02
赤井さんが言ったとおり連絡を待ってくれていたのか、エドはすぐに電話に出てくれた。FBIの赤井秀一という人物が警護に来たことを伝えると、彼に通訳を頼まれたパーティーにトラウトが来るだろうということ、狙いがエドと親しい人間かもしれないのでわたしを心配して日本に滞在する知り合いに警護の手配を頼んだことを教えられた。
赤井さんほどの人をわたしなんかの警護に当てるなんて、どういう意図があってのことなのだろう。エドはFBIにとって何か繋がりを持っておきたい人物なのだろうか。通話の終わったスマホを見下ろして、首を傾げた。
彼に画面が見えないようにしつつ、録音アプリを起動させる。
「穂純様、個室の準備ができましたが……」
「! えぇ、ありがとう。赤井さん、行きましょう」
「あぁ」
彼の言う公安警察が誰なのかはさっぱり見当がつかない。
赤井さんはバースツールから立ち上がると、すっと手を出してエスコートしてくれた。
「ありがとう」
「あぁ」
バーの二階にある個室に着き、スタッフが運んでくれたお酒と軽食を受け取る。
促されるままソファに座ると、赤井さんも向かいに腰を落ち着けた。
画面が消えていることを一応はと確認して、テーブルの端からマイクの部分がはみ出るようにしてスマホを伏せて置く。
「近くに公安警察がいたの?」
問いかけると、赤井さんは煙草に火をつけながら頷いた。
「あぁ。おそらくはトラウトの逮捕に必要な、君の協力を得るためだ」
「……なるほど」
あのパーティーの主催者はエド。彼と接触するのには、日本にいて、彼と懇意にしていて、今回のパーティーにも主催者側の人間として参加するわたしが糸口に最適なのだろう。
赤井さんは煙草を持つ手を口元に近づけながら、目を伏せた。
「日本の警察に頼れる知り合いがいるというのなら無理強いはせんよ。クラウゼヴィッツ氏に頼まれたのはあくまで荒事に不慣れな君の警護だ。俺が必要ないというのなら、トラウトの確保に回るまで」
「……わたしがあなたたちに警護をお願いするとしても、迷惑じゃないわけ?」
「トラウトの狙いが君であるという可能性もゼロではないからな。君の警護を作戦に組み込むだけで、迷惑にはならない」
「…………」
どうするべきか。エドが手配したのなら、信用してもいい。
確認を取ったから、そうしたとて不自然ではないはず。
赤井さんはくすりと笑んで、スマホの画面を見せてきた。
そこに表示されていたのは、わたしの戸籍謄本の画像データだった。
「これに関して、我々FBIは一切の追及をしない。クラウゼヴィッツ氏の顔に免じてだ。だが公安警察はどうかな。君を利用するにあたっては、徹底的に君の身元を調べ上げるだろう」
赤井さんを睨んだけれど、彼は口の端を上げてわたしをじっと見返すだけだった。
何かを言い募ることもせず、ただわたしの返事を待っている。わたしに断らせる気はないのだろうけれど、信用してもらおうと無闇矢鱈と口を開かないところは好感が持てる。
それに、公安に関わられるのは面倒くさそうだ。"追及しない"ことの真偽はどうあれ、直接わたしに戸籍のことを聞いてこないというのなら好都合だ。端から"調べない"なんて言葉を信じる気はない。こそこそやってくれるならどうぞ好きなだけ、というスタンスだ。
「だから、"公安警察から守る"――ね」
納得したような言葉を発すると、赤井さんの口元の笑みは深くなった。
「面倒事は嫌いなの。それに関して、わたしは何を聞かれても答えない」
赤井さんのスマホを指差して言うと、彼は頷いて見せた。
「構わんさ、トラウトの身柄確保に協力をしてくれるなら。FBIとしても、捜査協力に対する報酬は支払うつもりだ」
「そっちの譲歩ばかりね」
「そうとも限らんよ。こちらからもひとつだけ条件がある」
赤井さんはスマホにポケットにしまって、煙草に火をつけた。
煙草を支える手が口元を隠して、覗く鋭いモスグリーンの瞳と視線が合う。
「――"できることを出し惜しむな"。それだけだ」
彼の言葉の意味を考える。訳せる言語を隠すな、ということだろうか。推測はできても、それが正しいという自信が持てない。
こういうときは、バカな女のフリをするに限る。ついでに言質も取ってしまえばいい。
「どういう意味?」
首を傾げて問いかけると、赤井さんは目を瞬いて、それから苦笑いを浮かべた。
「……君は賢い女性だと思っていたが、見込み違いだったかな」
「そうね、難しいことを考えるのも嫌いなの。わかりやすく教えてくれない?」
赤井さんはバーボンを一口飲んで、小さな溜め息をついた。
「命を懸ける必要はない。我々が君のことを守るからな」
「えぇ」
「そのためにも、何を聞いたとしても"わからない振り"はするな」
「……つまり?」
「まだ言わせるのか……」
赤井さんは困ったように言った。なんだろう、ちょっと楽しい。
漫画やアニメでは困らせられているところなんて早々見られなかったからだろうか。
「君は、クラウセヴィッツ氏からどんな言語の翻訳や通訳を頼まれても引き受けているそうだな」
「えぇ」
「つまり君は、ごく短期間で新しく言語を身につけられる頭があるか、何らかの理由でそれができる能力を持っているということだ。調べさせてもらった限りでは、君がパスポートを持っていないこともわかっている。これに関しても何も聞かない。不審な人物がどんな言語を使っていたとしても、必ず教えてほしい――そういうことだ」
わたしの機嫌を損ねないように、慎重な言葉選びをしていることがわかる。つい先ほど戸籍の件について詮索しないことを宣言したばかりだったのに、パスポートの有無というそれに近い内容に触れてしまったからだろう。
けれどわたしが知りたかったのは、"FBIがどの程度わたしのことを知っているか"、だ。戸籍の不審な点、さらにはパスポートもないのにいくつもの言語を扱えるという不可思議なステータスにも違和感を持っている。これがわかれば十分だ。
ティフィン・ミルクが入ったグラスを手に取りながら軽い調子で了承の返事をすると、赤井さんは眉を寄せた。
「はっきりと言わせたかっただけのようだな」
「さぁ、どうかしら」
カクテルを飲みながら赤井さんをからかうと、彼は煙草に口をつけて深く吸い込んでいた。
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