02

 降谷さんとエド、ヘレナの手助けにより、特に困ることもなくアメリカの地に降り立つことができた。
 三人とも心配性な親かと言いたくなるような過保護ぶりで、荷物の準備や手続きについても細かく手ほどきしてくれたのだ。
 空港で待っていた夫婦の社員とも無事合流できて、ワシントン市内をのんびり観光した。ナショナルギャラリーで珍しい作品を教えてもらったり、館内の装飾を眺めながら歩いたり。北米最大のカトリック教会の建物を見学したり。ヒルウッドミュージアムにも行って、ギフトショップで志保ちゃんへのお土産を買った。
 数日かけて観光を楽しんだし、そろそろ秀一さんにも連絡しないと、と考える。ナショナルギャラリーなんてかなり近い場所だったのだから、連絡を入れたって良かったのかもしれないけれど、やっぱり気が引けてやめていた。
 昼食をとるために入ったレストランのオープンテラスの席でスマホに視線を落として迷った。

≪チトセ、彼には連絡しないのかい?≫

 エドが用意してくれた護衛の一人、トムが爆弾を落としてきた。彼の妻であるサリーもわくわくした様子でこちらを見てくる。
 陽気に笑うトムはもちろんのこと、サリーも程よく筋肉がついていて身のこなしに隙がない。夜に出歩かないようにしているけれど、昼間だって危なくないわけじゃない。タチの悪い当たり屋からも守ってもらった。一人で来ようとしなくて正解だったな、と思った。
 それはそうと、ただの旅行のお供として紹介されたはずの二人が、なぜ秀一さんのことを知っているのか。

≪なんで知って……≫
≪奥様から聞いたんだよ、チトセにはワシントンで仕事してる恋人がいるってな≫
≪会いに来たんじゃないの?≫
≪……会いたいとは、思っているんだけれど……≫
≪俺らのことなら気にせずに! 特別手当も弾んでもらうんだ、いくらでも付き合うぜ?≫
≪トム、そういうことは言わないものよ≫

 仲の良い夫婦は見ていて微笑ましい。

≪ちょっと、メールしてみるわね≫
≪えぇ! 会えるといいわね≫

 少しの間、文面に悩んだ。
 "久しぶり"、とは嫌味っぽくて書けないし、他人行儀に挨拶から始めるのもなんだし。
 トムが横から茶々を入れてくると、サリーが呆れた声で窘める。

『アメリカに旅行しにきてるの。ワシントンにいるんだけど、数日中に会える?』

 結局、用件だけの簡潔な文章を送ってしまった。
 秀一さん、見てくれるかな。返事がないまま帰国――は、降谷さんがとてつもなく怒りそうだからやめてもらいたいし、想像したくない。会えなくてもいいから、せめて返事だけでももらえれば。

≪昼時だし、仕事してても見る時間はあるだろ?≫
≪そんなに心配しなくても大丈夫よ。彼、どこに勤めてるんだっけ?≫
≪……ビュロウ≫
≪あぁ、なら会いに行けるじゃない! 中も見学させてもらえるわよ≫
≪それはちょっと……≫

 わたしの歯切れの悪い返事に、サリーは首を傾げた。
 ここに来てごまかしきれるとも思えなくて、素直に今の状況を伝えた。

≪それは不安よねぇ。大丈夫よ、忙しくて会えないって言われたら飲みくらい付き合ってあげる≫
≪おいサリー、それは俺だけ酒を飲めないことになるんじゃないか≫
≪そうね≫
≪俺の奥さんは冷たいなぁ!≫

 けらけら笑うトムにつられて笑っていると、手の中でスマホが震えてメールの着信を知らせてきた。
 慌てて確認すると、秀一さんからの返事だった。タイトルはなしで送ったから、"Re:"というシンプルなタイトル。どきどきしながらメールを開いて、簡潔な文章を読んだ。

『すまない。仕事が立て込んでいて時間が取れない』

 意味を飲み込んで、深い溜め息を吐いた。

≪彼、なんて?≫
≪仕事が立て込んでいて時間が取れない、ですって≫
≪あらあら。じゃあ今夜はぱーっと飲みましょ! いい店知ってるの≫
≪そうする……≫

 落ち込んだ気分を元に戻すために、楽しめる場所に連れて行ってもらった。
 夜はサリーと一緒に、ワシントン市内のホテルの近くのバーに行った。
 普通の声で会話ができる程度には賑やかで、けれど騒がしいという感じもしない。落ち着いた雰囲気のあるバーだった。
 二人用の丸テーブル席に向かい合って座って、メニューを眺める。

≪チトセはどんなのが好き?≫
≪飲みやすいカクテル、特にミルク系ね。スイーツがあったら最高≫
≪あら可愛い。私もたまにはそういうのにしようかしら≫

 注文したものが来て、味を楽しみながらサリーにここ最近の不安を吐露した。
 倦怠期だってちゃんと理解して、そういう時期なのだと割り切れれば大丈夫だとはいうけれど。秀一さんにそういう気持ちがもうなかったら、どうしたらいいのだろう。

≪さすがシュウ、いいお店知ってるのね≫
≪君に楽しんでもらうために探したんだ≫

 喧騒の中、耳に飛び込んできた声にお酒でぼーっとしていた頭が一気に醒めた。間違うはずはない、いくらここ最近連絡がとれていなくたって、聞けばわかる。――秀一さんが、後ろを通った。
 サリーに耳打ちしてこっそり確認してもらうと、秀一さんと連れている女性は、わたしの背後にある窓に面したカウンター席に座ったとのことだった。
 話題をトムとサリーの馴れ初めにすり替えつつ、背後の会話に耳を傾けた。周囲の会話を聞き分けるのにはすっかり慣れてしまった。まさかこんなことで使うとは思っていなかったけれど。

≪恋人とは自然消滅したって本当なの?≫
≪どこで聞いたんだ、そんな話≫
≪あら、否定しないのね≫

 会話を聞く限り、一緒にいる女性は同僚のようだ。同僚と仕事で、飲みに来る。周囲の会話に耳を澄ませたって、怪しげなものは聞こえてこないのに。
 メールの返信を思い出して、無性に悲しくなった。
 そうか、別に会わなくてもいい、それより同僚の女性と飲みたい、そう思われていたのか。
 ネガティブな思考に陥っているとはわかっていたけれど、たどり着いた結論がいやに腑に落ちてしまった。

≪チトセ、大丈夫?≫
≪……もう少しいてもいい?≫
≪え? 私はいいけど……≫

 サリーはちらちらとわたしの背後を気にしている。わたしが見てはいけないものがあるみたいに。
 声を聞かれないようにサリーに注文をしてもらって、カルーア・ミルクで苦々しい思いを薄めようとした。

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