05

 アメリカに戻ってきて一晩ホテルで過ごし、まず向かったのはFBIの本部だった。せっかく来たのだから、彼の職場も見学しようと思った。
 どうせまた忙しくて会えやしないのだから、好奇心を満たすだけでいい。トムとサリーも興味があると言ってついてきた。
 銃の保管室を出たところで、声をかけられた。

「穂純さん?」

 日本語で話しかけられ、思わず振り返る。
 驚いた顔をしてこちらを見ていたのは、スターリング捜査官だった。

「久しぶりね! 驚いたわ、まさかこっちに来ていたなんて」
「旅行で……」
≪ジョディ、知り合いかい?≫

 ガイドをしてくれていた職員の男性が、スターリング捜査官に尋ねた。

≪えぇ、シュウの恋人よ≫
≪何だって!? 自然消滅したとか言ってなかったか?≫
≪ただの噂でしょ≫

 ガイドの彼の心底驚いた様子を見るに、あの晩聞いた話は嘘ではなかったらしい。

≪いやいや、この間アレックスが直接聞いたら否定されなかったって……≫

 なるほど、わたしたちは自然消滅していたのか。

≪スターリング捜査官≫
≪! あ、ごめんなさい……。シュウなら今は休暇でヨーロッパに行っているわ≫
≪ヨーロッパに? なんでまた……≫
≪もしかして、会っていないの? てっきり穂純さんに会いに行ったんだとばかり……。居場所がわかる手段を持っていたみたいだし、彼ほどの捜査官が穂純さんを捕まえられないなんてこと、あるはずがないわ≫

 居場所がわかる手段。確かに、組織に顔を知られているわたしを心配する秀一さんに、位置情報を知るための手段を使ってもいいと伝えた。ヨーロッパまで追いかけてきて、それでも会えなかったとなれば――。
 思い当たる節があってトムとサリーを振り返ると、目を逸らされた。

≪凶悪犯みたいな顔してたから、つい避けさせちまって……≫
≪チトセが会いたくなさそうだったから……≫

 二人とも、わたしのためを思って、機嫌の悪い顔で追いかけてきた秀一さんをわたしが気づかないうちに避けていたらしい。
 てっきりあのまま仕事を続けているものだと思っていた。

≪今度は上手くやるのかと思ったら、相変わらずみたいね≫

 苦笑するスターリング捜査官を見て、首を傾げた。

≪例の組織に潜入するとき、シュウは"二人の女を同時に愛せるほど器用じゃない"なんて言って私と別れたの。でも穂純さんは一度手放したら日本の警察の彼に取られちゃうでしょう? だから今度こそ上手くやる自信があるんだって思ったのよ≫

 彼女の言葉で、ようやく理解した。彼は別れたつもりなんてない。
 あの晩、同僚の女性と仲睦まじく見えたのは彼が敢えてそうしていたからだ。あくまで仕事。でも、同僚に?

≪……そうだったのね≫
≪えぇ。……あっ、そろそろ行かなくちゃ。それじゃ、楽しんでいって!≫

 忙しなく立ち去ったスターリング捜査官を見送って、溜め息をついた。肝心なことだけ聞けなかった。とはいえ、仕事だという彼女をこちらの都合で引き止めるわけにもいかない。
 見学ツアーの残りも楽しんでから、映画でよく見る外観の建物から出た。

≪……そろそろ定時連絡の時間だわ≫
≪あら、じゃあまた私のスマホ使う?≫
≪そうする≫

 サリーが貸してくれたスマホから、安室さんのスマホに電話をかけた。

『降谷だ』
「穂純です。定時連絡」
『あぁ、ありがとう。観光は楽しめているか?』

 今日は雑談に興じてくれる程度には余裕があるらしい。心なしか機嫌も良さそうだ。

「えぇ、英語が話せるようになったのに今まで外国に行かなかったのはちょっともったいなかったわね」
『それは何より。そういえば、藤波が外事課の友人からワシントン市内の美味い店を教えてもらっていたんだが、興味は?』
「ある! 待って、サリーにも聞いてもらうから」

 ワシントン市内についてはサリーの方が詳しい。一緒に聞いて、場所を覚えてもらった。
 そろそろ食事をとる場所に悩み始めていたし、お店を教えてもらえるのはありがたい。さっそく今夜行ってみることにした。

『サリーさんに代わってもらえるか?』
「えぇ」

 サリーにスマホを返すと、トムに呼ばれた。

≪あっちにアイスクリームの移動販売車がいたぜ≫
≪本当? サリーにも買ってきましょう≫
≪おう≫

 二人には、わがままに付き合ってもらってばかりだ。こういう買い食いでお礼をするしかない。
 電話を終えて戻ってきたサリーとも一緒にアイスを食べて、しばらく街中を歩いてショッピングを楽しんだ。
 たくさん歩いてお腹はぺこぺこ。降谷さんが教えてくれたお店に行って、お勧めだと言っていたメニューを注文した。藤波さんの友人は美味しい物しか勧めないと言っていたから元々期待はしていた。食べてみると、それを裏切らないおいしさだった。
 降谷さんにお礼のメールを送って、トムとサリーと連れ立ってお店を出る。

「千歳」

 あの晩以来聞いていなかった声が横から飛んできて、ぴたりと足が止まった。
 油の切れたロボットのようにぎこちない動きでそちらを見る。
 紫煙を立ち昇らせる煙草を口に咥えて両手をポケットに突っ込んで、不機嫌そうな顔の秀一さんが立っていた。
 ……考えることから逃げていたらこれだ。
 頭ではわかっていた。きっと仕方のないことだったんだって。スターリング捜査官の言葉から推察するに、彼は同僚の女性に近づく必要があったのだ。あくまで、仕事として。
 だけど、納得できなかった。思いつく限りの反抗をして、嫌われてしまったらどうしようと思いながら、やめる踏ん切りもつかなくて。
 竦んだ足をどうにか動かしてその場から逃げようとしたら、サリーに両肩をそっと掴んで止められた。

≪この子の保護者から話は聞いてるわ。任せてもいいのね?≫
≪あぁ≫

 携帯灰皿に煙草の火を押しつけて、秀一さんはゆっくりと近づいてきた。
 右手を取られて、静かに持ち上げられる。掬い取られた指の背に唇が下りてきて、呆気に取られてそれを見ているとモスグリーンの瞳と視線が合った。

「やっと……捕まえた。俺と酒を飲む気はないか? 君が気に入りそうなバーを知っているんだ」

 どうして散々振り回したわたしを、今も優しく誘ってくれるのだろう。
 あぁ、どうしよう。いま口を開いたら、可愛げのない言葉が飛び出しそうだ。
 返事の代わりに右手で彼の左手を握ったら、秀一さんは目元を緩ませてしっかりと手を握り返してくれた。

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