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 食事から戻ると、会場の駐車場にパトカーが停められていた。
 ベルモットは顔を顰め、確認してくるように命じてくる。スピーチ会場に向かうベルモットと別れ、人気の少ない場所で藤波に電話をかけた。

『はい、藤波です』
「僕だ。杯戸町にあるレセプションホールで、技術展覧会が行われているのは知っているか?」
『えぇ、もちろん。僕も行きたかったんですけど』
「なら話は早い。そこに警察が来ている。何があったのか確認してくれ。中に穂純さんがいれば、何かわかるかもしれないが……」
『了解。刑事部と穂純さんに並行して確認取りますね』

 電話を切って少し待つと、メールが入った。
 どうやら宇都宮氏が使用している控室の隣室で殺人事件があり、その対処のために刑事部が来ているらしい。
 その容疑者候補に、穂純さんが挙がっているのだという。アリバイが確かでなければ当然のことだが、彼女には犯行は難しそうに思えた。伝えられた状況からすると、被害者は意識がある状態で真正面から顔に刃物を刺されている。彼女はあまり運動は得意ではなさそうで、非力だ。抵抗されて終いのような気がした。
 その後も藤波から小まめにメールが届いた。部屋にあった果物の違和感、遺体が死亡直前にひどく汗をかいていた痕跡。藤波の推理は、死亡直前に激しい運動をさせ死後硬直の時間を狂わせて、アリバイ工作に利用したのではないかというものだった。動機まではわからない、というところでメールが途切れたが、暫くすると事件が解決した旨の報告が届いた。警察は撤収するらしく、騒ぎさえ起こさなければ切り抜けられるだろう、とも書かれていた。
 スピーチ会場に向かうと、催し物は終わったのかベルモットがちょうど会場から出てきたことろだった。

「ベルモット」
「バーボン、遅かったわね。一体何があったのかしら?」
「探偵業の方でお世話になっている刑事に確認をしたんですが……どうやら関係者エリア内で殺人事件があったようです。犯人を突き止めて引き上げるそうですので、このまま帰れば問題はないかと」
「そう。結局、少しも面白い情報はなかったわ」

 つまらなそうに吐き捨てるベルモットに、"お疲れ様です"と形だけの労いの言葉をかけた。


********************


 殺人事件に遭遇してしまった穂純さんのことが気にかかり、仕事の依頼ついでにバーに呼び出した。
 彼女が好きそうなスイーツを頼んで個室で待っていると、いつも通りカルーア・ベリーとガトーショコラを持った穂純さんが部屋に入ってきた。
 ドアの鍵を閉めてくれたことを確認して、向かいのソファに座るように促す。

「こんばんは」
「こんばんは、えっと……」
「降谷でいい」
「降谷さん」

 穂純さんは、俺が"降谷零"として対応することに安堵しているように見える。このバーを選んだのもそうして穂純さんに安心してもらうためだった。
 そうは言っても、躊躇いなく部屋を密室状態にしてしまうのはいかがなものかと思うが。彼女と話をするときに、言ったはずだった。"鍵を開ける間さえあれば、容易く捕まえることができる"と。信頼されているのか、彼女の警戒心が薄いのか判断がつかない。
 しかし俺が"男"であることを思い出させて怯えられることもしたくない。
 初めて対峙したときのように短いスカートで艶めかしく脚を組まれないことに安堵しながら、カクテルを勧めた。

「この間は大丈夫だったか? 藤波から殺人事件に遭遇したと聞いた」
「しばらくは夢見が悪かったけど……最近はそれもないし、大丈夫」

 そう言って、穂純さんは弱々しく笑った。
 彼女にとっては衝撃的な光景だったはずだ。顔を抉るように突き刺さったナイフ、見開かれたままの虚ろな目、滴り落ちる血。彼女が目にしたものはすぐに思い浮かぶ。

「それならいいんだ。眠れなくて生活に支障が出るようなら教えてくれ、いい病院を紹介するから」
「……ありがとう」

 弱り切っているわけではなさそうだし、あまり世話を焼かれるのも好かないだろう。
 適度なところで引いて、仕事の依頼をすることにした。

「それで、これが今回頼みたい音声データだ」
「内容に見当はついてるの?」

 USBメモリを渡すと、穂純さんは真剣な面持ちになりまっすぐに視線を合わせてきた。

「薬物に関する情報があれば……という程度のものだ。今、組織は日本に来ている薬物の売人から商品を奪う算段を立てていてな。取引現場か、商品の保管場所が知りたいんだ」

 渡したのは、主に外国人の客が多いバーで録った音声だった。
 彼女は耳が良く、雑多な音声を聞き分けることにも長けている。そのうえどんな言語で話そうとも彼女に内容は筒抜けなので、こうした依頼をするのには都合が良かった。

「音声の中にあるかはわからなくて、あればラッキー……ってことね」
「あぁ。聞き取れる範囲でいい」
「了解。できるだけ多く聞き取るわ」

 USBメモリをハンドバッグにきちんとしまったことを確認して、今度はスイーツを勧めた。
 すっかり顔馴染みとなったスタッフから穂純さんが好きそうだと教えてもらったのは、生チョコの盛り合わせだった。味もミルク、ホワイト、ストロベリーと見た目にも可愛らしい色合いで、上に載せられた生クリームやアラザン、小さなハート型のチョコレートが華やかにしている。
 穂純さんは顔を輝かせ、生チョコを口に運んだ。

「おいしい……!」

 幸せそうな顔で食べてくれる姿を見て、注文して良かったと思った。
 ウイスキーを飲みながら見ていると、穂純さんは俺を見て首を傾げた。

「降谷さんは食べないの?」
「ん? それは穂純さんのために頼んだものだから、君が食べていい」
「……ガトーショコラもあるし、食べきれないわ」

 眉を寄せて困ったように言われる。……これは、"一緒に食べて"と言われているのだと解釈していいのだろうか。
 それはあまりにも好意的に捉え過ぎではないだろうか。

「甘いものは嫌い……とか?」

 あぁ、これは俺の解釈で間違っていない。

「いや、そんなことはない。穂純さんがそう言うならもらうよ」
「ふふ、変なの、降谷さんが頼んだのに。これ、プラリネで表面がコーティングされてておいしいのよ」

 程よくアルコールが回ってご機嫌なようだ。
 生チョコは確かにミルクのまろやかさとプラリネのナッツの香ばしさがいい具合に混ざり合って美味しかった。
 ベルモットが助手席で話すのを聞き流していたコスメの話題を振ると、穂純さんは楽しそうに話をしてくれた。人並み以上にあると自負している記憶力で、どのブランドの何が好きかを覚える。彼女は値の張るようなブランドが好きというわけではなさそうだった。気を遣わせるような金額でないのなら、何かのついでにプレゼントでもしようかと考えた。
 お洒落を楽しむことが好きで、可愛らしい見た目をした甘いお菓子にはしゃぐ。――"女の子"なのだと、どうしようもなく実感した。
 その"女の子"を、裏社会の闇の中に突き飛ばそうとしているのは紛れもなく自分だ。今はまだ詳細に話さずに済んでいるが、いずれは彼女の語学力について現実的に感じられるよう脚色して報告せざるを得なくなるだろう。
 そうなれば、今以上に危険な仕事をさせる可能性が上がってしまう。いずれ故郷に帰るつもりでいる彼女にとって酷な状況に追いやってしまう。
 彼女から向けられる無垢な信頼が痛くて、蕩けたチョコレートが喉に絡むような心地がした。

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