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 雑談をする元気も出てきたようなので一安心だ。
 自分の身に起きたことを現実だと受け止めてなお"帰りたい"と願っているなら、無茶はしないだろう。
 彼女の本心を暴くのには時間がかかると踏んでいた。だから午後は、彼女のために空けていた。

「さて、穂純さん、落ち着いたみたいだし、外に行けるように準備してきてくれるか?」
「外?」

 きょとんとして訊き返してきた。"どこか行くの?"と言いたげだ。
 これまでつれなかった猫がなついてくれたようで気分がいい。

「車を買うんだろう? 風見が警護のために宇都宮氏に接触して、世間話でマツダの車が気になっていることも聞いている。ご存知の通り僕の愛車はマツダのものだ、懇意にしている店もある。今月はノルマがどうとか言っていて、おそらく紹介すればいつもよりサービスしてくれる。……どうする?」

 風見からの報告で、彼女が車の購入を真剣に検討し始めていることは知っていた。電車には乗りたくないから、必然的にタクシーやレンタカーを使うことになる。時折ならまだしも、彼女の仕事では頻繁に使ってしまってあまり経済的ではないはずだ。
 車好きな宇都宮氏がいろいろと手伝うだろうことも予想はついたが、何か手助けをしてやりたかった。
 外では気が強そうに見えるメイクをして見た目そのままの性格でいるが、白河さんや風見が接触するとフォローしてもらえるという安心感があるためか気を緩めてくれるのだという。それならそういう時間を少しでも伸ばせればと、彼女の用事に付き合うことを決めていた。
 "断られない"という確信を持った問いかけに、穂純さんはふふ、と笑った。

「すぐに準備してくるね。降谷さんがそう言ってくれるなら、乗らない手はないもの」
「あぁ、ゆっくりどうぞ」

 服を替えて洗面所に引っ込んだ彼女が化粧直しをしている間に、普段車のメンテナンスを頼んでいる店に連絡をした。馴染みの担当は快諾してくれたので、店に着く時間を伝えた。
 電話を終えたところで、気の強そうな印象を与える、見慣れた顔をした穂純さんが戻ってきた。
 変装はベルモットがよくやっているが、メイクでも随分変わるんだな、とまじまじと見てしまう。

「お待たせ、準備できたわよ?」
「あぁ。……こっちの方が見慣れた顔だな」
「そうでしょうとも。外に出るときはいつもこれだもの」

 寝室から持ってきていたハンドバッグに財布と鍵が入っていることを最後に確認して、部屋を出るように促された。
 ふと思い出したのは、彼女に探りを入れていた間の言葉だ。

 ――"探るのならどうぞ好きなだけ。わたしの真実に辿り着けたら、"わたし"に会うこともゆるしてあげる"。

 あのときは不可解な発言だと思った。しかしこうして会ってみると、あの強気な女性とは別人なのかと考えてしまうほどに素直だった。

「"君"に会うことを許してくれた、と思ってもいいのか?」

 穂純さんは目を瞬かせて、それから肩を竦めて笑った。

「そんな言葉まで覚えていたの? ……えぇ、許したわよ。風見にもイメージ壊れたって言われちゃった」
「ははっ。まぁ、どちらでも気にしない。穂純さんも気にしてないだろ?」

 玄関のドアを開けて、廊下に出る。
 "安室透"としての顔をつくり、彼女がドアを閉めるのを待った。

「じゃあ行きましょうか、千歳さん。鍵はかかりました?」
「大丈夫」

 エレベーターに乗り、駐車場のある地下一階のボタンを押した。
 ゆっくりと降りていく感覚を覚えながら、少しでも彼女の心を軽くできればと、口を開いた。

「せっかくなんですから、楽しめばいいんです」

 服や化粧品にお金を使うのも、夜にバーで酒を楽しむのも、彼女が心のどこかで塞ぎ込んでしまわないようにと張ってきた予防線だ。
 彼女は"普通"と称せるほどにここでも馴染んでいる。いざ帰ることになれば手こずるであろう後始末ぐらいは引き受けるつもりだった。苦しめて本心まで暴き、これから彼女のことを利用する、償いにするつもりだった。だから、楽しめるだけ楽しめばいい。

「そうね、ローン組まずに車を買うって、夢だったのよね」
「おや、あなたの口からそんな即物的な願望が聞けるとは」
「悪くないでしょ? 自由な移動手段が増えるのもいいことだわ。できることが増えるもの」

 にっこりと笑んで言われ、頷いた。
 泣いて吹っ切れたのか、新しい楽しみを見つけて嬉しそうだ。

「そうですね。それに、これまでのあなたよりは人間らしくていいんじゃないですか?」

 演じてきた"普通"の女性。深い絶望に押しやられて抜け落ちた感情。
 それらが"本当"のものになれば、振る舞いもリアリティを増す。
 揶揄いを交えて返すと、むっとした表情をされた。

「あなたたちってたいがい失礼よね。わたし三つも四つもサバ読んでないから」
「嘘だろ」

 反射で言葉が漏れた。小さな声ではあったが、耳の良い彼女には拾われてぺちっと腕を叩かれてしまった。
 年齢について虚偽の申告はしていない――つまり、二十代前半だということだ。確かに今なら納得できるが、……嘘だろ。
 地下一階に着いたことを知らせるエレベーターのベルの音が、虚しく鳴り響いた。

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