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 車へと促すと、穂純千歳は白河さんに向けて会釈をし、後を追いかけてきた。
 荷物を載せ、助手席に落ち着いた彼女がシートベルトを締めたことを確認して、車を発進させる。
 彼女は腕を組んで、疲れた様子でグローブボックスの辺りを見つめていた。

「……何も聞かないのね? 今なら疲れで何も考えずに答えてしまいそうなのに」

 窓の外に視線を向け、暗い声で問いかけられる。

「適当に答えるだけなら考えなくてもいいでしょう。僕はあなたの適当な言葉を聞きたいわけじゃない」

 必死になって隠しているものを知りたい。
 この国にとって有害なものか、そうでないのか。
 隠しながら辛そうな表情を浮かべ、縋るように真実を少しずつ落とす理由は何なのか。
 それらがすべて、演技なのか否か。

「そう。……その怪我、何もしなくて平気なの?」

 どうやら彼女は俺の右手の甲の傷を認識していたらしい。
 そして、気にかけてくれてもいる。

「あぁ、見えていましたか。あなたを家まで送り届けたら、きちんと処置をしますよ」

 角を曲がりながら、彼女が気にすることのないようにいつもの調子で答える。
 しかし、彼女はそれを素直に受け止めてはくれなかった。

「……ごめんなさい。自分が狙われる可能性を思い浮かべておきながら――」
「なぜ謝るんですか」
「なぜ、って……、あなたの怪我は……」
「これは」

 彼女のせいじゃない。謝られたいわけじゃない。

「我々が敵の真の狙いに気づくのが遅れたが故の傷です」

 何か思うところがあって自分が狙われるのではないかと考えたのだとしても、それを口にするタイミングを逃していたのだとしても。
 現状、彼女は一般人で、俺たちは彼女を守るべき警察官だった。――だから。

「撃たれたのが僕の手で、いえ、あなたじゃなくて、良かったんですよ。……良かったんです」

 言い聞かせるように告げると、彼女は泣き出しそうな顔をしてこちらを見た。
 信号が赤に変わったのを確認して車を停止させ、彼女の方を見る。

「あなたの秘密は気になりますが、それはまた今度。疲れているんでしょう? あなたの家まではまだ時間がありますし、寝ていてください」

 これ以上、互いに問答は無意味だ。
 彼女と親しい人物から、彼女の性格や仕事ぶりを聞き取ることができた。
 今夜の一件で、荒事に慣れていないというのが偽りではないことを確認できた。
 あとは、藤波が進めている作業次第だろう。
 彼女も眠気には負けたのか、頷いてそっと目を伏せた。
 流石にスポーツカーの騒々しいエンジン音の中では熟睡できなかったのか、彼女はマンションに着くまで眠りの淵を彷徨っていた様子だった。
 地下駐車場の来客用のスペースに車を停めて、隣でふらふらと揺れる頭に声をかける。

「穂純さん、着きましたよ」

 彼女ははっとして顔を上げ、到着したことを確認すると荷物を置いた後部座席に手を伸ばした。

「……ありがとう」
「いえ。部屋の前まで送らせてください」

 万が一、ということもある。このあと風見の部下を付近に配置する予定ではあるが、その前に何かあっては話にならない。

「そこまでしてもらわなくてもいいわ。少し休んだからだいぶ楽になったし」
「僕が勝手に心配しているだけですから。右手のことを気にしているなら、部屋まで無事に帰るところを確認させてください」

 食い下がると、彼女は俺の右手を見て、眉を下げて渋々といった様子で頷いた。
 部屋の前で荷物を渡し、玄関のドアを開錠するのを見守る。

「手のことは、本当に気にしなくていいですから。僕の失態です。蒸し返されると傷つきます」
「……そこまで言うなら気にしないことにするわ」

 彼女は苦笑して頷いてくれた。

「えぇ、お願いします。では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」

 彼女が中に入ってドアを閉め、自動で鍵がかかる音を確認する。
 身に着けたままのインカムを押さえ、近くで待機している捜査官に呼びかけた。

「対象は自宅に入った。警戒を怠るなよ」
『了解』


********************


 数日かかったがトラウトの逮捕後の処理は恙なく終わり、ジンにも"情報操作をして警察を引き入れトラウトを逮捕させることに成功した"と報告することができた。元々"安室透"は探偵で、警察と関わりがあってもおかしくはない立場だ。だからこそ、警視庁に立ち寄って風見と情報を交換することもできる。今回もそれを利用して警察との繋がりがある理由を誤魔化した。その場では特に問い詰められなかったものの、今回の件で増々ジンには嫌われたのだろうと見当がつく。NOCだと断定されない限りは、このままでもいいだろう。近づきたいのは、ジンよりも上の立場にいる人物だ。
 仕事は落ち着き、いよいよ穂純千歳について調べる余裕ができた。あの夜回収したペットボトルから採取した唾液や、彼女が触れた物から取った指紋。それらと警視庁のデータベースを照合しても、該当する人物は見つからなかった。過去に何か罪を犯して、顔も名前も変えて生活しているという線は薄くなった。犯人すらわかっていない未解決事件に関わっている可能性は残っているが。
 あとは彼女の足跡次第だと、藤波と風見が調査をしている部屋へ向かう。二人は頭を抱えてモニターを睨みつけていた。

「藤波、風見。どうだった」
「……降谷さん、申し訳ありません。彼女が乗った駅が、どうしてもわからず……」

 風見は落ち込んだ様子だが、彼女の言葉を信じるとすれば、想定の範囲内だ。

「そもそも、直前の駅との間にあるカメラに映ってないのおかしくないですか。変装してたとか……? 降谷さんの潜入先にそういうの得意な人いませんでしたっけ?」
「混み合った電車の中で変装を解くか? ……それで、降りてからの動向は掴めたのか」
「それはバッチリ。どうぞ」

 米花町には電車で来た、というのは正しい話に思えた。
 藤波もその情報を元に調べ上げたようで、資料をデスクの上にばさりと音を立てて置いた。

「彼女、改札で定期券を通そうとして引っかかって、窓口で精算してます。その後、駅にある自動販売機で飲み物を買っています。次にコンビニに行って新聞を購入後、ネットカフェに入ってますね」

 これも予想通りだ。
 もしも、俺の推測が正しいのなら――彼女は自動販売機を使って自分が持っている貨幣が使用できるかどうかを確かめ、新聞で日付を確認し、おそらくはネットカフェで直近の社会情勢を調べているはずだ。

「その後ホテルを探そうとしたのか、交番に行って――そこで、クラウセヴィッツ夫妻と出会っています。数日観光に付き合って、夫妻の帰国の二週間後、今度は宇都宮エンジニアリングとの商談の通訳をしたみたいですね。その夜に開かれたパーティーで、調書にもあったオットマー・フランツ逮捕の手助けをしています」

 電車から降りてからの彼女の足跡は、風見を送り込んだときから見せていた警戒心が嘘のように辿り易かった。

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