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ある日、ベルモットに呼び出されて組織からの命令を伝達された。
「最新技術の展示会……ですか」
「えぇ。軍事転用できそうな技術がないか、見てこいとのお達しよ」
「貴方一人もどうにかなる仕事でしょう」
「一人で行っても退屈なんだもの」
詳しく聞いてみると、それはベルモット一人に下された命令で、バーボンを呼び出したのはベルモットの独断でのことらしい。諜報を得意とする部類の人物に気に入られているのは良いのかもしれないが、退屈しのぎに連れて行かれるというのも面白くない。
どうにか断れないかと考えつつ渡されたパンフレットを見て、ある人物の名前が目に留まった。
"宇都宮貴彦"、宇都宮エンジニアリングの代表取締役であり、穂純さんと家族ぐるみで付き合いのある人物だ。たしか技術発表のスピーチがある。海外からの来場者には、英語での同時通訳のスピーチが聞けるよう配慮されるという情報も載っていた。
同時通訳といえば、穂純さんが通訳業務の際に最も売りにしている特技だ。宇都宮氏が彼女を贔屓にしていることからも、依頼したであろうことは容易く想像できる。
会場内でベルモットを見かけておかしな反応をしてしまわないか、それが少し心配だ。彼女が怪しまれる事態は避けたい。ベルモットと一緒に会場内をうろついていれば、仮に反応されたとしても知り合いだと言い張れる。
「仕方ないですねぇ。わかりました」
渋々という雰囲気をつくりながら、ベルモットの申し出を受け入れた。
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イベント当日、杯戸町にあるレセプションホールは随分な賑わいを見せていた。業界人から一般人まで、大人から子供まで楽しめる催し物を企画しているというのだから、休日に人が集まるのも道理だった。
ベルモットとの待ち合わせ時刻までにはまだ時間がある。イベントについて調べるうちに個人的に興味も湧いていたので、ベルモットに連れ回される前に自分の興味がそそられるままに見てみるつもりでいた。それから、穂純さんの動向も確認しておくつもりだった。
「千歳ちゃん、おはよう!」
目的の人物が呼ばれた気がして振り返ると、声の出所には穂純さんと宇都宮氏の娘がいた。
スーツに身を包んでいるが、ブラウスやバレッタなどのアクセサリーで華やかさを演出し、メイクもいつもの吊り目はそのままにパール入りの物を使っている。
穂純さんは自分の手を握る少女に笑いかけた。
「おはよう、光莉ちゃん。パパとママは?」
「パパはもうお仕事! ママとお散歩してたら千歳ちゃんが見えたから、呼びに来たの。入り口わかる? 案内するよ?」
「ありがとう、案内してくれると助かるわ」
彼女の視界に入らないようにしながら、会話を聞き取れる距離を保つ。
少女が向かった先には宇都宮氏の妻がいた。
「おはようございます、千歳さん」
「ナディアさん、おはようございます」
「今日は主人と光莉のこと、よろしくお願いしますね」
「えぇ、責任をもってお預かりします」
娘のことはともかくとして、やはり宇都宮氏本人の依頼を受けている様子だ。
関係者用の入り口で身分証を見せ、スタッフ用の許可証を受け取り中に入っていく後ろ姿を見送った。
関係者用のエリアには、あの入場許可証がなければ入れなさそうだ。
今日のところはそちらまで入り込むとは聞いていない。無理に怪しまれる危険を冒さずとも、各企業が寄り集まって行われているイベントなのだから展示されているものですべてだろう。
一般来場者用の入り口から入場料を払って許可証を受け取った。エントランスを抜けて展示会場に入ると、藤波が興味を持ちそうな家電や玩具が大量に展示されている光景が目に飛び込んできた。
「千歳ちゃんは何か欲しいのある?」
「え? んー……そうね、エアコンとか、出先から操作できるとありがたいわね。暑い日は涼しくしておきたいし、寒い日はあったかいお部屋に帰りたいもの。タイマー機能もいいんだけれどね、帰る時間が変わると困るから」
「たいへんだね、千歳ちゃん」
「お客様がおいしいものご馳走してくれるから、ついつい断れなくて」
「じごうじとく?」
「正解。難しい言葉知ってるのね」
どうやら宇都宮氏のスピーチまでは時間があるらしい。
穂純さんと少女は、のんびりと展示会場内を見て回っていた。少女が宇都宮エンジニアリング製の家電に気を取られて近づいていき、穂純さんは壁際でそれを見ていた。ベルモットとの待ち合わせまではあと少しだが、警告ぐらいする余裕はあるだろうか。
彼女に声が届く程度の距離に立ち、スマホを取り出して耳に当てた。
「そのまま聞いてください」
穂純さんは微かに頭を動かしたが、声で俺だとわかったのかそれ以上の反応をせずに待ってくれた。
「今日は会っても知らないフリをしてください。ベルモットがいるので」
少女が穂純さんを呼ぶ。手を振り返す彼女に、指示を続けた。
「理解したら左足から歩いて」
穂純さんは素直に指示に従い、左足を踏み出した。あとは白河さんの仕込みがどれだけ上手くいっているかに懸かっている。
スマホをポケットに仕舞ったところで、視界の端に金髪がちらついた。
「ハァイ、バーボン」
「どうも」
ひらりと手を振りながら近づいてくるのは、ベルモットだった。
「面白いものはあるかしらね」
「さぁ、どうでしょう。見る人によっては軍事転用できる技術もあるんじゃないですか」
「だといいけど」
ベルモットの機嫌は良くもなく悪くもなく、という具合だ。
この後のスピーチは聞くつもりのようだが、退屈過ぎるとご機嫌斜めになることは想像に難くない。
内心げんなりしつつ、従者よろしくベルモットの後をついて歩いた。
時間になり、スピーチ会場に向かった。入り口には、英語でスピーチを聞きたい場合には近くにいるスタッフに声をかけるようにという看板が立っていた。
別に話しかけずとも良いかと思ったが、見るからに外国人だとわかる風貌のせいか、俺もベルモットもイヤホンを渡されてしまった。断って角を立てる気もないのか受け取るベルモットに倣い、耳に着ける。
宇都宮氏のスピーチには何となく意識を傾けて聞き――次の人物の通訳も穂純さんの声でされたことに、首を傾げた。二人分の通訳を引き受けたのか? それとも主催者側から依頼されたのだろうか。
事情はよくわからないが、主催者側で用意した通訳者は何度か出番があった。それと同じなのだと考えれば、別段違和感を覚えることでもない。
午前の部が終わり、退屈そうにするベルモットと共に昼食をとるために会場の外に出た。
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