03

 ベルモットからの頼まれ物はほとんど手に入り、あとは買えれば幸運、という優先度の物しか残っていない。クラウセヴィッツ氏もてきぱきと買い物をこなしているようだから、これでベルモットに文句は言われないだろう。
 クラウセヴィッツ氏は夫人が千歳を連れて行ったことを気にして慰めの言葉をかけてくれ、ベルモット――"友人"としか言っていない――のおつかいへの協力を引き受けてくれた。
 だから、千歳に似合いそうだと気になった物を手に取って見ていたとしても何ら問題はない。
 男一人でうろついているのが何とも居た堪れないというのもあったが、千歳の照れた顔を見られたのでそれも吹き飛んだ。

「こんなお色ですが、いかがですか?」

 椅子に座らされた千歳は、見せられたリップの色を真剣に見つめた。

「とても可愛くて好きな色なんですけど……ちょっとマット感が強いかも……」
「それでしたらグラデーションにしましょうか。何かリップグロスはお持ちですか?」

 夫人が付き添っているし、人見知りの千歳もはっきりと受け答えできている。仕事だと平気なのにな、と少しおかしく思いつつ、ベルモットの分は先に会計をしてもらった。
 背後では"お嬢様と婚約者?"などと関係性を予想する囁き声が飛び交っている。
 鏡を覗き込む千歳は頬を真っ赤にしていて、千歳の唇にリップを乗せている女性は苦笑していた。
 試したリップと手持ちの桃色のリップグロスでつくられたグラデーションを、千歳は大層気に入った様子だった。

「かわいい……!」
≪チトセ、こっちを見てちょうだい≫

 夫人も嬉しそうに出来栄えを確認し、財布からカードを取り出した。

≪とっても似合ってるわ! 買っちゃいましょう≫
≪ヘレナ!?≫
≪夫人、ちょっと待ってください。ここは僕が……≫
≪何をおっしゃるの、安室さん。娘のように思っているこの子に何か買ってあげたいと思うのは自然なことでしょう≫
≪どうして二人とも当然のようにお財布を出すの!?≫

 英語がわかるらしいアドバイザーは、くすくすと笑って状況を見守っている。
 慌てて自分のバッグから財布を出そうとする千歳を制していると、夫人が素早く会計をしてしまった。
 夫人は包んでもらったリップを受け取り、千歳に持たせた。

≪私の可愛いお姫様、どうか受け取ってちょうだい?≫

 夫人は重ねてきた年齢相応の貫禄がある美しい微笑みを見せた。慈愛に満ちたその微笑みに、クラウセヴィッツ氏が骨抜きになるのも頷ける。
 肝心の千歳はといえば、受け取ったリップをきゅっと握り締め、照れた様子で夫人にお礼を告げていた。
 もしかして、夫人がいる限り俺が千歳を甘やかすことなんてできない状況なのではないだろうか。
 近くを通りがかったクラウセヴィッツ氏と目が合った。彼は遠い目をして、俺に同情的な視線を送って通り過ぎていった。


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 午前のうちに千歳は欲しかった物を買い揃え、剰え夫人にあれこれ買い与えられていた。
 クラウセヴィッツ氏の協力もあって、ベルモットからの頼まれ物はすべて揃った。彼ですらついでにと千歳にいくつか買って持ってきたのだから敵わない。
 フライトの時刻があるからと食事を共にした後すぐに去っていったクラウセヴィッツ夫妻を見送り、深い溜め息をついた。

「夫人、手強すぎませんか……」
「わたしもそう思う……」

 後部座席に買ってきた物を積み込みながらぼやくと、千歳は苦笑いを浮かべて同調した。しかし、随分と嬉しそうだ。

「夫妻はあんな風に言っていますが、複雑じゃないですか?」
「え?」
「"娘のように思っている"と」
「あぁ……」

 千歳の両親は、別世界にいるとはいえ健在だ。それなのに夫妻にまるで親のように振る舞われて、複雑な思いになりはしないのだろうか。
 質問の意図を理解した千歳は、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。

「本当のことを言うわけにもいかないし、事実だから天涯孤独の身の上だっていうことは伝えてあるのだけれど……そうしたら、あんな調子で。嫌だと思ったことはないわ。大切にされていることはわかるもの」
「……そうですか」

 千歳が甘んじているのならそれでいい。"恋人の両親"という、接触するのにどうにも身構えてしまう間柄になった気はしてしまうが。

「ね、透さん」
「ん?」

 車のドアを閉めていると、千歳が袖を引っ張ってきた。
 遠慮がちな態度に首を傾げる。
 千歳は照れたような不安そうな表情を浮かべ、俺の顔を見上げた。

「何も買わなくていいから……もうちょっと、一緒に歩き回ってもいい? あなたの恋人だって、堂々としていられるのがうれしいの」

 俺が選んだローズピンクで彩られた唇が、可愛らしい言葉を紡ぐ。
 ふと、藤波の言葉が脳裏を過った。
 "大好きなキャラにお金使うのが幸せなんですよ。課金って素晴らしいシステム"
 千歳は別にキャラクターではないが、労も財も惜しまず喜ぶことをしてやりたいという感覚は似ているのだろうな、と思った。

「いくらでもお付き合いしますよ。可愛い貴方の隣に立てること、僕も嬉しく思いますから」

 手を取ってにこりと笑いかけると、千歳は嬉しそうに頬を緩ませた。
 夫人が発したような千歳が陥落するほどの甘い言葉は、"安室透"の仮面を被っても口にできそうにない。
 予想外の好敵手に敗北感を覚えながら、午後は千歳を独り占めできるという事実を噛み締めた。


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「でねー! 限定コスメが欲しくてイベントに行ったら、安室さんがすっごい可愛い女の人と一緒に来てて!」
「あれ誰だったんですか? 気になる!」

 ポアロの常連客に見られていたことを知ったのは、数日後のことだった。リストにあった物がすべて手に入ってご満悦のベルモットを見て安心していたが、問題は身近に転がっていた。
 たまたま千歳とコナン君がポアロに来ていて、二人にも梓さんにもそれを聞かれてしまった。
 千歳はいつもは凛とした吊り目をポイントにした、"綺麗"と評されることはあっても"可愛い"とはあまり言われないメイクをし、服装も"クール"という印象を与えるものになるよう気をつけている。普段はそうやって外を出歩いている千歳が、本来の趣味の"可愛い"メイクをし、服装も"お嬢様"と間違われるような清楚な印象を与えるものにして出かけているのを見られたらどうなるか。
 答えは簡単、"話を聞いた梓さんに浮気を疑われる"だった。
 事情を知っているコナン君は、苦笑いを浮かべて我関せずといった調子でアイスコーヒーを啜っている。
 "ストーカー被害に悩まされていた依頼人の警護だった"と白を切り通したが、店が空く時間帯まで梓さんに冷たい視線を向けられる羽目になった。
 結局千歳が"炎上対策で雰囲気を正反対にして出かけた"とそれらしく聞こえる助け舟を出してくれ、"浮気者"のレッテルを貼られることをどうにか免れたのだった。


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リクエスト内容:甘め
降谷甘めに見せ掛けてヘレナに良い所を全部持っていかれる


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