13

 インカムから耳に届く報告の声を聴きながら、クラウセヴィッツ氏と打ち合わせをした。
 彼自身が狙われる可能性は低い。彼を殺して次にトップに立つ人物を脅したところで、密輸を巧みに手引きできる人物に当たるとは限らない。それならば夫人か、あるいはこの会場にいる中で親しい人物を狙うのではないかという見解は一致した。

≪……奴が狙うとすれば、チトセかね≫
≪その可能性も高いかと。しかし、夫人が狙われる可能性も捨てきれない≫
≪そうだな。……私のことはいい。二人の警護に力を入れてくれ≫
≪かしこまりました≫

 招待客が見え始め、クラウセヴィッツ氏と夫人が出迎えるのに付き従った。
 初めのうちは余裕を持って対応できていたものの、人が一気に入ってくる時間帯になると手が回らなくなり始める。フォローを入れながら、怪しい人物が紛れ込んでいないかチェックした。

『白河、塚原、両名会場入りしました』

 藤波からの報告が聞こえ、入り口に視線を向けた。
 報告にあった通りブルーグリーンのドレスを身に纏った白河さんと、エスコートしながら歩く塚原の姿が見えた。白河さんと視線が合い、互いに認識できたことを確認すると自然に逸らされる。
 穂純千歳の腰に手を添え、耳元で白河さんと塚原の存在を伝えた。
 クラウセヴィッツ氏に伝えるように頼み、夫人の傍に近づく。

≪夫人、広間に入っていく、ブルーグリーンのドレスに白いボレロの女性。味方です、覚えておいてください≫
≪えぇ、ありがとう≫

 開始時刻が近づき、クラウセヴィッツ氏は俺を夫人の傍に残し、穂純千歳を連れてステージに向かった。
 彼女を狙うのだとしたら、クラウセヴィッツ氏の英語での挨拶の後に続けられる日本語での読み上げの時間が狙うのに適切だろう。白河さんたちをステージ前に配置してはいるものの、気は抜けない。夫人に近づく人物をチェックしながら合図がないかと警戒していたが、何も起こることはなかった。

『どう見る?』
『警護対象を絞り込ませないつもりなんじゃないですか?』

 白河さんと藤波のやりとりを聞きながら、塚原に視線を送る。
 胸元で壁の上の方を指差され、視線を向けるとカーテンもつけられていない採光用の窓があった。
 周辺の地図を思い浮かべ、郊外とはいえマンションも近くにあったことを思い出す。主催者であるクラウセヴィッツ氏たちが頻繁に立つステージ前、指差された窓。その二点を結ぶ線の延長線上に、マンションがあったはずだ。狙撃を得意とする塚原も、そこが絶好のポイントであると認識している。頷きを返し、会場内を歩くクラウセヴィッツ氏と合流した夫人について歩いた。
 突然、緊張感の滲む声が耳に入った。同時に、俺の腕に触れていた穂純千歳の手に微かに力が入る。
 顔を見ると、視線だけを声の出所に向けているのがわかった。視線の先にいるのは、今回のために貸会場で一時的に雇った英語が堪能なスタッフだ。塚原が指した窓の下に立っている。殺気立った様子に、間違いなく関係者だと判断した。
 招待客に紛れ込ませるのは難しかったが、スタッフとして雇われるのはさぞかし簡単だったに違いない。

「窓の下に立っているスタッフ」
「そのようですね。妙に殺気立っています」
「"待て、まだだ、妙な男がいる"。"慎重になれ、仕留め損ねれば後がきつい。今夜中にだと言われたから"……」

