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「安室さんは、シャーロック・ホームズはお好き?」
「えぇ、まぁ」

 唐突に話を振られ、訝しく思いながら頷いた。

「ホームズ好きな人を知っているんだけれどね、彼は"ホームズと一緒に冒険をして、謎解きをしてみたい"っていつも言うのよ」

 この言葉は虚言。先ほどに比べて、明らかに早口だ。ここで嘘をつく必要があるのか。
 とにかく、続きを聞いてみるしかない。

「理解できなくはありませんが」
「その彼にはきっと羨ましがられるわ。だってわたしにとって、今がそういう体験をしている時だから」

 架空の"彼"については嘘。最後の言葉だけは、嘘ではない。
 彼女が何を言いたいのかわからない。

「真面目に話してます?」
「この上なく真面目よ?」
「自分が物語の世界の中にいるとでも? それは僕だけでなく、あなたが懇意にしているクラウセヴィッツ夫妻や宇都宮一家を侮辱しているとも取れますよ。物語の世界なんて、所詮は虚構のものです」

 ましてや、その中に自分がいるなどと。やはり間違って嘘だと判断できるように自身の所作に気を遣っているのか。
 穂純千歳は困ったような笑みを浮かべ、指先で自分の髪を弄った。

「そうなのよね、リアリティがありすぎて困ってるの。受け入れられたら楽なんでしょうけどね」
「……無駄な問答でしたね。これもあなたの適当な作り話でしょう」
「あら、ばれちゃった」

 小悪魔のように可愛らしくおどける姿に溜め息をつき、ウインカーを出す。
 ドレスのレンタルショップの前に車を横づけした。

「着きましたよ」
「ありがとう。すぐに取ってくるわね」

 車から降りてドアを閉め、車から離れていく背を見送る。
 風見に対しては、存外素直な反応を見せていた。突然話しかけてきた見知らぬ男に警戒心を抱き、――その後なぜ、彼女は風見を個室に誘ったのだろう。その前の段階で風見は警察官だと名乗ったか? 否、個室に移ってから身分を明かした。
 身分といえば、俺のこともそうだ。彼女は初対面の時、"あなたの身分、わたしへの疑い。それらをごまかすようなら"と発言した。身分に関しては、誤魔化しようもなかったはずだ。自分で"警察庁に書類を持ち込むから、それを読んで来い"と言ったのに、警察官ではない人間が来る可能性を思い浮かべる理由はない。こちらが警察官以外の人間を送り込む理由もない。だとすれば、彼女が誤魔化すと考えたのは、パーソナルデータだ。俺が"降谷零"と名乗ったことを、信用できるか否かの判断基準にしたのかもしれない。
 ……もしも。"物語の世界の中にいる"という彼女の言葉が真実で、そのために体格のいい風見を初対面にも関わらず警戒せずに個室に誘い、俺の本名を知っていたというのなら。途端に、"電車で来た"、"どこに行くかわからないから電車は嫌い"という言葉も、"乗換案内のアプリが便利だ"という言葉との矛盾も、理に適ってしまう。
 彼女のミスリードか。しかし、そう判断するには、こちらが探りを入れるまでの彼女の反応は素直過ぎていた。
 科学的には有り得ない話だ。しかし、今ある事実を鑑みれば、彼女の痕跡がまったく掴めないことにも説明がつく。
 一度彼女の言葉を信じた検証をして、そこから矛盾を探してみる価値はある。
 スマホを取り出して、藤波に電話をかける。調査を続けていたのだろう、すぐに電話が取られた。

『はい、藤波です』
「僕だ。彼女はどうやら電車で米花町に来たらしい。……電車から降りた後、おそらく現在地を確かめる素振りを見せるはずだ。それが確認できたら、車両が映ったカメラを調べて彼女がどこで乗ったのかを探ってくれ」
『? ……よくわかりませんが、それで降谷さんはわかりそうなんですね』
「あぁ。真偽のほどはわからないが、明らかにその会話の最中の態度が変わった。その言葉通りに調べて、そこから矛盾を探す」
『了解。パーティーの開始まではまだ時間があります、こっちで進めておきますね』
「頼む」

 通話を終えて、スマホを仕舞い息を吐いたところで、彼女が戻ってきた。
 荷物を受け取って後部座席に置き、彼女が助手席に落ち着いたのを確認して車を発進させた。

「ありがとう」
「いえ。次は美容室ですね」
「えぇ、時間がかかるから、着いたらどこかで時間を潰していてくれる?」
「わかりました」

 隣からこちらを窺うような視線を感じた。しかし彼女は何を言うでもなく、スマホを弄り始める。単にまた質問が来ないかと身構えていただけのようだ。

「新しい仕事ですか?」
「えぇ」

 文字を打つ素振りを見せたことから見当をつけて尋ねると、端的な答えが返ってきた。
 詳しく答える気はないらしい。

「次の信号を左折して、そうしたら左手に見えるわ」

 彼女の指示の通りに進み、美容室の前に着いて車を停めた。
 後部座席から荷物を取って渡す。

「終わったら連絡をしてもらえますか」
「電話するわね」
「はい、では」

 店に入っていくのを見送り、入り口が見えるコインパーキングに駐車した。
 そういえば、靴が入っている袋は置いていってしまったようだが、大丈夫なのだろうか。後で連絡が入ったときに訊けばいいと判断して、そのままにする。
 スマホに入っていた連絡に返事をして、穂純千歳に関する資料を読み返す。"幽霊が見える"、"忘れた"、確かめようのない事柄ばかり、彼女はちゃんと口にする。やはり内容を選んでいる。
 白河さんから送られてくる作戦の変更事項にも目を通して返事をしていると、電話がかかってきた。発信者は"穂純千歳"。通話状態に切り替えて、スマホを耳に当てた。

『はい、安室です。終わりました?』
「えぇ、迎えに来てくれる?」
『わかりました。中に居てください、パンプスはどうします? 忘れて行ったんじゃないかと心配していたんですが』
「現地で履き替えるからまだ必要ないわ」
『そうですか、良かった』

 精算して駐車場から車を出し、ハザードをつけて美容室の前に停める。
 ドアを開けて中に入ると、頭上で鳴ったドアベルの音に反応して店員と彼女が振り向いた。

「千歳、迎えに来ましたよ」
「ありがとう」
「もしかして彼氏さん?」

 興味を隠し切れずに尋ねる店員に、彼女はにこりと笑うだけで肯定も否定もしなかった。
 気が強そうな印象を受ける吊り目に、品のある明るい口紅。アイシャドーやチークには、パーティーに合わせてパール入りの物を使っているらしい。アップスタイルですっきりかつ華やかに見えるような髪型は彼女をクールに見せているが、臙脂色のドレスを選んでいるためか冷たい印象はない。
 入り口の外の階段を下りる際に手を貸すと、爪もマニキュアで綺麗に整えられていることが確認できた。
 助手席に着飾った彼女を乗せ、運転席に乗り込んで車を出す。

「綺麗ですね」
「お世辞なんか言ったって何も出てこないわよ」
「おや、お世辞なんかじゃありませんよ」
「なんか調子狂うわね……初対面の時の印象が強いのよ」
「慣れてください」

 呆れを隠さない物言いに淡々と返事をしていると、彼女は諦めたのか肩を竦めて窓の外の方へ顔を向けてしまった。
 ちらちらと見え始める車のライトに、もう薄暗くなり始めたかと自分の車もライトを点けて見えるようにする。
 しばらく車を走らせて信号で止まったときに助手席を見ると、彼女は暗い顔で俯いて膝の上に載せた手を見つめていた。

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