03
上品なチャイムの音のあと、すぐにぷつりとマイクが入る音がした。
『はい』
「穂純です。昴さん、いま大丈夫?」
『少々お待ちを』
インターホンの通話が切れて、一分も経たないうちに玄関の扉が開いた。
門扉も開けてくれて、庭に迎え入れられる。
昴さんはわたしをひと目見て、ふむ、と一人納得したように頷くと手招いてきた。
促されるまま玄関に入ると、扉が閉められて昴さんは自分の首元に手を伸ばす。
ピッ、と音がして、変声器のスイッチを押したのだとわかった。目もいつもの薄目ではない。いつでも昴さんに戻れる状態ではありつつも、赤井さんに用事があることはわかって相対してくれているのか。
「話は聞こえた、手短に済ませて構わない」
「話が早くて助かるわ。はい、ハッピーバレンタイン」
紙袋からラッピングされた箱を取り出して渡すと、赤井さんはひとつ瞬きをした。
「……む、手作りじゃないのか。チョコスコーンがどうとか言っていたが」
聞いていたのか。博士に渡した時は袋の音がしていたのだろうし、それで違うのがバレたのか。
「えっ。あ、あぁ、うん、博士と哀ちゃんは食べてくれると思ったけど、赤井さんは、……ねぇ?」
咄嗟に紙袋を後ろに隠した。本当は、持ってきているのだ。哀ちゃんと、彼女を守るために手を組んでいる三人にはお世話になっているから、同じものを用意した。それでもまぁ、赤井さんは捜査官だし、あまり手作りも好かないんじゃないだろうかとも思ったのだ。モテると原作者に認められた人間が、この手の贈り物に飽きていないわけがない。
しかし、そんな不自然な動きを赤井さんが見逃すはずもなかった。
背にした玄関の扉の、わたしの顔の横に赤井さんの左手が置かれて、あれ、これは壁ドンでは?
「何を隠した?」
「秘密」
誤魔化すよりはっきり秘密だと告げた方がいい。半ば睨むように、至近距離の顔を見上げた。
幸い手があるのはドアノブとは反対側。後ろ手で扉に触れて手探りでドアノブを探す。見つけた、と思った瞬間、その手を赤井さんの右手に掴まれた。待って、片手はチョコレートの箱で、あぁお尻のポケットに入れたのか!
一瞬見えた希望を絶望で塗り潰すのが上手すぎる。狙ってるでしょこれ。
「……あー、もう、わかったわよ。本当はこっちを渡したかったの」
ドアノブを掴んで、掴まえられた左手は自由ではない。残った右手に持っていた紙袋を突き出すと、顔の横につけていた手で受け取られた。あ、これ逃がす気ない。左手を離してもらえない。
「素直でよろしい」
赤井さんはくすりと笑って、紙袋の中を覗いた。
目当てのものが入っていたようで、ようやく手を離してもらえた。
「……なんか意外。赤井さんがわざわざ手作り欲しがるなんて」
「君からの贈り物だぞ、手作りの方が嬉しいに決まっている」
「はいはい。彼を煽るような事言わないでね?」
「さぁ、君次第だ」
「……何をさせる気?」
赤井さんがわたしを憎からず思ってくれているというのは知っている。でもわたしは零さんと交際している。
だからどうしようという気もないらしく、安心していたのだけれど。
話の雲行きが突然怪しくなった。
身構えると、またくすりとからかいを含んだ笑い声を漏らされた。
「彼にちゃんと、手作りを渡すんだぞ?」
あぁ、そうくるのか。
手作りも保険も持っていることを確信している。
いや待て、どちらを渡したかなんて赤井さんにわかるわけがない。
「ボウヤに監視を頼んでいてな。実は彼女と三人で、千歳がどちらを渡すかの賭けをしているんだ」
「人を勝手に賭けの対象にしないでくれるかしら!? っていうかズルじゃないのそれ?」
「俺と彼女が手作りに賭けた。ボウヤは"千歳さんのことだし、はじめに市販品を渡して反応を見るんじゃないか"と市販品に賭けた。ボウヤの推理は的確だが、彼女に"なんとしてでも勝て"とアイコンタクトを送られてな」
哀ちゃん、賭けに勝って一体何をねだるつもりなんだろう。
勝てばコナンくんに、負けたら昴さんに。昴さんとはそれを聞いてくれる関係性が作れていると思っているのは喜ばしい。喜ばしいけれど、哀ちゃん勘弁して。
「……それで誘導という手に出た、と」
「君のためにもなるだろう?」
「コナンくんの推理は当たりよ。たった今あなたのせいでその未来が変わったけれどね!」
市販品を渡して、零さんが何の反応も見せなくてそのままで。昴さんが"千歳さんから手作りのチョコスコーンをもらったんですよフフフ"などと言おうものなら、"なぜ自分には手作りじゃないのか"と拗ねるのは目に見えている。
選択肢がない。
「それは何より。さて、お隣では子どもたちが待っているんじゃないのか?」
「えぇそうね、行くわよ。昴さんは参加しないの?」
「生憎と甘いものは持ち合わせていなくてね。これは独り占めしてしまいたいしな」
右手にチョコスコーンの袋と箱を持って、袋の方にキスをして。片目を伏せてこちらに流し目を送ってくるのはずるい。キザだ、キザすぎる。
イケメンにこんなことをされて、どぎまぎしないわけがない。それは赤井さんの顔でも昴さんの顔でも同じこと。昴さんの顔で赤井さんの口調というギャップだけでも十分ずるいのに、これはひどい。弄ばれている感覚しかない。
「〜〜っ、胸焼けしちゃえばいいのよばか! お邪魔しました!」
もはや捨て台詞。逃げるように飛び出した玄関の扉が閉まる時、ひらりと振られる赤井さんの手が見えた。
気は悪くしていないから気にするなよ、ということだ。
あぁやってわたしをからかって愉しんでいるのだからタチが悪い。
火照った顔を外の冷気で冷ましながら、阿笠邸に戻った。
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