 クラウセヴィッツ氏と夫人の後ろを歩きながら言葉を伝えられ、嘆息する。
 やはり今夜、誰かが危害を加えられるのか。

「妙な男、とは僕のことでしょうか」
「多分。今までパートナーなんて連れてきたことなかったもの。突然できた恋人を怪しまないでほしいわね」
「まったくです」

 クラウセヴィッツ夫妻とのやりとりを通訳する穂純千歳を横目に、白河さんと藤波に男の存在と言葉を伝えた。
 挨拶周りの途中で、白河さんたちとも接触済みだ。お互いにきちんと認識していれば、保護もスムーズにできる。

≪スタッフの中に妙な男がいます≫
『気をつけよう』

 インカムの回線を切り替えてクラウセヴィッツ氏にも情報を伝えた。
 一通り挨拶を終え、夫人の提案でステージ前の食事に近づく。スタッフが多いため、招待客が近づきにくく人の少ないスペースだ。狙うとしたら、今だ。
 会場を眺めて微笑む穂純千歳の顔に、突然緊張が走った。

「Geh runter, Helena!」
『違う、狙いは夫人じゃない! 穂純さんです!』

 穂純千歳の叫び声と同時に、インカムから飛び込んできた藤波の声。
 咄嗟の判断で、半歩身を引いて彼女の体を引き寄せた。よろめく彼女の腰と背を支えると、弾丸が背中に添えた手の甲を掠める。
 あと一瞬遅ければ、彼女の心臓が撃ち抜かれていた。それにぞっとしながら、視線だけでクラウセヴィッツ夫妻の様子を窺う。
 跳弾が夫人が立っていたところを通り抜け、背後のワインボトルを砕いた。結果として、クラウセヴィッツ氏が彼女の声に反応して夫人を伏せさせたことで命を助ける結果になった。
 一瞬の静寂ののち周囲で悲鳴が上がり、警備員が客を落ち着かせるべく対処を始める。
 彼女の体を抱きしめたまま、狙撃ポイントに背中を向け、通信機に呼びかける。

「どういうことだ」
『トラウトにとって邪魔なのは、警察を引き入れてくる穂純さんだったんです。何より、クラウセヴィッツ氏は愛妻家で知られています。下手に夫人を手にかけて、一切の協力を拒まれては堪らない、そう考えるのではないでしょうか』
「……一理あるな。君の考えを聞かせてくれ」
『クラウセヴィッツ氏の"トラウトが手練れを何人か雇っている"という言葉を鑑みるに、奴らは今夜、穂純さんを抹殺したいと考えているのではないかと。ですが、我々は咄嗟に感づいて穂純さんを庇ってしまいました。奴らの奇襲は失敗しましたが、こちらもまた奴らに"まだ真の狙いを気づかれていない"と思い込ませることに失敗しています。……直前に、白河さんの持っている盗聴器から聴こえてきました。"ドレスが赤く染まるのが見られないのが残念だ"、と』

 夫人が着ているのは繊細な刺繍が施されたクリーム色のドレス。穂純千歳が着ているのは、臙脂色の、血が流れたとしても目立たないドレス。
 藤波の言葉の通りならば、狙われるのは確かに穂純千歳だった。
 彼女が夫妻の安否を気にする中、けして腕は緩めずに藤波の報告を聞いていた。しかし、狙撃がされ、夫妻は白河さんと塚原に保護され、警備員の中に紛れ込ませた部下に預けられている。そこまで二人の安全の確保がされた状況で、動かない俺を訝しく思ったようだ。

「安室さん、何があったの?」

 問いかけられ、一瞬躊躇う。
 もしも彼女が、どこかの工作員でも何でもなかったら。伝えれば、パニックを起こすのではないか。
 しかし、状況がわからないまま納得してくれるような性格でもない。
 身動きが取れないように腰と背中に回した手に力を入れ直しながら、正直に状況を伝えた。

「穂純さん、僕から離れないでください。敵の狙いはあなたです」

 驚いて丸く見開かれる目。彼女の表情からわかる、焦燥と不安。
 彼女も気づいたのだろう。背中を通った風、窓と自分、――そして、跳弾で削れた床を結ぶ直線に。

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