01
※夢主がスマホも預けていたif
"余所行きの格好で米花駅前に来てほしい"。
一週間は必要だという言葉と一緒にそういう連絡をもらって、不思議に思いながら宿泊用の荷物を持って待ち合わせ場所に来た。
早くに来ていた降谷さんは、わたしに気がつくとひらりと手を振ってくる。ポアロでのアルバイト中に着ていたようなカジュアルな格好をして、ボストンバッグを背負っている。男の人というのは、やっぱり荷物が少ないのだろうか。
「呼び立ててしまってすみません」
「いいえ。……珍しい呼び出し方ね?」
「えぇ、まぁ。こっちです、行きましょうか」
目的を聞くこともなく、駅の中へ向かう降谷さんの背を追う。
「これを」
改札の手前で渡されたのは電車の切符で、降谷さんの顔と切符とを交互に見てしまった。
「……電車で移動するの?」
「えぇ」
わたしが電車に乗らないようにしていることは知っているはずなのに。
けれど降谷さんは"お願いします"と食い下がるばかりで、折れざるを得なくなってしまった。
ざわつく胸の内を抱えたまま、改札を通って降谷さんの後をついていく。降谷さんはわたしが離れてしまわないように気遣いながら歩いてくれた。
ふと、近くを風見が歩いていることに気がつく。同じ方向に行くらしい、――知らない人のフリをして一緒に行動するということだろうか。
駅のホームに着くと、降谷さんは"次の電車に乗ります"と教えてくれた。
電車に乗って、また知らない場所へ移動させられてしまったら? 今度も安全な場所だとは限らない。
≪不安なら、手を繋いでいましょうか。大丈夫、旅行中のカップルにしか見えませんよ≫
イタリア語でこっそりと話しかけられて、また一人で見知らぬ場所に降り立つ不安には抗えずに、無言で頷く。
やってきた電車に乗ると、降谷さんは本当に手を握ってくれた。多少は空いている電車で良かった。反対の手でキャリーバッグの取っ手をしっかりと握りつつ、降谷さんの手を握り返す。改札からずっと近くを歩いていた風見は、しれっとわたしの隣に立っていた。
走り出した電車の窓から、外の景色を眺める。待ち合わせに使うために名前だけは耳慣れてしまった東都環状線の各駅の到着アナウンスを聴きながら、降谷さんの手を知らず知らずのうちに強く握ってしまっていた。
≪大丈夫。何かあっても僕がいます≫
電車で移動するしかない仕事って、なんだろう。
疑問に思い始めた矢先、電車が急ブレーキで突然減速した。進んでいた勢いのまま滑るキャリーバッグに引っ張られかけると、風見がすぐに手を伸ばして支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
「すみません」
「いえ」
当たり障りのない言葉をかわして、何事もなかったのかまた進み出した電車の中でほっと息を吐く。
さて次はどこだっただろうかと東都環状線の駅の名前を思い浮かべた。
『次は、日暮里、日暮里――お出口は、左側です』
耳に飛び込んできたアナウンスにはっとして顔を上げた。
手の温かさは変わらないまま。風見も隣にいたまま。それなのに、いま、なんて。
降谷さんの顔を見上げると、穏やかに笑っていた。
「あぁ、ここで降りるんだ」
ぼんやりしていた連れに言うように、何てことのないように言われて、わけもわからずに頷くほかない。
風見も一緒に降りてきて、適当な間を空けて窓口で"切符をなくした"と言って清算をした後、駅の外に出て人が行き交う道の脇に連れて行かれた。
「それで、風見。なぜ君もここにいるんだ」
「申し訳ありません」
降谷さんはこの状況に大して驚いていない。風見もこの場所に――わたしが元いた世界にいることは予定しなかったような口ぶりだけれど、ここにいること自体に疑問は持っていない。
「待って、どういうこと? なんで……そんな風に落ち着いてるの?」
「それは追々教える。まだ確証が持てていないからな……。しかし、風見がいるということは……あの時か」
「おそらく。キャリーバッグを支えた時に穂純の手に触れていた結果かと」
「こういうことが起こる瞬間を、君の目で確かめておいてほしかったんだがな……。あれも事故だ、起きてしまったことは仕方がない」
降谷さんはすっかり仏頂面になっている。風見とも普通に話している。
本当に、二人がそうしていても問題のない場所に来てしまったのだということだった。
降谷さんは自分のバッグから帽子とサングラスを出すと、わたしの髪と顔を隠すように身につけさせてきた。
「あの……」
「君は今のところ行方不明者だ。身の振り方も決めていないのに見つかるのは本意じゃないだろう」
それは、そうだけれど。
降谷さんもキャップを目深に被って目元を隠した。
「風見。彼女の現状を確認してきてくれ。僕たちは、そうだな……あの喫茶店で待機する」
「了解」
端的に答えて、風見は颯爽と立ち去ってしまった。
降谷さんの先導で近くにあった喫茶店に入り、甘いものとお茶を頼んでもらった。
お冷を飲んで、降谷さんがふぅ、と一息つく。すっと上げられた視線を受けて、思わず居住まいを正した。
「君のスマホに答えが入っていた」
「スマホ?」
「あぁ。毎月月末の五日前に、メールが来ていた。君は回線が使えないと思っていたから見なかったし、こちらでも時刻表が確認できないならプライバシーに配慮して見るのは最後にしようと決めていたから、見つけるのが遅くなってしまったが……。メールには、東都環状線もしくは山手線の、内回り・外回りどちらの電車に、何時に乗れば"世界"を行き来できるのかが書かれていた」
「その通りに、なった?」
「あぁ。現にこうして俺も君も日暮里駅の近くにいる。あのメールが正しいなら、帰る方法もある」
何も起きなければそれまでだった。でも、こうしてわたしが経験した不思議な出来事を、降谷さんも風見も体験している。
「どうして……」
任務を放棄したわけではなさそうで、安心したけれど。
それでも、彼の大切な時間を割いてここに来た理由がわからない。
「一人で帰すのは心配だったからな。結局一番安心してくれるだろうと俺が同行することになって……風見は俺と君が"消える"のを確認する予定だったが、一緒にこちらに来てしまった」
「でも、帰れなかったら……」
「こちらから米花駅へ行くための方法は君から聞いた状況、それとこちらで確認している情報から"合っている"と断定できる。つまり、帰ることはできる。あとは、日暮里駅に来るための方法が本物かどうかを確かめるだけだった」
「……どうして、何も言わずに?」
降谷さんは眉を下げて微笑んだ。
「君に変に期待させたくなかったんだ」
黙っていたのも、わたしのため。そうだとわかってしまっては、責め立てることなんてできない。
今頃風見がニュースや行方不明者のネット情報を調べてくれているはずだからと、運ばれてきた甘いものを食べるように勧められて手をつける。ざわついた心は、甘いもののおかげで少し落ち着いた気がした。
降谷さんとしりとりをしながら時間を潰して、会計を済ませ喫茶店の外に出て、待っていた風見と合流した。
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