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狙いが自分であることを理解した穂純千歳は、唇を噛んで、震える手を握り締めた。そして、浅くなった呼吸を深呼吸で整える。
"冷静に"と言わずとも、彼女は自分でパニックに陥りかけた思考を落ち着かせた。
顔を見上げられ、不安に揺らぐ瞳と視線が合う。
「……わたしはどうしたらいい?」
気丈に振る舞うことはやめられないのか、震える声で、引き攣る口元で、懸命に笑おうとしているのがわかった。
白河さんと塚原、そして警備員に扮した何名かの捜査官。インカムからは、まだ移動中だということがわかる音声が聴こえてくる。
「クラウセヴィッツ氏とは別行動をとりましょう。裏口から出たところに風見が待機しています、そこまで二人を連れて行けば安全です。僕とは別の捜査官が既に二人を連れて離脱しています」
彼女を夫妻と一緒に行動させれば、リスクを一所に纏めることになってしまう。
そのリスクを抑え、かつトラウトを逮捕するには、彼女に囮になってもらうしかない。
「囮になればいいのね?」
敢えて言わずにいた言葉をはっきりと告げられた。
「あなたには酷かもしれませんが……」
彼女は少し驚いた様子を見せて、それから柔らかく微笑んだ。
「取り乱してごめんなさい。いいわ、でも体力には期待しないでね」
何が彼女を安堵させたのかはわからない。だが、混乱状態に陥るわけでもなく協力をしてくれるというのだから、ありがたい話だった。
「……ありがとうございます。とりあえず、あの柱の陰に」
狙撃に使われたポイントはこれで塚原が割り出してくれるだろう。
相手も手練れ、場所が割り出せる状態で撃ってはこない。念のため壁になりながら、彼女を狙撃のリスクのない柱の陰に立たせた。
『降谷君、夫妻は風見君に任せたよ』
「了解。風見への指示は頼みます。バンには?」
『乗せたところ』
「それならもう安全ですね。トラウトの確保に向かいましょう」
スタッフや警備員には、招待客の避難先を指示してある。その流れとは反対の方向へ、人の少ない方へ、彼女を誘導した。
穂純千歳が顔を上げ、招待客を誘導する大柄な男性スタッフに視線を向けた。機嫌の悪そうな声を零している。
「安室さん、トラウトが近くにいるわ」
「はい」
インターポールの指名手配リストに載っていた写真より身綺麗にしているが、彼女は声も聞いたことがある。すぐにトラウトだとわかったようだった。
「仲間と合流したいんですが、移動できますか?」
「えぇ、走るなら靴も脱ぐわ」
「ゆっくりで大丈夫ですよ。こっちです」
窓との間に立ちながら、広間を抜けて控え室の並ぶエリアに入る。ドアを閉める間際、トラウトがこちらを見ている姿が一瞬だけ見えた。
彼女の背に手を添えて、白河さんに指示されたポイントに向かう。周囲から足音が聞こえるが、それが敵か味方か、どちらのものなのかまでは判別できない。ただ、後を追ってくるどたどたとうるさい足音は、トラウトで間違いないだろう。
突如通路の先に現れた男が、何か叫んで銃口をこちらに向けた。
『取り押さえる!』
白河さんの声が聞こえ、穂純千歳を男から隠すようにして背を向けながら、トラウトがやってくるであろう方向に腕を伸ばして拳銃を構えた。
その直後、背後で硬い何かがぶつかる音、人が倒れ込む音が立て続けに聞こえてきた。俺の腕の中にいる穂純千歳は、そちらを見て目を丸くしている。さては、相手がこちらに意識を向けているのをいいことに、そしてヘルメットを被っているため致命傷にもならないと踏んで、飛び蹴りを入れたな。
手錠をかける音を聞き、無事に発砲させることもなく確保できたのかと息をつく。
「安室君! 彼女は無事?」
「えぇ、あなたの野蛮なまでの強さにとても驚いているようですがね!」
「バァーカ見惚れてんのよ私の華麗な足技に! ホラ一人確保したよ、アンタはこいつ連れて退避しな! そんでスナイパーの確保!」
塚原が指示を飛ばされ、敵を連れて部下に指示を出しながら去っていく音が聞こえた。
穂純千歳の腕を掴み、背後に庇う。
「退路は!」
「確保済み! ゆっくり下がっておいで」
「穂純さん、彼女の方へ歩いてください。ゆっくりで大丈夫、転ばないようにだけ気をつけて」
トラウトが来る方向を見ながら、彼女に指示を出す。
そっと離れていくのを感じ取り、腕を離した。
足音と共に、トラウトの不機嫌そうな声が聞こえてきた。無線で誰かと話しているのか、饒舌だ。"フランツ"、"エドガー"という単語が聞こえてくる。機嫌は悪そうに聞こえるものの、余裕が感じられる。何か、彼女を確実に殺す算段でもしているのか。
「Jetzt sofort!」
鋭い掛け声と同時に、背後で大きな物音がした。
振り返ると、彼女のすぐそばの部屋から、蝶番など無視して倒れてきたドアの後を追うようにして武装した男が飛び出してきていた。
「ひっ……!」
≪動くな! 撃つぞ!≫
小さな悲鳴を上げ身を竦ませる彼女の顔が恐怖に染まる。
同時に白河さんのよく張る声が響き、男が白河さんの向ける銃に意識を向けたことを確認して、男の腹に拳を叩き込んだ。
足元に倒れた男を見て、彼女は深く息を吐く。しかし、その息も震えていた。
「カメラをハッキングされているのか。厄介だな」
廊下の天井に見える黒い機械。防犯カメラのようだが、ハッキングされれば敵にとって便利な道具になってしまう。どうせ記録には残っている、藤波も回線を奪い返すために躍起になっているだろう。しかし、少しの時間も敵に情報を与えたくない。
白河さんと共に拳銃でカメラを撃ち抜き、相手の"目"を潰した。
「だ、大丈夫なの……?」
「クラウセヴィッツ氏に許可は得ていますよ。今回トラウトを捕まえさえすれば、弁償費用はすべてあちらで持ってくださると」
だから、取り逃すわけにはいかない。
彼女を促して、背後に注意しながら白河さんの元へ歩み寄った。
「しかし、ゾンビゲーかよ! って感じだったな今のは」
「不謹慎ですよ、口を慎んでください」
「安室君は頭かったいなァ。そう思わない? 穂純さん」
「え、えっと……」
苦笑いを浮かべる様子に、白河さんと同じことを考えていたのだと見当がついた。
下手に動きさえしなければ、何を考えていてくれても構わないのだが。
二人がかりで彼女を守れる状態になると、通路の角からトラウトが姿を見せた。
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