21

 裏社会とは無縁の彼女の口から、懐かしいコードネームが出てきた。
 しかしそれだけで信じ切るわけにもいかない。

「……酒の名前ですか」

 白々しく問いかけると、彼女は首を横に振った。

「嘘のあなたの同僚」

 ――そうだ。"バーボン"と"スコッチ"は、手を組んで組織の仕事をこなすことが多かった。

「本当は同じ組織に潜入していた警視庁公安部の捜査官」

 ――それも正しい。彼女が知っているはずはないのに。

「あなたを、"ゼロ"と呼ぶ幼馴染」

 ――どこかで俺とアイツを見たのか? 歳はそう離れていないから、もしかしたら。
 彼女は一呼吸おいて、また口を開いた。

「ライに、赤井秀一に、ビルの屋上で追い詰められて自殺を選んだ人」

 あの夜のことは、"裏切り者のスコッチをライが射殺して始末した"――そう報告されている。その裏側を、彼女は知っている。
 口を閉ざし無反応を貫く俺に対して、彼女は言葉を重ねた。

「"裏切りには制裁をもって答える……、だったよな?"」

 思わず息を飲んでしまった。
 あの男とは似ても似つかない女性らしい声で、俺の記憶と相違のない言葉が紡がれる。

「"心臓の鼓動を聞いても無駄だ、死んでるよ……拳銃で心臓を、ブチ抜いてやったからな……"。この言葉に、ライの発言に、覚えはあるかしら」

 彼女が躊躇った理由はこれだ。
 信じさせる材料として持っていたのがあの夜の話。
 あの夜に生み出された憎しみを、悲哀を――彼女は触れてはいけないものだと理解していた。
 だから風見に席を外してもらえるように前置きをした。口にすることを最後まで悩んだ。
 ――優しい彼女は、それでも俺にとって残酷な答えを出した。
 彼女は伏せていた目を開けて、漸く視線を合わせてくれた。
 こちらを窺う、不安そうな視線。怒る気にはならなかった。隅に追いやっていたあの男に対する憎しみだけは、胸の内で膨れ上がったが。
 八つ当たりをする気はない。どす黒い感情を溜め息に乗せて吐き出しきり、それでも残る苛立ちを悟られまいと自分の手で目を隠した。

「はは、意地悪だな……本当に。俺が辿り着くまでの間に何があったのかも、知っているんだろう?」
「……知ってるわ」
「それを君は言うつもりがない。……俺も聞く気はないよ。アイツの死の秘密は、自分で解き明かす」
「そう答えると思っていたわ」

 慎重に言葉を選んで答えられる。彼女の言葉に偽りはない。きっと、アイツがあの場所でライと接触して――ライが持っていた拳銃で自殺に至るまでの経緯を多少なりとも知っているのだ。
 信じる外ない。組織の人間であれば、"スコッチが自殺した"とは認識していないはずだ。あの現場の近くにいたとしても、見える位置に人の気配はなかった。何も見ていないのに、あの男の言葉を知っていながら自殺だと言い切れることに――彼女が知る物語の中にあの夜の話が組み込まれているのであれば、矛盾はない。
 最後にひとつ息を吐いて、目元を隠した手を膝の上に戻した。

「穂純さん、君の話を信じるよ。あの言葉は僕と赤井しか知らない」
「……そう。怒らないの?」

 不安を拭えないのか、身構えて問いかけられる。
 彼女に対して怒りを抱くことはない。風見に席を外させようとして、それでも悩んで、最後に"どうしても信じてほしい"と考えて口にした言葉だ。彼女にとっても、口にするのに勇気が必要だったはずだ。それらを汲めるのに、怒る気にはなれない。

「傷じゃない、とは言わない。触れられれば痛むし、みっともないから隠しておきたかった。それを汲んで風見に席を外させようとしてくれただけで、十分だよ」
「そう……」

 彼女はほっとした様子で相槌を打った。
 信じざるを得ない情報が出てきた以上、風見に席を外させ続ける理由はない。電話で呼び戻し、話をした結果を内容には触れずに伝えた。
 穂純さんにじっと見つめられ、流石に視線を無視できずにそちらに目を向ける。

「どうしました?」
「……敬語じゃなくて、いいです」

 突然しおらしくなってしまった。
 悪足掻きも終わって、彼女の本来の性格が顔を出してくれたのだろう。
 信頼されているようで、悪い気はしない。しかし、違和感も大いにある。

「わかった。すっかり慣れたし、穂純さんも敬語じゃなくていい」
「あなたがそう言うなら、そうさせてもらうわ。……今後わたしをどうする気なのか、聞いてもいい?」

 偽りの情報を基に戸籍を作り、それを認めてしまった――だから、何か罰が下るかもしれない。
 そんな不安を表情に浮かべて、彼女はおずおずと訊いてきた。

「穂純さんの場合、刑法第百五十七条の公正証書原本不実記載等にあたるかな。公務員に虚偽の申立てをして、登記簿や戸籍簿なんかの公正証書の原本に嘘を記録させた場合がこれに該当する。刑事罰は懲役五年か、五十万円以下の罰金だ」
「…………」

 彼女は目に見えて落ち込んだ様子だった。
 本当のことを説明しても、信じてもらえずに然るべき場所へ連れて行かれる。かといって、素直に認めて最長で五年も服役するのには納得いかない。罰金で済めばいいけど、と言いたげな表情だ。
 しかし、告発する気もなかった。

「大丈夫だ、穂純さんをどうこうしようと思っても、証明責任が果たせない」

 彼女が"どこにもいなかった"ということを証明するのは難しい。住んでいた場所も、働いていた店も、"覚えていないからわからない"と言い切ってしまえばそれで済む。米花駅に現れるまでの彼女がどこにいたのかも、当然ながら"存在していない"のだから証明はできない。彼女の嘘を突き崩すことは、不可能に近い。
 罪を犯した証拠がないのなら、"無罪"だと判断するしかない。それがこの国の法の原則だ。
 だから家庭裁判所も就籍許可を出したのだと伝えると、穂純さんはほっとした様子を見せた。

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