてくれる。

「あんな大嘘、そう何度もつけるものじゃない。一人でいるときに君のことを覚えている人物に会ってしまったら、どうしていいかわからないだろう? 不安なら、離れないようにしていてくれていい」
「うん……」
「心配しなくていい。君のことは俺たちが守る」

 降谷さんにそう言ってもらえると、不思議と安心する。
 人の波から外れて、ビルとビルの間の細くて薄暗い道に身を隠した。通りからも見えないように、降谷さんが自分の体で隠してくれる。

「幸いフリーのアクセスポイントがたくさんあるし、規格も変わらないようだ。情報収集でもそう困ることはないさ。君のスマホは、不用意に電源を入れられないからな……」

 まだ契約が生きていたら、居場所を特定されてしまうかもしれない。
 気をつけることはたくさんあるのに、少しも気が回らない。

「ごめんなさい、わたし……何の役にも立てなくて」
「こちらにいる間はそれでいいさ。穂純さんが使っていたマップアプリのキャッシュデータから、日暮里駅周辺の地図も入手できている。――穂純さんは、行き来するための"鍵"になってくれればいい」
「鍵……」
「戻るまでに二日はある。状況を確認して、どうするか決めよう」

 頷くと、降谷さんは"大丈夫だ"と念を押すように言ってくれた。
 きっともう、戻ることなんてできない。"向こう"で生きる基盤を整えてしまった。"こちら"には、もう何もない。
 仕事を中途半端に放り出して親不孝をした人間が一人、いただけだ。

「降谷さん……ひとつ頼まれてくれる?」
「ん?」
「両親が、ちゃんと保険金の請求をしたか確認してほしいの」

 葬式に荷物の回収にと、お金がかかることは多かったはずだ。
 降谷さんもそれはわかったのか、納得したような顔で頷いた。

「あぁ、いろいろと入用になるからな……。風見に行かせよう。君の憂いがそれだけなら、調査を中断して君の家に向かう」
「夜行バスを使った方がいいかもしれないわ。時間もあまりないのだし……」
「わかった」

 一度高速バスが通っているバスターミナルへ行って、そこから向かうべきだ。
 移動の最中に、両親にわたしの友人として挨拶に行くための設定をつくった。保険金の請求ができていればいいけれど、できていなかったら誘導もしなければならない。
 家に呼ぶ程度には仲が良くて、"万が一のことがあったら両親にその確認をしてくれ"と頼み実家の住所を教えていた、ということにすればいいだろうか。
 この際、多少怪しまれてもいい。"ここに電話してください"と保険証券を見せればいいだけなのだ。
 最終的に、大雑把な設定にしてしまったわたしを見兼ねた降谷さんがここはぼかせこれは伏せておけと適度に調整してくれた。
 夜行バスの中では、寝つけなくてぼーっとしていた。風見は肘掛けに頬杖をついてすやすやと眠っている。

「……他には、いいのか?」

 隣に座る降谷さんが、小声で問いかけてきた。

「え?」
「君は……自分が"死んだ"ことを、認めるのか」

 バスの車窓から夜の景色を眺めながら、頬杖をついた。

「降谷さんも言ってたでしょう? "あんな大嘘、そう何度もつけるものじゃない"。明々後日、ちゃんと電車に乗って戻れば仕事にも影響はない。"普通"に、暮らせるの……」
「……疲れたんだな」
「そうね、疲れちゃった」

 これは"逃げ"だ。わかっているけれど、もう帰る気にはなれそうにない。
 降谷さんは何も言わずに、窓とは反対側の肘掛けの上に置いた手を握ってくれた。この熱を逃してしまうことを惜しく思っていると知られたら、呆れられてしまうだろうか。

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