06

「千歳、座ってくれ」
「? ……うん」

 戻ってくるなり座るように言われ、素直にリビングのソファに座ると、コトリと音を立てて目の前に丸いチョコケーキの載った皿が置かれた。
 零さんはそれから紅茶とコーヒーがそれぞれ入ったマグカップをテーブルの上に置いて、隣に腰を下ろした。なんとも言えない表情をしている顔を見上げると、右手で口元を覆って、視線を逸らされる。

「……いい歳して浮かれた」
「え……、あ、これ手作り?」
「あぁ。……千歳は、菓子作りは苦手だったのか?」

 あ、これはもしや、"手作り期待してたのに"って、そういう感じの。
 口元は手で隠したまま、視線だけ向けられてどきりとする。
 このタイミングなら、渡せるだろうか。

「……実は、渡しそびれたものがあるんだけど」
「へぇ。まだあるのか?」
「ある。……待ってて」

 ソファから立ち上がって、キッチンにある冷蔵庫に近づいた。
 びしびしと視線を背中に感じながら、小さな箱を取り出す。
 どうせ食べるのならとフォークも出して、ソファに戻った。

「……あんまり期待しないでね」
「ありがとう」

 貢物よろしく差し出した箱は丁寧に受け取られ、テーブルの上で開かれた。

「……ガトーショコラか」
「うん。ベルギーから輸入したチョコレートを売ってるお店があってね、加工用に売ってたから気になって」
「千歳の好物だしな」

 くすくすとおかしそうに笑われる。
 未だにバーでの待ち合わせに使われるガトーショコラは、確かにわたしの大好物だ。
 けれど、好物の押しつけというつもりではなかった。
 簡単だからこそ、いいものを使ってそれを味わってほしい。そう思って選んだレシピだ。

「じゃあ、いただくかな。それは冷めないうちに」
「え?」

 促されるまま零さんが持ってきたケーキをフォークで一口分切り分けると、中からとろりとチョコレートがこぼれ出た。

「フォンダンショコラ……!」

 こぼれたチョコレートを焼けた生地に絡めて口に運ぶ。
 温かい生チョコの口当たりが滑らかで、硬めの生地のアクセントがたまらない。
 緩む頬をそのままに零さんを見ると、嬉しそうに笑っていた。

「ベルモットが絶賛するブランドのチョコレートを仕入れたんだ。プリンセスのご機嫌取りにって教えてもらってな」
「わざわざ?」
「わざわざ。こんな顔が見られるなら、手間をかけた甲斐があった」
「とってもおいしい。ね、零さんも食べて」
「あぁ、いただきます」

 零さんは躊躇いもせず、フォークに乗せた一口分のケーキを口に運んだ。

「どう? ビターチョコで作ってみたんだけど」
「……もらい損ねなくて良かったと心底思う」

 噛みしめるように言われ、苦笑が漏れる。
 まさか、そんな風に思ってくれていたなんて。

「ちょっとね、残念だなって思ったのよ。買ってきたの渡しても全然表情を変えなかったから」
「できるわけないだろ……。潜入捜査官失格だ」
「ふふ、確かにね。でも良かった、渡せて」
「次からは渡しにこなくていいから。呼んでくれれば来る」
「あぁ、そうしたら手っ取り早かったわね」

 わざわざポアロに行って、あまり見たくないものを見る必要もなかったわけだ。
 取り越し苦労だったなぁなんて思いながら、フォンダンショコラを食べ進める。

「あれももらっていいか? デスクで食べたい」
「買ってきたやつ? 零さんがほしいならいいよ」
「じゃあ遠慮なく」

 頭を使うときはチョコレートを摂りたいらしい。とてもよくわかる。
 それにしても、だ。

「零さんといい赤井さんといい、どっちももらってくのが上手いんだから」
「は? 赤井?」
「今日会えたから、日ごろお世話になってるしってことで渡したの。彼は手作りは苦手かなって思って、市販のやつね。そしたら手作りねだってくるんだもの」
「……へぇ」
「結局手作りのもそうじゃないのももらわれていっちゃった。食べきれるのかしらね? あんまり甘いもの好きなイメージないけど」
「千歳からの贈り物なら平らげるだろうな。あいつの大好きなウイスキーとチョコレートは相性もいい」

 初めて耳にする知識だ。
 けれどそれに感心する間もなく、零さんの声の低さに思わず肩を跳ねさせた。
 もしかして、機嫌損ねた?
 ガトーショコラをぺろりと平らげた零さんは、わたしの手からお皿とフォークを奪うと、最後の一口をわたしの口に押し込んだ。
 咀嚼する間に、コーヒーを一口。
 一体何なのかと目を白黒させていると、飲み込んだタイミングで口づけられた。
 驚いて緩んだ口に舌が押し込まれて、舌を撫でられる。零さんの口に残っていたブラックコーヒーの苦みが、舌の上を滑った。

