08

 穂純千歳との約束を取り付けた翌日、本庁に出向くと白河さんも登庁していたので、昨日の出来事を伝えた。
 白河さんは頬杖をつき、"降谷君で正解だったじゃん"とにやついている。

「……今日はこれから、彼女の自宅で打ち合わせをする。調べはつきそうか?」

 藤波に視線を向けると、肩を竦められた。

「それがさっぱり。……こうなると管理用の記録じゃなく、事実の記録を追った方がいいんじゃないですかね」

 戸籍の始まりが四ヶ月前。それ以前の記録が存在しないなら、彼女がどこから来たのか探るしかない。
 街中や店内に設置されたカメラでもいい。身分証明の要らない会員制度でもいい。四ヶ月以上前に、彼女がどこかに存在していたという記録さえ見つけられれば。

「だが探りを入れるのは難しいぞ」
「当日の準備と並行するのも大変でしょ? 風見君と藤波君、とりあえずその"事実の記録"ってのを集めといて。米花駅周辺から広げる感じかな。で、私と降谷君で準備に力入れよう」
「了解。……ヒントになりそうな話があればまた伝える」
「お願いします」

 藤波と風見に指示を出し、白河さんと方針を決めてから、車で彼女の住むマンションに向かった。
 近頃急激に成長している宇都宮エンジニアリングの社長、宇都宮貴彦が所有するマンション。元々はファミリー向けの部屋がある建物のようだが、穂純千歳は自宅兼事務所として借りている。きっかけはおそらく、娘を助けたことにあるのだろう。
 聞いていた部屋番号のインターフォンを鳴らし、エントランスのドアが開くのを待つ。付近に人がいないことを確認して、四階にある彼女の部屋へ向かった。
 ドアをノックすると、チェーンをかけたままのドアが開き、穂純千歳が顔を覗かせる。来客の顔をきちんと確認して、部屋に入れてくれた。
 玄関からまっすぐに廊下が伸び、右手にはバスルームとトイレの物だろうドアが、左手にはロックをかけられるドアがある。廊下の奥には、生活感のある家具が見えていた。
 彼女は俺を上げると、鍵のかかる部屋に入った。正面の壁際に事務用の棚と本棚が一つずつ置いてあり、天板が広く重厚感のあるアンティーク調のワークデスクとチェアが部屋の右手に部屋の中央に向かって座れるように設置されている。デスクの上にはノートパソコンとプリンターが置いてある。左手には、来客用だと思われる水色の絨毯の上にローテーブルとソファが置かれ、部屋の中で完結できるように小さな食器棚とコーヒーメーカーや電気ポットも置いてあった。

「すみません、スーツで来るには少し弊害がありまして」

 万が一にも組織の人間に警察官として動く姿は見られたくない。
 一言断ると、穂純千歳は首を横に振った。
 鞄から探知機を取り出し、部屋を一通り見ることを伝える。彼女は頷いたが、気恥ずかしそうに視線を逸らした。

「脱衣所の下から二番目の引き出しは、その……開けるなら、声をかけてほしいのだけれど」
「わかりました」

 何かを隠すような様子はない。"下着が入っている"とは言いにくくて口籠っただけだろう。
 少し時間をかけて部屋の中を確認し、ある程度彼女の部屋について把握して、盗聴盗撮をされていないことも確認した。問題がなさそうであることを伝えると、ほっとした様子を見せられた。

「そういえば、エドにはなんて紹介すれば?」

 "降谷とは呼ばないでほしい"と伝えたこと、クラウセヴィッツ氏には信頼してもらいたいこと。こちらの要望の矛盾に、少し戸惑っているようだ。

「できれば安室として。あなたが"信頼できる"と言えば、それを信じてくれる方なんでしょう?」
「わかったわ。わたしのパートナーとして参加して、わたしたち三人の警護を引き受けてくれるって伝えるわね」
「えぇ、それで構いません」

