02
ベルモットから珍しく電話が入ってきたときは驚いたけれど、内容を聞いて納得した。
イベント限定コスメに心惹かれる気持ちはよくわかるのだ。色が限定とかパッケージが限定とか限定品にもいろいろあるけれど、いずれにせよ特別なものが手元にあるとうれしい。
元々コナンくんや蘭ちゃんを傷つけないようにし、組織を潰したいと考えている様子を見せているベルモットに対しては、あまり悪い印象はなかった。おつかいぐらいなら引き受けるのもいやではない。
いつもは零さんが考えてくれるデートプランを、今回は二人で考えた。零さんが些細な変化にも気がついてくれていたことがわかって、うれしかった。
理解がある恋人というのはありがたい。わたしが気に入っているブランドを覚えて、好きそうだからと買ってきてさえくれる。
もらってばかりなのもなんだか申し訳なくて、何かお礼がしたいと思ってネクタイやハンカチを贈っているけれど、零さんのようにセンスのあるチョイスができないから、敵わないなぁ、と思う。
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「千歳、着きましたよ」
早起きをしたために眠気が強くて助手席でうとうとしていたら、目的地に到着していた。
外から助手席のドアを開けた零さんに優しく肩を揺すられ、目を開ける。
「ごめんなさい、うとうとしちゃった」
「謝らなくて大丈夫ですよ。運転の腕を信頼されているようで嬉しいですから」
そっか、外だから、"透さん"なのか。
そっと手を取られて、素直にエスコートを受けて車から降りた。
ベルモットのおつかいがあるとはいえ、終われば零さんと一緒にいられる。それがうれしくて褐色の滑らかな手を握ると、零さんはくすりと笑って握り返してくれた。
≪あら、チトセ?≫
聞き慣れた声に名前を呼ばれた気がして、声が聞こえてきた方向を見た。
≪ヘレナ! 奇遇ね、こんなところで≫
声をかけてきたのは、エドと一緒にいるヘレナだった。
零さんの手を引いて近づくと、エドに"デートかい"とからかいまじりに聞かれた。頷くと、微笑ましそうに見られる。
≪お気に入りのファンデーションの限定パッケージが欲しくて来ちゃったの。あとはチトセに似合いそうなものを贈ろうかと思っていたのに、まさか来ていただなんて!≫
わたしの手を握り、少女のようにはしゃぐヘレナ。何か思いついたように顔を輝かせた。
≪そうだわ、せっかくだからチトセに似合うものを一緒に探しましょう≫
≪え? ……あの、ごめんなさい、友人からのおつかいもあって……≫
≪エドにお願いしましょう。ね、エド≫
突然話を向けられたエドは、目を白黒させながら、ヘレナと零さんとを交互に見た。
それを見たヘレナは、ずずいと零さんに詰め寄る。
≪ね、安室さん。午前中だけチトセを貸してくださらない?≫
エドは"デートの邪魔をする前に退散しなければ"という目で零さんを見たのに、ヘレナは"安室さんにも許可を取らなければ"と解釈してしまった。
零さんは戸惑った様子だけれど、笑顔は崩さない。少し考えて、人差し指で頬を掻きながら口を開いた。
≪千歳も同性の夫人と一緒の方が楽しめるでしょうし、クラウセヴィッツ氏が良いのであれば、ぜひ母娘水入らずで楽しんできてください≫
≪ですって! チトセ、一緒に行きましょうっ≫
ちら、と零さんの顔を見たけれど、"安室透"の顔でにこにこと笑っているのでどう思っているのか全く読めない。
けれどもすっかり一緒に行く気になっているヘレナの強い申し出を断ることもできずに頷いた。
心なしかしょんぼりして見える背を、エドが慰めるように叩いている。すぐに気を持ち直したようで、エドにわたしが回る予定だったお店を教えていた。
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≪ごめんなさいね、せっかくのデートだったのに≫
先にヘレナの目的を果たそうとイベントフロアを進んでいる途中で、ヘレナは申し訳なさそうに微笑んだ。
≪なんだか娘が恋人になった男性に取られちゃいそうで、寂しくなったのよ。こんなところにまで付き合ってくれるなんて、素敵じゃない≫
≪え、えぇ……≫
元を辿ればベルモットのわがままだ。否定することでもないので特にしないけれども。
≪ヘレナこそ良かったの? エドも忙しいでしょうに≫
≪いいのよ! それにほら、将来息子のような存在になるんだから今のうちに仲良くなってもらわないと。あら? これ、チトセに似合いそうね!≫
コスメに目移りするヘレナの言葉も右から左へ抜けてしまった。
"息子のような存在になる"って、零さんと結婚すると確信されているみたいだ。
「〜〜っ」
≪うふふ、真っ赤になってしまったわね≫
赤くなった顔をごまかすようにヘレナを急かして目的の物を先に買わせた。寄り道をしていたら人気のある物はすぐになくなってしまう。
ヘレナは欲しかった物が手に入ってご満悦な様子で、わたしに合う物を探して歩き始めた。
エドに買い物を任せてしまったので、ヘレナの気が向くままにフロア内を歩いている状態だ。ふと気がつくと零さんの声が聞こえていて、思わずそちらを見てしまった。
「お色は合わせなくても大丈夫ですか?」
「えぇ、"この番号を買ってきてほしい"と教えてもらいましたから。それと、これは……」
美容部員さんもにこにこと良い笑顔で対応しているし、周囲にいる女性も頬を染めて零さんをちらちらと見ている。
真剣な様子でリップを手に取って何か話し込んでいて、つい気になって見てしまった。さすがに視線で気づかれたのか、ぱち、と視線が合う。
にっこりと笑って手を振られて、反応する間もなく彼の周囲から黄色い悲鳴が上がった。
「目立ってる……」
ある意味では溶け込んでいる……のだろうか。周囲にも恋人同士や夫婦で来ている人は見受けられる。
彼の容姿が整い過ぎて注目を浴びてしまっているだけだ。
≪チトセ、彼が呼んでるわよ?≫
ヘレナに言われて零さんを見ると、確かに手招きされていた。
いや、あの中に飛び込めと……?
気後れしていると、ヘレナに背を押されて零さんの傍まで連れて行かれた。
「ちょうど良かった。彼女にタッチアップをお願いできますか?」
肩を抱き寄せられると、また周囲から歓声が上がる。
本当に良いのかと零さんの顔を見上げると、零さんはきょとんとして見下ろしてきて、――それから、へにゃりと気の緩む笑みを浮かべた。
「せっかく可愛くしてきてくれたんですが、一回落としてもらってもいいですか? 貴方に似合う物を贈りたい」
そうじゃない。リップを落とすことを気にしているんじゃなくて。
ベルモットのおつかいはいいのか、とか、目立っているけれどいいのか、とか、気にするべきことはたくさんあるのに、何一つ言葉にできない。
結局頷くことしかできなくて、どうやって赤くなった頬をごまかすかを考えなければならなくなった。
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