「ちょ、なに……苦いんだけ、……っ」

 文句を言おうと離れた顔を睨むと、返ってきたのはぎらついた視線。
 思わず怯んだ。

「俺も同じぐらい苦い気分だ。なぁ千歳、俺に嫉妬させたかったのか? 夕方の仕返しか」
「そ、んなつもりじゃ……」
「はは、知ってる。でも妬いたのは事実だから、責任は取ってもらう」

 完全に彼のペース。いつの間にやら自分へのご褒美にと買ったベルギー産のキューブチョコレートが零さんの手元にあった。
 わたしがコートを片付けている間に冷蔵庫漁ったな。それでわたしが座るのとは反対側に隠していたわけだ。
 "食べるなよ"と言いながら、唇にチョコレートを押しつけられる。食べるなって、どうすれば。とりあえず咥えると、零さんはにっと笑った。

「キスはそっちから。甘い気分にさせてくれ。できるよな?」
「なっ……」
「溶けるぞ」

 待ちの姿勢を崩さない零さんに、どうしようもないと白旗を上げる。
 ソファの上に膝立ちになって、零さんより顔の位置を高くする。
 頬に手を添えて少しだけ上を向いてもらっても、零さんは愉しそうに笑いながらこちらを見上げてくるだけだ。

「……む」
「目、閉じろって? やだ」

 "やだ"って。ちょっとわがままなのずるい。
 このままいてもチョコレートが溶けるだけ。見られているのは恥ずかしいけれど、やらなければ終わらない。
 自分からキスをすることなんてなくて、いまいち具合がわからない。
 顔を近づけながらも失敗したらいやだな、なんて思っていたら、零さんの手が顎に触れて、場所を調整された。
 至近距離で顔を直視できなくて、視界の端に垂れる自分の髪を必死で見つめる。
 唇にチョコレートが触れると、ぱくりと食べられた。少しだけ溶けてわたしの唇についたチョコレートも舐めとられる。
 無理これ恥ずかしい!

「もう一回」

 ぺろりと舌なめずりをしながら言われ、あんまりな色気に零さんの肩に触れた腕を突っぱねて距離を取った。

「やだ!」
「"やだ"って、子どもか」
「子どもで結構! もういいでしょ、満足したでしょ、チョコレートも返して」
「はは! ほら」

 楽しそうに声を立てて笑う零さんから返してもらったチョコレートを冷蔵庫にしまって、ソファに戻る。

「……どうしてわかったの? 自分用にって買ったやつ」
「ん? 手作りは除外して、帰ってきてすぐしまったものは見てたからわかる。残ったのは二つだが、フランスのブランドなら宇都宮氏だろうって思ってな。それだけだと違う可能性もあったが、ベルギーのチョコレートを取り扱っている店に行ったというのを聞いて確信が持てた。千歳のことだから、本場のものを好むだろうと思って」
「勝てない……」
「観察力で負けられないだろ」

 人からもらったものに変に手をつけないようにと、気を遣ってくれるところがすきだなぁ、と思う。
 隣に座る零さんの肩……というか腕に頭を預けて、紅茶の入ったマグカップの熱で手のひらを温めた。

「今日はいろんな人からチョコレートをもらったの。宇都宮一家に、少年探偵団の子たち、それから梓さん。エドからも"バレンタインデーの贈り物を送った"ってメールが来ていてね。わたしが贈り物をしたひとたちは、みんな喜んでくれたし。……幸せだなぁ、って、思ったの」
「……そうか」
「でもやっぱり一番は、零さんとこうしてゆっくりする時間を作れたことね。いい一日だったって思えるわ」
「千歳がそう思えたのなら何よりだ」

 寄りかかっていない方の手で、頭を撫でられる。
 一日でたくさんの人と関わったから、少し疲労も感じた。
 撫でる手が気持ちよくて、うとうとしそうになる。

「千歳、寝るなら風呂に入ってからだ」
「んん……お母さんみたい……」
「三十路手前のおっさんに母親みたいなことを言わせるお子様は誰だと思ってる」
「ふふ、お風呂はちゃんと入るから……泊まっていってくれる?」

 温かい紅茶を飲みながら問いかけると、頭を撫でる零さんの手が止まった。

「……誘ってるのか?」
「ばか。疲れてるんだからちゃんと寝なさい」
「なんだ、お見通しか。……確かに帰るのは面倒に思ってたんだ、泊めてくれ」
「はいはい」

 そうと決まれば、温かいベッドでぬくぬくしながら眠るに限る。
 温くなった紅茶を飲み干すと、零さんも隣でコーヒーを飲み干していた。
 洗い物は零さんがやってくれると言うし、ちょうどお風呂も溜まったようだ。ついでに明日は仕事は休み。
 思い立ったら即行動、である。
 心地よい睡眠を想像しながら立ち上がったら零さんと目が合って、顔を見合わせて笑った。
 明日はきっと、朝の陽の光で目を覚ますことができるだろう。

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