06

 ホテルを急遽キャンセルしてトムとサリーにお礼を言いチップを渡して別れ、秀一さんに手を引かれるまま歩いた。
 歩調はゆっくりで、急かされている感じもしない。
 通りに面した大きなバーに入ると、秀一さんは見知った店員らしい男性にチップを握らせてわたしのキャリーバッグを預かってもらい、パーテーションで仕切られたソファ席へとわたしを連れていった。
 内装はアンティークな備品で統一してある、落ち着いた雰囲気だ。けれど上品な所作ながら陽気な店員と賑わう他の客の話し声で満たされていて、適度にカジュアルな空気が作り出されていた。
 手を引かれるまま隣に座らされて、腰を抱き寄せられてぴったりと体をくっつけた。

「ちょっと……」
「久し振りに会えたんだ。これぐらい許してくれるだろう?」

 嫌味なのか判別がつかない。
 通りがかった店員にバーボンウイスキーとアレキサンダーを注文した秀一さんは、煙草に火をつけるとソファに身を沈めて深い溜め息をついた。

「君とクラウセヴィッツ夫人の行動力と気まぐれさには参った。後手に回ってばかりで、どうにか追いついたと思ったらあの夫婦の邪魔が入ってな。降谷君の手助けがなければ、こうして君を捕まえられていたかどうか」
「……あぁ、"しばらく黙っておく"としか言っていなかったわね、彼」

 降谷さんは、わたしのことをよくわかっている。
 考えようとして嫌になってやめて、それを繰り返すうちに秀一さんと上手くいかない状況に納得できない気持ちすら捨ててしまおうかと考え始める前に、手を打ってくれたのだ。

「……電話は無視されたな。メールは見たか?」
「見てない……」

 慌ててスマホの電源を入れて、メールを確認した。
 "ようやく仕事が終わった"、"会って話がしたい"、"無事でいるのか"、概ねそんな内容のメールが、数日にわたってたくさん届いていた。
 画面を覗き込んでいた秀一さんは、苦笑を漏らした。

「これでは格好がつかないな」

 格好悪いだなんて笑えない。
 自分勝手に彼からの連絡を無視して、怒られもせずにこうして甘やかされて。自分がひどい人間なのだと思い知らされるばかりだ。

「……怒ってないの?」
「まさか。言い訳をさせてほしいとは思っているが、……聞く耳は持ってくれているかな」

 スマホの画面を膝の上に伏せて、おそるおそる隣に座る秀一さんの顔を見上げる。
 切れ長の目元を緩ませた、優しい視線が注がれていた。
 どうにも気恥ずかしくて、視線を逸らしてしまう。けれど突き放していると思われたくなくて、彼の胸に頭を預けた。

「……仕事だった?」
「あぁ」
「だから連絡を取れなくなった?」
「そうだ。本当に申し訳なかった」
「……同僚みたいだったけれど」
「流石と言うべきか……ちゃんと聞いていたのか」

 秀一さんはわたしの体を少し離すと、耳に唇を寄せてきた。

「証拠品の薬物の横領。その証拠を突き止めるために、あの女の好みに合致した俺が使われたというだけの話さ」

 肌を擽る吐息とともに密やかに落とされた言葉で、ようやく合点がいった。
 なるほど、だから"恋人と自然消滅した"という噂を流して、近づきやすくしたのか。あの晩の対応も正解だったというわけだ。
 運ばれてきたお酒を受け取り、目を合わせるだけの乾杯をしてグラスに口をつけた。ブランデーの風味をカカオリキュールと生クリームが優しく包み込む、口当たりの良い甘さが広がる。

「そういうことなら仕方がないわね。降谷さんに"倦怠期だ"、"浮気だ"、なんて脅かされたから慌てちゃった」
「ホォー……彼も言ってくれる。だが浮気に走りそうなのは君の方じゃないのか? 俺の目の届かないところで降谷君と会っていると思うと、嫉妬でどうにかなりそうだ」

 秀一さんはウイスキーを呷りながら愚痴っぽく言った。
 彼の不安を直に聞けたのが新鮮で、少し驚く。いつも余裕がある大人の男だとばかり思っていたから、愚痴っぽくなったことも意外だった。
 でも、降谷さんはとても理性的な人で、わたしと秀一さんの関係をこれ以上悪くしないようにと気を遣ってくれたのだ。心からわたしの幸せを願ってくれる人だから、信じられる。

「心配しなくても、彼はわたしが"秀一さんといて幸せだ"って思っている限りは何もしないわよ」

 秀一さんは口角を上げて笑い、煙草に口をつけた。

「なるほど。君にそう思い続けてもらえるよう努力しなければならんな」

 彼がわたしを手放す気がないのだと理解して喜びが湧くのと同時に、不安も胸の内で膨らんだ。

「……秀一さんは?」
「ん?」
「わたし……あなたに対して可愛げのないことしか言わないし、自分勝手な勘違いで連絡も無視して心配かけるようなひどい人間よ。秀一さんは……わたしと付き合っていて幸せになれるの?」

 秀一さんは目を瞬かせて、それから煙草を人差し指と中指の間に挟んだままその手で表情を隠すかのように口元を覆った。
 腰を抱く手にさっきより力を込められる。
 不思議に思っていると、彼は堪えきれないといった様子で口から笑い声をこぼした。

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