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――宇都宮さんと、暇潰しに喫茶店に行ったの。路地裏にひっそり看板を出しているところで、たぶん人目を避けるのにはいい場所だった。そこのソファ席で、外国人が何人かでテーブルの上に紙を広げて話し合っていたの。静かなところだったし、降谷さんも知っているとおりどんな言語もわかるから……会話を聞いてしまって。
その場でスマホにメモをしたらしい言葉をプリントアウトした紙と、その会話から彼女が推測した動機についての資料を渡された。
メモには"支援の打ち切り"、"裏切られた"、"次男を後継にしたい"という動機と考えられる言葉のほか、日時や"壇上に立った時に狙撃"、"第三ビル"といった具体的な暗殺計画に関する言葉も書かれていた。
それを元に、穂純さんはまず計画が実行される日に現場となる施設で開催される催し物を調べた。日取りと場所さえわかっていれば、容易いことだったに違いない。
そしてイベントが地域に根ざしたものだったため、近隣にある会社も招待されるのではないかと推測し、後継者の問題が浮上している企業を探した。これに関しても、運良くひとつだけに絞り込めたらしい。
アフリカ地域との関連性は、企業が行っている人道支援。その活動に対する後継者候補の考えが異なっており、暗殺計画を企てているグループにとっては後継者候補である長男と次男のうち、次男に後継者となってもらう方が好都合。――となれば、殺害されるのは長男か、既に次男に後を継がせる決定をしているなどの理由で用済みになった現社長だ。
彼女は殺される人物が父親かもしれないというところまで考えが至らなかったようだが、それでも十分な情報といえた。こちらでより詳細に調べれば、十分に対策を練ることができる。
預けてくれた書類は彼女にとっては不要な物で、使い終わったら処分していいと言われた。万が一犯人に気づかれて、情報がどこから漏れたのかを探られたときに彼女の手元にこんな資料があっては身を守ることができない。そういう意味では、賢明な判断といえた。
「すぐに戻って調べるよ。情報の提供、感謝する」
「えぇ……」
二つの封筒を抱えてソファから立ち上がると、元気のない返事をした穂純さんは玄関まで見送りにきてくれた。
「計画の実行日の後の最初の休みはいつにするんだ?」
「月曜日は、朝十時の定時のメールチェックをして、あとは家でのんびりする予定」
「じゃあ、その日の午後一時にまた来る。それまでは万が一のために白河か風見が警護に来るかもしれないが、そのときは邪険にしないでやってくれ」
バツが悪そうに口を尖らせられた。
あの時は風見の職業が"わからないふり"をしていたからそうしていただけだ。彼女の反応からするに、もう邪険にはされないだろう。
ドアを開けて、自分の体が通れるだけの隙間から出る。
「もうしないわ。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
部屋から一歩出たら、"安室透"でいなければ。
暗い表情を浮かべる穂純さんのことは気にかかるが、十日で殺害計画の全貌を暴かなければならない。
安心させることができるようにできる限り優しい声を落として、ドアを閉めた。自動で鍵がかかるのを確認し、マンションから出る。
スマホで白河さんに電話をかけた。
『はいはい、何か用事? 安室君』
「調べてほしいことがあります。十日後に開催される――」
警備員として動くことができる"黒川恵梨"なら、招待される人物のリストやイベントのプログラムぐらいは容易く手に入れられる。
そのリストから後継者問題が浮上している企業を改めて洗い出し、同時に会場の構造と狙撃のタイミング、狙撃に使われる"第三ビル"を探す必要もある。
ある程度情報を揃えたら、刑事部にでも渡して事を収めさせればいい。
風見に連絡を取って采配を任せ、急遽舞い込んだ組織からの呼び出しに応じることにした。
********************
穂純さんから情報提供を受けて、二週間が経った。白河さんと藤波を使い二日で計画の動機と全貌を調べ上げ、ネタ元を伏せたうえで刑事部に情報を渡した。四日前に開催されたイベントでは、社長と長男を守るために万全の対策がなされ、死者を出さずに事態を収拾することができた。
白河さんと風見には刑事部へ情報を渡した後は穂純さんの精神面のフォローと彼女が話を盗み聞いた際に同席していた宇都宮氏の警護をするように頼んであった。たびたび上がる報告には気に病み過ぎているということはなさそうだとあり、安堵した。
白河さんは彼女が経歴について調べられても対応できるように色々と仕込んでやっているらしい。気が強そうに見えた彼女が素直になって頼ってくると、ついつい甘やかしてしまいたくなる気持ちもわからなくはない。
事件の後処理を見届け、情報の提供元の隠蔽工作ができたことも確認できた。あとはニュースを見たとしても気にしているだろう彼女に報告をするだけだ。
約束をした月曜日、午後一時にマンションに着いてインターフォンを鳴らす。取り決め通りに口を開かずにいると、エントランスのドアが開けられた。彼女の住む405号室に向かいドアをノックすると、すぐに迎え入れられた。
部屋に入ってドアを閉め、自動で鍵がかかったのを確認する。それから穂純さんの顔を見て、失礼だと頭の中で考えながらまじまじと見てしまった。
「こんにちは」
「……こんにちは。ちょっと失礼」
一応はと断りを入れつつ、頬に手を伸ばしてそっと目尻を押し上げてみた。
吊り目にしてみると、どことなくいつも見ている雰囲気になる。
穂純さん自身、思い当たる節があるのかされるがまま。
「……いつもは化粧で?」
「そう、化粧で」
藤波が"気が強そう"と評していた外見は、つくられたものだった。いつもは凛としている目元は、柔らかい印象を与えてくる。
普段もそう濃くしているわけではなさそうだが、いつにも増してナチュラルメイクを意識していることが窺える。目元の印象が変わると、随分幼く見えた。
「驚いた?」
小首を傾げて問われ、素直に頷いた。
「一瞬別人かと。……チェックしますね」
「どうぞ」
靴を脱いで上がらせてもらい、盗聴器の確認をした。彼女の周囲に不審な人物がいたという報告はないから、そう心配しなくても良さそうだ。
穂純さんは仕事部屋にだけはついてきて、そこが調べ終わるとリビングで待っていた。信頼されていることを嬉しく思えばいいのか、警戒心のなさについて注意喚起した方がいいのか、決めかねる。
特に異常がないことを確認して、彼女の待つリビングに向かいソファに座った。
「まずは報告だな。穂純さんの情報提供のおかげで、死者を出さずに済んだよ。僕の上司から管轄の組織へ連絡して、情報の提供元も割れないようにしてある」
「そう、……良かった」
心からの安堵を込めた溜め息が漏らされる。
きっと彼女は、見捨てたら後悔していた。根は善人で、お人好しなのだ。クラウセヴィッツ氏の言葉が今更ながらに腑に落ちた。
そこまで理解して考えるのは、彼女の今後について。生きていくだけなら、今の状況で十分だろう。しかし、彼女には本来の居場所がある。家族、友人、勤めていた会社。置き去りにしてきた、あるいは彼女が放り出されてしまった環境があるはずだ。
「あの晩は今回のことで慌ただしく帰ったから、きちんと聞けてなかったな」
"今回のこと"についてはあの時に詳しく聞いた。だから、別の話題だ。
彼女は正しく結論づけて、首を傾げながら目を合わせてきた。
「……君はこれから、どうしたいんだ?」
踏み込まれることを怖がっている心の奥底を暴く質問を投げかける。
安堵が滲む柔らかい表情が、彼女の顔からすとんと抜け落ちた。
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