03
エドとヘレナ、そして赤井さんが引き合わせてくれたジェイムズ・ブラック氏と打ち合わせを重ね、パーティーの警戒態勢は万全に整えられた。加えて、会場の見取り図やパーティーの中で行われる挨拶などの順序から、赤井さんが狙撃の可能性を指摘してスナイパーが現れそうな場所を割り出してくれた。
直前の打ち合わせでは、パーティーの参加者に扮する予定だという二人にも引き合わされた。ジョディ・スターリング捜査官と、アンドレ・キャメル捜査官がお互いをパートナーとして参加するらしい。呼ぶのはほとんどが日本人だけれど、日本で事業を行っている外国人もいるのだから、不自然ではない。
「私はジョディ、参加者に扮して捜査に当たることになったの。後でアナタの警護もすることになると思うから、仲良くしてくれると嬉しいわ。こっちはパートナーとして参加するキャメルよ」
「よろしくお願いします」
ルージュが似合いながらも人懐っこさを覗かせるスターリング捜査官と、大きな体と少し怖い顔に反して大らかなキャメル捜査官は、準備の間も気さくに話しかけてくれた。
そうして周到な用意をして迎えた当日は、赤井さんの読み通りの場所にスナイパーが現れ、待ち伏せていたFBIの捜査官が確保した。会場にいたトラウトも、ドレスに飲み物をこぼしてしまったという演技をするスターリング捜査官と、パートナーとして一緒にいたキャメル捜査官に"空いている部屋に案内してほしい"と言って呼び出され、会場の裏で密やかに逮捕されてパーティーは表向きは何事もなく終わったのだった。
エドとヘレナ、そしてわたしの警護に都合が良いからと、わたしのパートナーとして付き添ってくれた赤井さんは読み通りに事が動くのを待っていただけだ。
トラウトの声を聞いたことがあり、耳もいいわたしが会場の中でトラウトの居場所を突き止めて、スタッフとして雇われた男がトラウトであると伝えた以外は何もしていない。ただイケメンに付き添われて仕事をしただけの結果に終わった。
その後、二、三日は同性であるスターリング捜査官を家に泊めて警護してもらい、報復の心配もなくなって警護が外れてからは後処理をしているFBIからの連絡を待つだけとなっていた。翻訳の仕事をしながら普段通りに過ごしていたけれども。
そんな折に、赤井さんから電話がかかってきた。ネットバンキングで口座を見たときに振込があったから、そのことについてだろうか。
「はい、穂純です」
『赤井だ。今夜飲みに行かないか』
まったく違った。
いや、いきなり"報酬を振り込んだから領収証の発行を頼む"とか言われることもないとは思うのだけれど。本題に入る前の世間話にしたってもう少し何かあっただろうに。
脱力感に襲われて溜め息をついた。
「いきなり安っぽいお誘いね。領収証が欲しいとかそういう話じゃないの? ついさっき振込を確認したのだけれど」
『その件についてはウチのボスから連絡がいくはずだ。これは個人的なお誘いなんだが、どうかな』
「"どうかな"って言われてもねぇ……。わたし、そんな誘いに乗るような女だと思われてるの?」
『俺はそんな安いお誘いをするような男だと思われているのか』
数秒の間、沈黙が続いた。……けれどもわたしの方が堪えきれずに溜め息をつく羽目になった。
彼がそんな安い男だとは思わない。でも、なんだか素直に受けるのは面白くない。
「あなたの奢りなら行くけど」
『誘っておいて財布を出させるような真似はしないさ。タクシーで迎えに行く。七時にマンションの前に居てくれ』
「はいはい。じゃあまた後で」
通話を終えて、スマホを机の上に置き深い溜め息をついた。
あまり無駄なことをするような性格には思えないし、この誘いにも何か意味があるのだろう。
タクシーで来ることを伝えてくれたあたりにも、好きな靴を履いて行っていいという気遣いを感じる。
気乗りはしないけれど、彼のお誘いの理由が気になるのもまた事実だ。少し早めに夕食を済ませようだとか、やることを頭に浮かべながら仕事の続きをした。
********************
七時にマンションの前に出ると、既にタクシーが停まっていてその傍に赤井さんが立っていた。
服装は普段と変わらないあたり、あまりお堅い雰囲気のところではなさそうだ。どちらでもいいように考えながら服を決めたから、気楽な分だけ安心するというだけだ。
「こんばんは。待たせたみたいね」
「綺麗に着飾ってくれた君をここで一人で待たせるよりずっといいさ」
率直な言葉に対する返しが浮かなばくて、目を逸らしてしまった。エドや宇都宮さんもよく褒めてくれるのだけれど、二人とも結婚しているし下心のようなものを感じないから素直に受け止められる。赤井さんはといえば、既婚者ではないし、そもそもそういうイメージがないしで、戸惑ってしまう方が大きい。
赤井さんはくすりと笑いながら、手を取ってタクシーへとエスコートしてくれた。
目的地は元々伝えてあったのか、運転手は何も聞かずに車を発進させる。アームレストに頬杖をつき、外を眺めて過ごした。
連れて行かれたのは落ち着いた雰囲気の個室があるバーで、すぐに個室へと通された。黒い大理石のような見た目の床がお洒落で、モノトーンでまとめつつ差し色に深い青を取り入れたインテリアも落ち着きがあって良い。
お酒と気になったスイーツを注文して、ソファに腰を落ち着けた。
赤井さんは手近なところに灰皿を置いて煙草に火をつける。一口吸って細く煙を吐いた後、ニヒルに笑ってわたしと目を合わせてきた。
「安いお誘いじゃないと理解していただけたかな」
手頃な距離にホテルもないし、誠意を示すには確かにいい場所だ。
「えぇ。でも、ただお酒を飲みたいだけじゃないでしょう? あなたほど頭がいい人なら、わたしなんかと話してもつまらないでしょうし」
「それはどうかな。君が難しいことを考えるのが面倒だと思っていることは確かだろうが、あのときの言葉の意味が分からないほど鈍いとは思っていない」
「ふぅん? それで、何を話したいのかしら」
「俺の好奇心を満たすための世間話に付き合ってくれればいい、それだけだ。答えたくない話に応じる必要もない。独り言だと思って聞き流してくれ」
「それがお酒のお礼?」
「そういうことだ」
相変わらず、あちらの譲歩ばかりだ。話を聞くだけでいいというのならお酒を飲みながらでもできることだし、付き合うかどうかもこちらが決めていいというのだから。
ドアの向こうから足音とトレイの上で揺れる食器の音が聴こえてきた。
「いいわよ。ちょうど頼んだ物も来たみたいだし」
言葉尻に被せるように、ドアがノックされた。
「……君は本当に耳が良いな」
赤井さんは愉しげに口角を吊り上げながら立ち上がり、ノックに応えてトレイを受け取った。
[BACK/MENU/NEXT]
[しおり]