04
やらかした。頭を埋め尽くすのは自らの失態への悪態だ。
バーで連れていた女がバッグをよその客のグラスに引っかけた。それだけなら何とも思わなかった。よりにもよって、そのテーブルにいたのが千歳だった。"仕事で時間が取れないから会えない"と返信したばかりの。
にっこりと笑んで"たまたま助けた一般人"を演じる姿ときたら、いっそ別人なのかと疑うほどのものだった。
仕事だと納得してくれたのだと思い込んで数日で片をつけ、連絡をしてみればすべて無視という対応が待っていた。
かけた電話も、弁解のメールも、おそらく千歳は意図的に反応せずにいる。
「……チッ」
コール音ばかりが鳴り響くスマートフォンを睨みながら、紫煙を吐き出した。
≪ちょっとシュウ! 最近吸い過ぎなんじゃない?≫
ジョディが煙をぱたぱたと手で払いながら近づいてきた。
≪……ジョディ≫
≪女々しくスマホばっかり眺めて! 何があったか知らないけど、仕事に集中できないならさっさと解決してきなさいよ。しばらく取りかかってた仕事は落ち着いたんでしょ?≫
ここ最近の喫煙量の増加は自覚している。ついでに飲酒量もだ。
同僚たちがそれを噂しつつも心配してくれている、ということも。
いい加減、動きもせずに応じてもらえないコールを飛ばしているのも無意味に感じてきたところだ。
≪……しばらく休暇を取る≫
≪ハァ!? 休暇って……≫
≪捕まえなきゃならん子猫がヨーロッパに飛んだんだ。一日二日じゃ足りない≫
ジョディはこめかみを押さえて深い溜め息をついた。
≪この際居場所を知ってることについては何も言わないわ。ボスにちゃんと申請するのよ≫
≪あぁ≫
灰皿に煙草の先を押しつけて火を消し、吸い殻を捨てた。
********************
ボスに休暇申請を出し、"ゆっくりしてきなさい"と温かい目で見送られて数日。
未だに千歳を捕まえられずにいた。
連絡は相変わらず無視され、護衛についている二人の男女が俺を"不審者"と断定しているのか避けられる。――いや、女の方は確かバーで千歳と一緒にいた。事情を分かったうえで千歳の好きにさせているのかもしれない。
加えてヘレナ・クラウセヴィッツと千歳の気まぐれな行動パターンについていけず、完全に後手に回っていた。通りがかった観光名所をゆっくり眺める暇もない。
しばらくヨーロッパをふらふらしていたのだが、何を思い立ったのか追跡していたスマートフォンの位置を示す光が地図上を高速で進んでいた。……飛行機に乗ったか。
溜め息を吐き、行き先がわかるまでは休むことにした。
数時間後、千歳のスマホがアメリカに移動したことがわかった。空港のすぐ近くに取っていたホテルを早々にチェックアウトし、乗れる中で最もフライトの時刻が早い飛行機に乗り込んだ。
約九時間のフライトを焦れた思いで耐え、良く知った土地に降り立った安心感を覚える時間も惜しく千歳のスマートフォンの位置情報を確認した。
「……電源を切ったか」
位置情報はどこにも示されない。護衛についていた二人は遠目に見ても相当な手練れだとわかった。だから、千歳の身の危険はないと考えていい。千歳の方から、俺に居場所を知られたくないと発信手段を潰したのだ。
となれば――頼れる人物は、一人しかいない。罵詈雑言を浴びせられることを覚悟で、連絡を取るほかないだろう。
空港の入り口の壁に凭れかかって行き交う人を眺めながら、唯一彼女と連絡を絶つことがない人物に電話をかけた。待ったのはスリーコール分の時間。すぐに通話状態になり、くすくすと笑う声が聞こえてきた。
『そろそろかけてくる頃だと思っていた』
「君と千歳は定時連絡で安否確認をしているだろう? ――降谷君」
『はは、とうとう追えなくなったのか。それで? 連絡が取れなかった理由は何なんだ』
愉しんでいるとも、怒っているとも取れる声調だ。
しかし、任務の内容をそう軽々しく口にできる立場でもない。
「黙秘する」
『なるほど、仕事ではあったわけか』
「恋人との自然消滅を装う必要があった――とだけ、言っておこう」
先日の千歳へのメールの返信も、慎重にせざるを得なかった。
弁解のメールを送りたいという思いはあったが、仕事と並行して何度も私事に労力を費やすわけにもいかなかった。
『色男は大変だな。まぁいい、そういう理由なら僕も怒ることができるような立ち回りはしていないからな』
どうやら手を貸す気になってくれたらしい。
「……千歳の居場所を知っているのか」
『アメリカにいるということぐらいはな』
からかわれている。どう反応していいのかわからず黙り込むと、降谷君はまた声を立てて笑った。
『昨日は違う端末から連絡を寄越しているんだ。スマホの電源を切っているなら、誰かから借りたんだろうな。"安室透"の番号にかけてきた。それが、約二十四時間前』
「次の定時連絡は」
『ちょうど今だな。静かにしていろ、呼吸の音も出すな。彼女に気づかれても僕は責任を負わない』
電話の向こうからスマートフォンのバイブ音が聞こえてきた。
今かけているのは"降谷零"のものだ、また千歳は自分のものとは別の端末から、他人の記録に残っても問題のない"安室透"の電話にかけているらしい。
『降谷だ』
『穂純です。定時連絡』
聞こえるように千歳と繋がっている端末のスピーカーをマイクに近づけてくれているらしい。
息を潜めて、会話に耳を傾けた。
『あぁ、ありがとう。観光は楽しめているか?』
『えぇ、英語が話せるようになったのに今まで外国に行かなかったのはちょっともったいなかったわね』
『それは何より。そういえば、藤波が外事課の友人からワシントン市内の美味い店を教えてもらっていたんだが、興味は?』
『ある!』
降谷君は千歳に店を教え、"さっそく今夜行ってみる"という言葉も引き出してみせた。
それから警護についているサリーという女からも千歳の近況を聞いていた。
特に問題も起こっていなさそうだということがわかり、最後に俺が千歳と話したがっていることも伝えて通話を終えた降谷君は溜め息をついた。
『さて、これで彼女が行く場所と凡その時間は決まったな。警護についている人物の協力も取りつけた』
「いいのか?」
『"赤井にはしばらく内緒にしておく"、としか言っていない。いい加減日本に戻ってきてもらいたいしな』
仕事があるのか、はたまた彼個人の感情的な問題か。
言葉や声の調子からはどちらなのか読み取れない。
「……君は彼女に対して過保護だな」
『過保護? 諦めていないだけだ。お前も気をつけるんだな。今はかまってもらえなくて拗ねているだけだが、"捨てる"と決めたら簡単に捨てられるぞ』
「ご忠告痛み入るよ。今夜、必ず捕まえてみせるさ」
『お手並み拝見といこうか。上手くいかなくても彼女が不幸になることはないから安心して玉砕してくれ』
「君こそ帰国した彼女の幸せそうな顔に惚れ直さんように気をつけることだ」
売り言葉に買い言葉で通話を終えて、近くの喫茶店で時間を潰した。
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