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 カバーの職務から戻ってきた白河さんと共に、不在の間に揃えられた資料を確認して嘆息する。彼女が落とした真実味がある言葉との矛盾が見つけられない。

「……降谷君さ、何言われたの」

 白河さんが、頬杖をつきながら"いい加減話せ"と言わんばかりに胡乱な目を向けてきた。
 信じ難い話だろうとずっと伏せてきたが、そろそろ話してもいい頃だろう。

「パーティーの当日、彼女にいくつか質問をしましたが……法務局に相談した内容のとおりに、"ほとんど覚えていない"と答えられました。どうしようもない虚言もありました。ただ、声の調子や所作から見ても、嘘を言っているようには思えない発言もあったんです」

 それが、"自分が物語の世界にいる"、"米花町に電車で来た"、"電車がどこへ行くかわからない"、という三つの発言だった。
 三者三様に理解が及ばないと言いたげな顔をして、続きを促してきた。

「風見。穂純千歳と接していて、妙に思った点はなかったか?」
「妙な……とは?」
「バーで男に話しかけられただけで身構えていたのに、君に対してだけは個室で話を聞いてやるほどの気の緩みを見せた」
「……!」
「それから、僕に対しても"身分を誤魔化すようなら"、という発言をした。公安刑事として名乗ることも多い風見ならまだしも、僕について詳細な情報を知っているというのはおかしいだろう。名前、職業、詳細に言うなら階級――いずれにしても、彼女が知っているはずがない」
「……それで?」

 驚いた顔をする藤波と風見とは対照的に、落ち着いている白河さんに"結論を言え"と急かされる。

「真実だと感じた発言を組み合わせれば、一つの仮説が立ちます。彼女にとって、ここは物語の世界の中で――電車に乗っていたらなぜか米花駅に着いて、帰れなくなってしまった。格好からすると、仕事帰りか、通勤途中か……おそらく、普段通りの生活をしていたのに、突然別世界の中に放り込まれた。だから、"乗換案内のアプリは便利だ"と思っているし、"電車がどこに行くかわからないから嫌いだ"とも思っている。一切の痕跡がないことも、米花駅の手前にあるカメラに映っていないのに米花駅で降りている姿は確認できたことも、それで辻褄が合う」
「降谷君……ちょっと休んだら? 潜入生活続きすぎてとうとうおかしくなったんじゃないの。それとも変な物飲まされた?」

 確かに信じ難い話だ。こんな考えに行き着いた自分の頭も疑った。
 しかし、考えは変わらなかった。

「この写真」

 彼女が新聞を買ったコンビニの防犯カメラの映像から切り取った写真を指差す。
 藤波が解析して画像を鮮明にしてくれていて、長財布の中も見えていた。

「カード類がちゃんと入っています。この時の彼女に戸籍はない。預金口座が作れないから、キャッシュカードを持っているはずがない。ましてやクレジットカードなんて審査の段階で躓いて作れない。名義が彼女のものなら、偽造か……彼女が元々持っていたか、です」
「あの……降谷さん」
「なんだ、風見」
「刑事部の白鳥警部に話を聞いたのですが……どうやらオットマー・フランツ逮捕の翌日、彼女は通訳料の受け取りについて手渡しに拘っていたようなんです。やはり口座は持っておらず、カード類は使えなかったのではないかと。"普通"に見せるためのカムフラージュの可能性もありますが……」
「自分を"普通"に見せたいなら、あの夜の行動は不自然すぎるだろう」

 そもそも、電車を降りてからの彼女の行動がおかしい。目的の駅の手前で降りてしまったり、乗り過ごしたりしてしまったのなら、現在地を確認するまでは自然だった。しかし、その後は乗ってきたのが終電でもないのにその路線の反対回りの電車が来るホームにも行かず駅を出た。スマホで誰かに連絡をしようとする素振りを見せたのに、マップアプリも使わずに交番に立ち寄ってホテルを探していた。おそらくは、持っていたスマホも使えなかったのだろう。
 クラウセヴィッツ夫妻のことも、言葉がわからなかったところに手助けをした彼女のことも、あの日勤務していた警察官は覚えているはずだ。
 おかしなことはなかったか、確認してみるべきだろう。

「……交番に行って話を聞いてきます。それと、白河さん」
「何?」
「"バーボン"とトラウトの会話を聞いた時、"忘れろ"と釘を刺したでしょう。彼女の反応は?」
「……!!」

 白河さんははっとした様子で、口元に手を当てて考え込んだ。

「……よくわからないまま頷いた感じじゃなかった。彼女はわからないことをわからないままにして納得するような性格じゃなさそうだし……わかった上で、知っていることの危険性を認識して、素直に頷いた……?」
「それなら、どこかの工作員だという可能性は」

 風見が湧いた考えを口にする。
 それは、俺も可能性として考えていたことだった。

「それもない。彼女には身の危険が迫ったとき瞳孔の拡大と心拍の急上昇が見受けられた。トラウトと対峙したときは、反射的に逃げようともしていた。あの状況なら、僕か白河さんを盾にするために怖がってしがみついて見せたところで自然だったはずだ。ライフルを担いで拳銃を構えていたトラウトを前にして、盾にできる人間から離れるのは賢い選択とは言えない。ライフルは貫通するとしても、ないよりはマシだろう?」
「なんで自分が蜂の巣にされることまで想定するかね。やめてよ縁起でもない」
「もう過ぎたことです。……あの時の彼女の反応からは、何か訓練を受けた様子がない、という印象を受けました」
「工作員という可能性もなし……ね」
「何か事情があってスパイの真似事をしているにしては、この資料にもある通り米花駅を出てからの行動が不自然です」

 ――だから、彼女が"ここを物語の世界の中だ"と発言することを否定しきれない。

「あの夜交番にいた警察官に話を聞いてくる。僕の推測を否定する材料を探しておいてくれ」
「……了解」

 藤波は苦笑いを浮かべてモニターに向き直った。白河さんと風見は資料を見ながら話を始めた。
 彼女の行動に生じた矛盾に説明がつけられなければ、仮説の通りに話をして真実を引き摺り出すしかない。
 着替えて米花町に向かい、近くのコインパーキングに車を停めて米花駅前の交番に向かった。

「すみません、少々お聞きしたいことがありまして。8月31日の夕方から夜にかけて、こちらに勤務していた方はいらっしゃいますか?」

 出てきてくれた警官に、探偵であること、彼女が何らかの事件に巻き込まれているかもしれないことを伝えて穂純千歳の写真を見せた。ドイツ人の夫婦と会話ができずに困っていたところに、助け舟を出してくれたはずだとも伝えた。
 すると珍しい体験をさすがに思い出したようで、"あぁ、確かにそんなことがありましたよ"と答えてくれた。
 そのときの彼女の様子、会話。思い出せる限りでいいから話してほしいと伝えると、ドイツ人夫婦が米花シティホテルに行きたがっていたこと、そしてそのホテルが安いか訊かれたことも教えてくれた。ただ単に高級ホテルに泊まりたくなかっただけか、手持ちがなくて安さを気にしたか。そのいずれかだろう。
 礼を言って交番を離れた。
 こんなにも信じ難い話を、彼女はどうして断片的にでも伝えてきたのか。孤独に耐えきれなかったのだろうか。もしもそうなら、真実に辿り着くだろうと評価してくれたことも、俺が演じる二つの顔も知っているのだろうに頼る相手としてくれたことも、喜んでいいのかもしれない。
 時折見せる沈んだ表情が、それを取り繕う完璧な笑顔が、脳裏にちらついて仕方がない。――彼女はきっと、悪ではない。

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