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「……まだ続きがありそうね」

 苦々しい思いを隠さずに続きを促される。

「えぇ、ありますよ。では続けます、それであなたが追い込まれる結果になると思いますが」
「ダメ押しってこと?」
「そうなりますね」

 彼女は嫌そうな表情を浮かべ、じっと見てきた。
 少しでも冷静になろうと考えたのか、手はグラスに当てられている。

「これはあなたのミスが生んだ矛盾ではありません。経歴がどうあれ善良な一般市民なら、自然なことですよ。それゆえに、あなたの突拍子もない話を信じざるを得なくなりました。……"忘れた"と嘘をついて戸籍を作る大胆さがありながら、トラウトに対するあなたの態度は一般人のものでした。戸籍に関して嘘をつけたのは、絶対に秘密を明かされないという自信があったからですね」
「……」

 罪を認めるわけにはいかない。だから、頷かない。
 彼女は賢い選択をして、無反応を貫いた。

「狙撃された時と、トラウトと対峙した時。あなたには瞳孔の拡大と心拍の急上昇が見受けられました。これはどちらも恐怖を感じた時の反応です。それから、後ずさろうともしましたね。あの状況なら我々と距離を置いてトラウトに狙われる可能性を高めるより、むしろ近づいて盾にした方がいいのはわかるはず。それでも恐怖の対象から距離をおこうとしてしまう、一般人によく見られる行動です。どこかの工作員なら話は早かったんですが、そういう人間がつくったにしては戸籍は杜撰ですし、先ほど言ったとおりあなたは我々を相手に嘘をつくことも恐怖心をコントロールすることもできていない――つまりはそれなりの訓練を積んだようすが見られないんです。一般人を装うにしても、命の懸かったあの場で守ってくれる人間から距離を置くのは得策ではない。以上の行動から、我々はあなたが一般人だと断じました」

 彼女の言葉の端々から組み立てた仮説、それによって説明がつく彼女の不審な足跡。何らかの工作を施そうとした人間にしては、未熟というのも憚られる能力の低さ。
 それが"真実"だと知っている彼女には、この仮説を崩しようがないのだ。
 彼女は瞳に不安の色を浮かべて、ただ口を閉ざしてしまった。
 あとは、彼女の話を信じるに至った決定的な"事実の記録"の話をするだけだ。これについては、調べた当人が話す方がいい。風見に目配せをすると、風見は頷いて彼女に向き直った。

「穂純さんが降谷と共に打ち合わせや捜査をしている間、私は東都環状線の防犯カメラを調べていました。あなたが米花駅で降りたことを確認できるあの電車が停車した駅、線路、それらが映ったカメラのすべてを」
「……やっぱり暇なの?」
「仕事の一環です。あなたが工作員なら、野放しにはしておけなかったので」

 彼女は呆れたような視線を風見に向け、続きを促してきた。

「……どうしても、穂純さんが見つかりませんでした。あなたが乗っていたのは環状線から出ることのない車両。だから、環状線内のどこかの駅で乗り込む姿、もしくは停車中の車内にいる姿のいずれかを見つけられるはずだったんです。ちょうど、米花駅とひとつ前の駅の間に、カメラがありまして。そのカメラはあなたが乗っていた車両を鮮明に映していたんです。ですが、そこにもあなたは映っていなかった。にもかかわらず、米花駅であなたは電車を降りて、その姿がカメラに映っていた。穂純さんの運動能力は走っている電車に乗り込めるほどのものではないことを考えると――、突然現れたのだとしか考えられない」

 彼女はぐっと押し黙り、表情に焦りを滲ませていた。
 自分の足跡を辿るのに都合が良いカメラが存在していることを想定していなかったのだろう。

「そこで、あなたにとってここが物語の世界の中である、電車で来た、電車がどこに行くかわからない、という発言です。あなたは仕事帰りにいつも通りに電車に乗っていて、気がついたら米花駅にいた。慣れた路線での帰宅途中なのに耳慣れない駅名を聞いたのなら、降りて現在地を確かめるのが自然です。あなたは現在地が米花駅であることを知り、それが読んだことのある物語に登場した地名だったから、物語の世界の中に来てしまったと考えた。電車がどこに行くかわからないというのにも頷けます。あなたは帰宅するために乗っていた電車で、わけもわからぬうちに米花駅に来ていたんですから。迂闊に電車に乗って、また見知らぬ場所へ行くのも恐ろしいと考えるのも無理はない」

 彼女は眉を下げて溜め息をついた。反論の言葉など、ひとつも浮かばないと言いたげに。
 風見からのアイコンタクトを受けて、また口を開く。

「この話が事実なら、こちらの調査結果も辻褄が合う。はじめは信じられませんでしたよ。……ですが、どれだけありえないと思っても、僕と風見は己の手でその他の可能性を排除してしまった」

 だから、答えが欲しい。
 彼女は溜め息をついたときの表情をそのままに、無理矢理口の端を上げて笑みをかたちづくった。

「そんな馬鹿馬鹿しい答えを、あなたたちは信じるのね」

 これは最後の確認だ。
 声に困惑と不信感が滲んでいる。その腹の内でほくそ笑んでいるのか、はたまた声色通りの感情を抱いているのか。

「これが"正解"だと、自信を持って言えるからですよ。そしてこれが間違いなら、この数日のあなたの行動が我々を欺くための完璧なものだったのなら、我々にはあなたの秘密を暴くことはできない。あなたの勝ちです」

 彼女は何も答えない。
 押し黙ったまま、肯定も否定もせずに、ただ俺の言葉に耳を傾けている。

「どれも、推測の域を出ません。あなたが多くの言語を操れることの説明もつけられていない。あとはあなたが持っているピースで、すべて埋められるのではないですか?」

 問いかけには答えざるを得ないはずだ。
 言葉尻を意識して変えると、彼女は薄くなったカルーア・ベリーのグラスを手に取り、自身を勢いづけるかのように残っていた中身を飲み干した。
 白い喉を上下させてアルコールが通っていくさまを見守り、艶めいた唇の動きに意識を集中させる。

「そうね、……わたしの負けね」

 僅かに残った薄いカクテルの上に浮かぶ氷が、グラスを置かれた弾みでからからと音を立てた。
 彼女はグラスから手を離して、膝の上に置いて握り締めた。
 不安そうに揺らめく瞳で、俺の顔をじっと見てくる。

「……ごめんなさい。降谷さんに、これから意地悪を言うわ」

 きっと答え合わせをしてくれるのだろう。
 それも、風見も知らないような俺に関わる何かを口にして。

「はい。……風見」

 言外に"席を外せ"と伝えると、風見は意図を察して腰を上げた。

「はっ。何を飲みますか」
「ティフィンミルクをお願い」

 風見は無言で頷いて、彼女のグラスを手に持ち部屋を出ていった。
 足音と気配が遠ざかっていくのを確認して、手だけで彼女に発言を促す。
 躊躇うように息を細く吸って吐いて、それでも決心がつかないのか、目を伏せられた。
 俺の態度を直視したくないのだろう。それほどまでに、口にするのが憚られる内容なのだろう。
 それでいい。すべて正直に話してくれるのなら。


「――スコッチ」


 白河さんの言葉に対して"理解して頷いた"ことを決定づける単語が、震える唇から紡ぎ出された。

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