01

 ついていないというか、自分の運動神経のなさに呆れかえるしかないというか。
 じくじくと痛む足首を見下ろして、深い溜め息をついた。
 事の発端は、ひったくり事件。通行人から鞄を奪って逃げた男にぶつかられてよろめいた際に、ヒールで上手く踏み止まれずに足首を捻ってしまったのだ。
 元より犯人を追いかけられるようなポテンシャルはないから、それについては諦めた。
 残ったのは、足首を捻挫したという事実だけ。
 歩こうにも痛みで体重がかけられず、歩道の手摺に掴まって途方に暮れていた。零さんは来られるかどうか怪しいし、昴さんでも呼ぼうか。そう思って、バッグに手を伸ばした時だった。

「千歳さん、大丈夫!?」

 すっかり聞き慣れたコナンくんの声が聞こえて、そちらを見る。
 小さな体で駆けてくるコナンくんと、その後を追いかけてくる零さんの姿が見えた。

「コナンくん、安室さん」
「さっきひったくり犯とぶつかったのが見えたから。犯人は捕まえたから大丈夫だよ!」

 零さんはわたしの足を見て、眉を顰めた。

「足、捻ったんですか?」
「よろめいた拍子にね」

 コナンくんは片膝をついて、わたしの足首をじっと見た。

「結構腫れてるね。とりあえず冷やして、それから病院に行かないと」
「そうよね……。痛くて歩けないもの」
「車を出しますよ。冷やすなら、ここからだとポアロが近いかな」

 零さんは上着を脱ぎながら、コナンくんに目配せをする。

「ボク、梓さんに話をしておくね!」

 走っていくコナンくんの背を見送っていると、零さんが脱いだ上着をわたしの腰に巻きつけてきた。

「失礼しますね」

 膝の下に手を入れて背中を支えられ、ひょいと抱え上げられる。
 慌ててバッグを抱きしめると、零さんはポアロの方へ歩き始めた。
 体を支えてくれる手は力強くて、安心して身を任せられる。

「……もうちょっと方法はどうにかならなかったの?」

 通行人の視線が突き刺さってきて居た堪れない。

「このタイトスカートで背負うのはちょっと……上着を巻いていても、お勧めできませんから」
「……それもそうね」

 苦笑して宥めるような口調で言われたことはご尤もで、反論の余地はなかった。
 ポアロに着くと梓さんが心配そうな顔でドアを開けて中に入れてくれた。
 袋に氷と水を詰めて、タオルを巻いた氷嚢も準備されている。きっとコナンくんがお願いしてくれたのだろう。
 奥のソファ席に寝かせられてパンプスを脱がされ、座った零さんの太腿の上に捻った足を載せられた。

「えーと……?」
「応急処置の原則、"RICE"だよ。患部を動かさない、冷やす、圧迫する、心臓より上にする。これをすると治りが違うから! ちょっと冷たいけどびっくりしないでね」

 何をされているのかわからず戸惑った声を出してしまったわたしに、コナンくんが説明をしてくれた。
 冷えたタオルが捻った右足首に当てられて、押さえつけるように握られる。
 悲しいかな、ここまで零さんが貸してくれた上着が大活躍している。

「今はお客さんもほとんど来ない時間帯ですから、ちゃんと冷やしていってくださいね!」

 平日の、お昼には遅くおやつには早い時間帯では無理もない。
 今の状況ではありがたいことだけれど。

「ありがとうございます」

 零さんは休ませてもらうだけでは申し訳ないからと、二人分のコーヒーと、わたし用にだろうアイスティーを注文した。梓さんはにこにこと笑って、カウンターの中に戻っていく。
 コナンくんは向かいの席に座っている。テーブルの下で、床に届かない足がぷらぷらしていた。

「千歳さん、この後の予定は? 仕事とか、大丈夫?」
「大丈夫よ。ウインドウショッピングしてきて、帰りにここに寄ろうと思ったら事件があったから」
「災難だったね……」

 せっかくののんびりした休日が、午後は病院に行って終わりそうだ。

「コナンくんは平日なのにどうしたの? 学校は?」
「記念日で休みなんだ」
「あぁ、それで。透さんは? ポアロの出勤日じゃなかったわよね」
「毛利先生のお手伝いに行っていたんですよ。仕事が終わったので帰ろうと思ったら、"ひったくりだ"と叫ぶ声が聞こえてきたので犯人を追っていたんです。すみませんでした、すぐに助けに行けなくて」

 謝る彼の表情は、どことなくしゅんとしていた。

「どうして謝るの?」
「ぶつかられた瞬間を見ていたのに、犯人の確保を優先してしまったので」

 そういえば、コナンくんがそんなことを言っていたのだったか。
 でも、脇目も振らず逃げていく犯人が別の人にぶつかって怪我をさせることも防いだのだから良かったと思う。
 まず犯罪を防ぐことを考えて、事件が起きてしまったら被害が広がらないようにすることを優先して。彼はそういう人だ。
 放っておいたら死ぬような怪我ではなかったのだし、彼を責める気なんて少しもなかった。

「なんだ、そんなこと。妊婦さんとかにぶつかる前に確保できて良かったじゃない」

 零さんはほっとしたような溜め息をついて、眉を下げて笑った。

「はい、アイスコーヒーふたつとアイスティーです!」
「ありがとうございます。千歳、足首の感覚はありますか?」
「冷たくてマヒしてきたかも」
「一旦外しますね。一休みしたら、病院に行きましょう」

 ソファに座り直して、ガムシロップをたっぷり入れたアイスティーに口をつけた。
 冷やしたおかげか、足首の痛みは少なくなっていた。
 零さんはわたしとコナンくんより早くコーヒーを飲み終えると、ポケットに手を伸ばしながら席を立った。

「車をお店の前に持ってきます。もう少しコナンくんと休んでいてください」

 出ていく前に、梓さんに会計をお願いする隙のなさ。
 コナンくんは口元を引き攣らせた。

「安室さんって、千歳さんにすごく甘いよね」
「そう?」
「あんなに丁寧に介抱されておいて、その反応はおかしいよ千歳さん」

 そう言われても。
 いまいちしっくりこなくて首を傾げていると、コナンくんは面倒くさそうに頬杖をついた。

「じゃあさ、安室さんが他の女の人に対して、千歳さんにしたみたいに運んだりとか、足を冷やしたりしてたらどう思うの?」

 わかりやすい喩えだ。
 わたしではない誰かが、零さんの腕の中の安心感を知って、優しく触れられる。

「……やだなぁ」
「良かった。これで"別に平気"とか言われたらさすがに安室さんに同情してたよ……」

 もやもやと湧き上がる嫉妬に対して、コナンくんは軽蔑するでもなく安心したように笑った。

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