 廊下の奥に見えた部屋には、リビングとキッチン、ダイニングが揃っていた。ローテーブルと座り心地の良さそうなソファはリビングスペースに、食事用の少し背の高いテーブルとチェアはダイニングスペースに分けて置かれている。右手奥にあるキッチンの向かい側、そして書斎の隣に位置する部屋は、寝室だった。
 一人暮らしをするには広いように思えるが、親しい間柄の人間は生活スペースにも招いているのか。
 少し考えていると、壁に取りつけられたインターフォンのモニターから来客を知らせる音が鳴った。
 穂純千歳が機械を操作し、モニターに客の姿を映す。映っていたのはクラウセヴィッツ氏と夫人で、彼女は英語で迎えに行くから待っているようにと伝え、エントランスを開けた。
 モニター越しにドアが閉まったことを確認した彼女は、俺に待つように言ってカードキーを手に部屋を出て行った。一番気になっている書斎は、カードキーと暗証番号のセットで、開けることはできそうにない。彼女が"開けるなら声をかけてほしい"と言った引き出しは、彼女の感情的な面ではどうであれ別に開けても構わなかった場所だ、俺に見つかって欲しくない物はなさそうだ。大人しく待っていることにした。
 二人を連れて戻ってきた穂純千歳に書斎に招き入れられ、ソファに座っているように言われる。鞄を足元に置き、クラウセヴィッツ氏と向き合うように座った。
 クラウセヴィッツ氏と俺にはコーヒーを、夫人と自分には紅茶を淹れ、スティックシュガーとポーションミルクを入れたバスケット、クッキーを載せた皿を持ってきた彼女は、それらをローテーブルの上に並べると自身も俺の隣に腰を下ろして落ち着いた。

≪エド、ヘレナ。こちらの方が安室透さん。今回わたしのパートナーとして参加して、わたしたち三人の警護を引き受けてくれるわ≫

 穏やかな声調でされる紹介に、クラウセヴィッツ氏はひとつ頷き、夫人は"まぁ"と驚いたような声を発した。

≪随分お若いのね≫
≪はじめにわたしに接触してきた彼より随分なやり手よ。話しにくかったもの≫
≪それはそれは≫

 クラウセヴィッツ氏の目が、こちらを品定めするように細められる。
 よほど彼女のことを信頼しているらしい。彼自身も相当なやり手のはずだが、判断材料に彼女の発言を加えているというのだろうか。

≪安室さん、彼がエドガー・クラウセヴィッツ。今回あなた方が協力を求める、パーティーの主催者よ≫
≪はい。よろしくお願いします、ミスター≫

 紹介を受け、握手を求めて手を差し出した。クラウセヴィッツ氏は見定めるような鋭い視線は変わらないまま、笑みを浮かべ応じてくれる。夫人にも手を差し出すと、こちらは含みのない朗らかな笑顔で快く応じてくれた。
 横目で見た穂純千歳は、紅茶にスティックシュガーを流し入れながら表情を強張らせていた。
 さて、一つだけ蟠りは解いておくべきだろうか。

≪僕の部下は優秀ですよ。それは覚えておいていただきたい≫

 今回の件には、彼女に尾行を見破られた風見も携わる。作戦の実行に必要な存在である風見は、ファーストコンタクトで尾行を看破されるというミスを犯してしまった。それがクラウセヴィッツ氏にとって気にかかる要素なら、それは違うと釘を刺しておきたかった。
 内容によって戸惑いを見せることはあっても、命じたことは必ず遂行する。忠誠心と生真面目さを併せ持ち、"ゼロ"の作業に密接に携わることができるだけの実力を持つ風見のことは重宝している。
 感情が面に出やすく、正義感を隠すことができないようで潜入には向かずとも、裏で動き回ってもらうにはなくてはならない存在だ。
 クラウセヴィッツ氏の目をまっすぐ見つめると、彼は緊張を解くように目を細めた。

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