28

 穂純さんを助手席に乗せ、地下駐車場から出た。

「本当に失礼しちゃう! しょうもないことで嘘つく余裕なんてなかったのに!」

 彼女はご機嫌斜めなままだ。こうして素直に怒っていると歳相応なのにな、と口にしたら火に油を注ぐ結果になりそうなことを考えた。

「車選びが終わったらお勧めの喫茶店に連れて行くよ。それで機嫌を直してくれ」

 ぱっと顔を上げてこちらを見られた。
 横目で見ると、興味を持ったことがわかる顔をしていた。

「……それで許してあげる」

 取り繕うように咳払いをされた。
 元よりそこまで怒っていないだろう。年下というだけで舐められやすいから、大人びて見えるように振る舞っていたはずだ。

「あぁ、許してくれ。それで、車の目星はついてるのか?」
「うん、アテンザセダンがいいなーって。色は赤!」
「赤……」

 殺したいほど憎い男の顔が脳裏にちらついた。
 "マツダといえば赤"というのはわからなくもないが、感情的な部分で納得がいかない。

「……意外と大きい車に乗りたがるんだな。軽自動車が出てくると思っていた」
「かっこいい車と運転は好きなの。上手いわけじゃないけど」
「ドライブには?」
「時々。高速で遠出して、おいしいもの食べて帰ってくるのがいいのよね」
「それは楽しそうだ」

 車の細かい希望を聞き出しながら、約束をした店に向かった。
 馴染みの担当に出迎えられ、早速来る途中に聞いた穂純さんの要望を伝えた。
 横で聞いていた彼女はよくわかっていない様子で、オプションについて説明して、つけた方がいいものはそう言えば"安室さんが言うならそうする"と返事をした。稼ぎがあるのは知っているが、どうせ手放すのだからと頓着しなさすぎなのではないか。懸念が増えて、頭が痛くなった。
 この場では手付金だけ渡してあっさりと振込での支払いを承諾し、契約はすぐに終わった。
 さっくりと成約したことにご満悦の担当ににこやかに見送られ、約束した通り喫茶店に向かった。
 奥のテーブル席に向かい合って座り、メニューを彼女が読みやすいように置く。

「何がいいですか? お勧めはモンブランとミルフィーユかな」
「んー……悩むわね……」
「選ばなかった方は僕が頼んで一口あげましょうか」

 じとっとした視線を向けられた。

「……からかってる?」
「えぇ、からかってます」
「じゃあわたしはホットミルクティーとミルフィーユで。安室さんはモンブランね」

 からかったのだとわかったうえで提案を飲まれてしまった。

「……からかい返されてます?」

 穂純さんはにっこりと笑った。

「えぇ、もちろん。さすがに栗は取らないから安心してちょうだい」
「……僕はコーヒーにしますね」

 相変わらず食えないというか、なんというか。どうでもいいことに関しては茶目っ気たっぷりに返してくる。
 注文した物を待つ間は、日頃の生活の中で気をつけた方がいいことを伝えた。
 もらいっぱなしは申し訳ないと言うのでケーキは一口ずつ交換して、穏やかなティータイムを過ごした。
 すっかり機嫌を直してくれた穂純さんを自宅に送り届け、地下駐車場に停めた自分の車に戻って溜め息をつく。
 おかしな様子は見られなかったが、家に一人でいて塞ぎ込んでしまわないかが心配だった。

 強い私情を挟んでいることは否定できない。
 スコッチの命の顛末は、ライしか知らないことになっている。バーボンは直後に駆けつけた。その場でスコッチがNOCであることを聞かされて――長らくチームを組んでいた仲間を失ったことにショックを受けただけだ、ということになっている。そうするしか、なかった。
 彼の殉職を公安に伝え、自殺であったという事実は飲み込んできた。情報はどこから漏れるかわからない。ライが上げた報告書を信じた振りをして、奴がNOCだとわかった後は、"なぜアイツを死なせてしまったのか"と憎み続けてきた。
 そうして一人で抱え込んできた秘密を、穂純さんも知っていた。触れてはならないものだと理解してくれていた。風見にすら、何も話さなかった。
 弱みを見せたとしても、彼女は受け止めてくれるだろう。俺がそうしたのと同じように、傷に触れた罪悪感を拭うために。誰かに縋るつもりはないが、彼女を失うのは残念だと思った。
 帰れないことが辛いなら、帰らなくても良くなるようにしてしまおうか。きっと彼女は絆されやすい。好意を向ければ向けただけ、同じ量を返そうとするだろう。孤独感に苛まれていた分、より顕著に。

「――なんて、無責任だな」

 自嘲の溜め息を吐きだして、ハンドルの上に載せた手の甲に額をつけた。
 彼女は"帰りたい"と願っているんだ。いずれ手放すものに心を傾けられるほどの余裕はない。迂闊に手を出せば、危険に晒して苦しめることになる。
 独りでいる辛さに負けて、秘密を明かしてくれただけだ。何かあっても頼れる場所を求めただけだ。思い出づくりのような真似は、求めていない。
 せめて――彼女が一番頼れる存在でいよう。いずれいなくなるのなら、綺麗に終われる関係でいい。生きて別れられるのならそれでいい。
 大事なものは、いつだって手からこぼれ落ちていくのだ。だったら、初めから手の内に入れなければいい。
 心の内で"彼女を欲しがるな"と自分に言い聞かせながらも、治りかけの傷を慈しむように撫でられた感触が恋しくて右手の甲を隠すように左手で覆った。あの手でまた触れられたら、今度こそ逃れられない予感がする。

「愚かな男には、なりたくないな」

 虚しい独白を掻き消したくて、愛車のエンジンを始動させた。

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