01

 お気に入りのバーで大好きなカクテルを飲み、美味しいスイーツを食べる。
 数日おきにする小さな贅沢は、遠くなった故郷や家族のことを考えて憂鬱になる気持ちを軽くしてくれる。
 すっかりお酒の好みまで覚えてくれたバーテンダーが、楽しく話をしてくれるというのもある。
 カルーアミルクと生チョコの盛り合わせを楽しんでいると、斜め前でグラスを拭いていたバーテンダーが首を傾げた。

「何か良いことがありましたか?」
「そんなに機嫌良く見えた? ちょっと大きな仕事の準備が終わったの。あとは気兼ねなく本番に臨むだけ」
「あぁ、それで。お仕事、上手くいくといいですね」
「えぇ、ありがとう。がんばるわ」

 バーテンダーはわたしの背後のテーブル席を見て、"少し外しますね"と言ってカウンターから出ていった。
 背後からは注文を取る声が聞こえてくる。
 律儀だなぁ、と思いながらカルーアミルクを飲んでいると、チョコレートが乗ったお皿の横に手が置かれた。
 邪魔だっただろうかとお皿に手を伸ばしつつ、その手の持ち主の顔を見上げた。まったく知らない人だ。

「お姉さん、一人?」

 馴染みのバーテンダーが離れた途端にこれだ。バーに女一人で来ると"ナンパ待ち"だと思われやすいのは知っているけれど。
 ひとまず愛想笑いを浮かべて、首を横に振った。

「いいえ、人を待ってるの」
「その割には、結構前から一人で飲んでるね?」
「そうね。仕事が長引いているみたいだから」

 どうしよう、悪手だった。待ち合わせだと伝えれば引き下がってくれるような相手だったら良かったのに。そうでなければ、今の返答は自分を追い詰めるものでしかない。

「なら待ち合わせの相手が来るまででいいからさ、一緒に飲もうよ。すみません、この子にアレキサンダーを」

 頼んでいるものがまったくもって紳士的じゃない。
 大体いま飲んでいる物だって残っているのに、なんて気が利かないんだろう。
 注文を受けたのは馴染みの彼とは違うバーテンダーで、手際よく作り始めてしまった。
 声をかけてきた男はといえば、隣の椅子に座って飲む気満々だ。
 ドタキャンのメールを受け取ったフリでもしようか。チョコレートもあげてしまえばいい。そう考えて、グラスに手を伸ばす。残り少ないカルーアミルクぐらいなら、すぐに飲んで立ち去れる。
 そう考えて、グラスの中身を不自然でない程度に素早く飲み干した。

「アレキサンダーです」

 目の前にグラスが置かれる。
 横に信用ならない男がいる状況でなければ飲みたかったのに。残念に思いつつ、ハンドバッグに手を伸ばした。
 そのとき、横から大きな手が現れて、アレキサンダーのグラスを持っていった。驚いてグラスの行方を追うと、見覚えのある人物がグラスの中身をあっという間に飲み干していた。

「え……」

 ――なんで、赤井秀一が。
 続きそうになった言葉を寸でのところで飲み込む。
 グラスをテーブルに戻した彼は、ニヒルに笑いながら薄い唇を舐めた。

「待たせてすまない。仕事が長引いてな」
「!?」

 これはもしや、助けようとしてくれているのでは。
 片目を伏せてウインクを飛ばされ、予想が外れていないことを確信した。

「遅い。待ちくたびれて二杯も飲んじゃったわ」

 軽く睨んで怒った声を出す。

「そのようだな。……ところで、そちらは?」

 赤井さんはわたしの隣に座る男を見て、目を眇めた。
 さっきまではわたしの事情など露知らずといった態度で居座っていた男は、赤井さんの鋭い視線に気圧されたのか、すごすごと席を立って立ち去った。
 ほ、と安堵の溜め息がこぼれる。
 どういう理由で彼が助けてくれたのかはわからないけれど、妙に馴れ馴れしい男に隣に居座られるよりずっとマシだ。
 赤井さんはゆっくりと近づいてくると、小声で"失礼"と言って隣に座った。待ち合わせをしていた風を装ってしまったのだし、ごく自然なことだ。
 頬杖をついて、赤井さんに笑いかけた。

「ありがとう、助かったわ」
「余計なことをしたのでなければいいんだが」
「"人を待ってる"って言っても絡まれて困ってたの。お兄さんは何を飲むの? お礼にご馳走するわ」
「そんなことはしなくていいさ。代わりに、少し話をしてもらいたい」
「話?」

 赤井さんはバーボンウイスキーを頼み、わたしにも何を飲みたいのか聞いて注文してくれた。
 出されたティフィン・ミルクのグラスを持ち、赤井さんと目を合わせる。ミルクティーのような味のカクテルを一口飲んで、話の続きを促した。

「…………」

 しかし赤井さんは口を開かず、周囲に視線を走らせる。
 何か思うところがあったのか、小声で話ができる距離まで身を寄せてきた。

「公安に目をつけられる心当たりはあるか」
「!」

 虚偽の申請を基に戸籍をつくったという事実に関しては、怪しまれてもおかしくはない。けれども、公安が出てくるとは思えない。
 最近翻訳をした文書にも、通訳をした会議や商談にも、特に不審な内容のものはなかった。

「……いいえ」
「なるほど。肝が据わったお嬢さんだ」

 彼もわたしの戸籍の不審な点を見抜いている? 返答からは読み取れない。
 笑みを保ったまま顔を見ると、赤井さんはウイスキーを呷った。

「エドガー・クラウセヴィッツという人物から、君の警護を頼まれた」

 いったいどういう繋がりがあるのだろう。エドは顔が広いから、そう驚くことでもないけれど。

「ふぅん? 何から守ろうっていうの?」
「オットマー・トラウトという人物と、日本の公安警察から……と言われているが」
「トラウトね……今度のパーティーに潜り込んできそうだっていうところかしら」
「あぁ、その通りだ。……公安については――ここだと話しにくいな」

 さっき周囲を見たところからすると、公安警察の人間が近くにいるのだろうか。
 赤井さんは眉を寄せ、声を潜めて困ったように言った。

「このバー、個室があるけど。その前にあなたの立場を教えてくれる? お兄さん」
「あぁ、自己紹介もせずにいたな。すまなかった」

 赤井さんはポケットからFBIの手帳を取り出して、わたしに見せてきた。

「FBIの赤井秀一という。トラウトの件について、日本での捜査許可を得て君の警護を引き受けた」

 彼がFBIであることも、おそらくは警護を引き受けたということも、嘘ではないのだろう。
 でも、あっさり信じてしまっては疑われることになる。

「……エドに確認を取っても?」
「あぁ、もちろん。彼は君からいつ連絡が来てもいいように備えておくと言っていたよ」

 バーテンダーに個室の用意をお願いして、それを待つ間にエドに電話をかけることにした。

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