18

 安室透としての用事を済ませて庁舎に戻ると、三人は項垂れていた。
 全部嘘だと断定すると、彼女の四ヶ月前以前の足取りがまったく掴めない理由がわからなくなってしまう。素直に聞いたところで、彼女が教えてくれるはずもない。だから、ミスリードだったとしても話をして、その反応を見るしかないという結論に落ち着いたようだった。
 上司にも話したが、やはり頭の心配をされた。しかし、資料を見せて彼女の言葉を伝えると、ひとまず彼女に乗せられてみようという判断を下してくれた。

「風見、君のことも知っていた可能性が高い。同行してくれ」
「了解」
「藤波、バーの個室の予約を取るから、例の暗号で彼女を呼び出してくれ」
「了解です!」
「白河さん、お疲れ様でした」
「ここにきてお役御免なの!? お疲れ!」

 カバーの職務があるからと出ていく背中を見送った。
 彼女が気に入っているあのバーに連絡をして、彼女の馴染みのバーテンダーを呼び出し、俺と風見の都合がつく日に個室の予約をした。彼女が使った待ち合わせの方法で、とも伝えると、"秘密の取引みたいでどきどきしますね"と言われた。強ち間違ってはいない。日取りを確認し、変更があればまた連絡をすることも約束した。
 数日待ち、彼女が日中だけ仕事をして帰宅することを確認して、部下に暗号を使った手紙をポストに入れさせた。
 約束の時間の前に時間差で風見とバーに入り、部屋をチェックして彼女を待った。

「……来ますかね」
「来るだろう。手紙を持って部屋に帰っていったと連絡も来ている。几帳面な彼女のことだ、すぐにダイレクトメールとそれ以外の仕分けをして、怪しい真っ白な封筒を見つけるはずだ」

 風見は落ち着かない素振りを見せる。――当然か、誰が聞いても正気を疑うような内容を話さなければならないのだから。
 最後の打ち合わせをして、夜八時を過ぎた頃、部屋のドアがノックされた。

「風見様、穂純様をお連れしました」

 ――来た。
 風見に頷きかけると、風見は立ち上がって礼を言いながらドアに近づいていった。
 スタッフがドアを開け、風見がトレイを受け取ってスタッフを立ち去らせると、あとをついてきていた穂純千歳だけが残る。相変わらず、バーに来るときは店に合わせて着替えてきているようだ。

「どうぞ」

 彼女は風見の声に素直に従い、部屋の中へと歩を進めた。俺たちと向かい合うように設置されているソファを手で示すと、目だけで頷かれる。
 風見が部屋の鍵をかけた音にちらりと視線を動かしたが、それだけだった。
 憮然とした顔でソファに腰を落ち着けるのを見守り、風見が彼女の前にトレイを置いて隣に座るのを待つ。

「こんばんは。警察って暇なの?」
「暇ではないです」

 風見が即座に否定する。
 挑発するかのような言葉選びで相手を苛立たせるのは、俺もパーティー当日に車中でされたことだ。しかし風見が撮った記録に映っていた姿に比べて、車中での彼女には言葉選びに慎重さが窺えた。俺に何かを伝えようとした以外に、"話しにくい"と感じていることは明白だった。
 風見を手で制し、口を開かせないようにする。

「あれ作るの大変だったのに」
「いただいたものを参考にさせていただきましたから、時間はかかりませんよ。あれなら差出人が誰か、あなたにはすぐわかると思いまして」
「嫌がらせかと思ったわ」
「数日前に僕と風見もそう思いました」
「……今日は何の用かしら?」

 不満そうな表情は消え去り、何度も見た笑みが浮かべられた。猫のように細められる目と視線が合う。こちらがこれだけ真面目な表情をしていても、気にせず感情表現をしてくるのだから大した図太さだ。
 きっとそれも、虚勢だろうとは感じているが。

「急なアポイントで申し訳ありません。……あなたの秘密を、暴きにきました」
「だろうと思った。密談に最適なここへ呼び出して、鍵までかけちゃうんだもの。わたしにだって予想はつくわ」

 彼女は笑みを崩さずに、ドアへと視線を向けた。

「逃げられては堪りませんからね。鍵を開ける一秒、二秒。その時間さえあれば、あなたの逃走を封じることは容易い」
「それもそうよね。別にいいわよ、逃げる気はないし。……逃がしてもくれないでしょう?」

 "逃げる気はない"――その言葉を裏付けるように、彼女はカクテルのグラスに手を伸ばした。
 上層にミルク、下層にコーヒーリキュールとクレーム・ド・フランボワーズが重なるカクテルを、アルコールが沈んで飲みにくいからとかき混ぜて均一にしている。

「逃げる必要はないと思いますよ」
「?」

 グラスに口をつけながら視線を向けられる。
 逃げる必要はない。追う気がないからだ。振り撒かれた餌に食いついて、奇天烈な話に乗っかってみる。その先に得られるものは、良くて"穂純千歳は悪人ではない"という確証だ。

「あなたは真実を話していた。――信じようとしてくれていたんですね、僕のことを」

 彼女はグラスを傾ける手をほんの一瞬だけ止めて、しかし何事もなかったかのようにカクテルに口をつけた。
 グラスを置いて、こちらに顔を向ける。明らかに、瞬きの回数が多い。先ほどまでは"どうせ暴けやしない"と高を括っていたのに、それが突然突き崩されて余裕を失っている。

「警察官が出すにしては随分意外な答えね。……わたしが話した真実はどれ? どこをどう取ってそう思ったの?」

 それでも彼女は揺らがなかった。笑みを浮かべ、そう判断するに至った根拠を聞き出そうとしてくる。

「あなたにとってここが物語の世界の中であること。そして、電車で来たということ。電車が"どこに行くかわからない"という発言。これが、あなたの話した真実です」

 彼女は目を丸くして、"正気なのか"と言いたげな顔でこちらをじっと見てきた。まさか当人にまで正気を疑われるとは、心外だ。
 しかし、彼女の手はきつく握り締められて、何かを耐えているようにも見える。

「当たりですね。……いくつかの冗談や"忘れた"という発言を聞く中で、"電車"という単語が妙に引っかかったんです。死角を歩く技術がなければ、防犯カメラに映るはずだ。調べてもわからないようなことばかり口にしたあなたの、唯一の裏付け調査ができる発言です。案の定、四ヶ月ほど前に仕事帰りの格好で米花駅で下車し、定期券が通せずに窓口で精算するあなたの姿が確認できました」

 米花駅、交番、その後の移動。オットマー・フランツの逮捕に協力したこと、法務局への相談、就籍許可を得られたこと。そして、身分を証明する手段を得て徐々に生活基盤を整えていったこと。調べ上げたすべてを、彼女の反応を見ながら口にしていった。

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