07

 頼まれた物を作り終え、彼女を促してソファに向かい合って座った。
 彼女は目の前に置かれたグラスを見つめているが、特に深い意味はないのだろう。
 バーボンのボトルを開け、金属製の蓋が音を立てて割れることを確認する。グラスに中身を注ぎながら、口を開いた。

「とりあえず、あなたにお願いしたいことがいくつかあります。まず外では"降谷"と呼ばないでいただきたい。僕は潜入捜査官でもあるので」
「なるほど。ということは偽名が?」

 一口飲んでみると、想像以上に好みの味をしていた。
 ラベルを確認して記憶しつつ、質問に答えた。

「えぇ、"安室透"という探偵をやっている男です」
「なるほど。安室さんとお呼びすればいいですね」
「はい。それと、口調も先ほどのもので結構です。貴方に畏まられるとやりにくい」

 彼女は少し考え、首を傾げた。

「……失礼な?」

 真面目に取り合っているのに何てことを言うんだ、と言いたいのだろうか。

「いえそうではなく。普段は口調を変えているので、妙に畏まられると釣り合わない」

 理解してくれた様子で、彼女はほっと息を吐いた。

「そういうことなら……普段通りに話すけれど。安室さんはどんな風に?」

 問われて、ひとつ息を吐く。
 安室として過ごす時の笑みを浮かべると、彼女はひくりと口の端を引き攣らせた。

「――僕は普段はこんな調子ですよ。あまり堅苦しく接されても不自然でしょう?」
「えぇ……そうね」
「それと、明日の打ち合わせで自宅に伺う際には、恋人のフリをさせてほしいんです。クラウセヴィッツ氏との打ち合わせに、突然外部の人間が同席するのもおかしいでしょう。僕があなたのパートナーとして参加し、お仕事の邪魔をしない程度に側にいますので、それまでの間だけ」
「いいわ。どうせ相手もいないし、お安いご用」

 頬にかかる髪を耳にかけながら返され、張り込み中に交際相手がいる様子が見られなかった理由もわかった。
 マリブミルクに口をつけ頬を緩ませる姿を、何とはなしに眺めた。お気に召したのなら何よりだ。
 安室の演技ももういいだろうと、笑みを形作っていた口元の力を緩める。

「ということで、本職についても口にしないようにお願いします」
「えぇ」
「明日は九時半に伺いますから、盗聴器やカメラの確認をさせてください」
「わかったわ」
「それと、ごまかしている経歴について正直に話してください」
「っ、それは無理ね」

 こちらが勢いに任せて投げた問いに、勢いのまま頷きかけて、それでも彼女は踏み止まった。
 グラスを置いてこちらを見る彼女の目を見つめ返すと、むっと眉根を寄せられる。
 しかし、すぐに小さな溜め息をついて穏やかな笑みを浮かべた。

「探るのならどうぞ好きなだけ。わたしの真実に辿り着けたら、"わたし"に会うこともゆるしてあげる」

 どうも彼女は、経歴については絶対に暴かれないという自信があるようだ。
 不可解な発言に、自分の視線が厳しいものになるのがわかる。
 完全犯罪? まさか。どこかに必ず解決の糸口があるはずだ。
 彼女はテーブルに手を伸ばし、ガトーショコラが載った皿を取った。フォークで一口分を切り分けながら口を開く。

「エドはわたしに優しいわ。"公安が怖い"と言えば、FBIの日本での捜査許可すら取るのに労は惜しまないでしょうね」

 世間話のような軽い調子で発され耳に入った言葉を認識した瞬間、頭に血が上るような感覚がした。
 彼女には、本気で日本の警察の味方をする気がない。親しいクラウセヴィッツ氏に付き纏うトラウトを排除するのに都合が良いから、FBIを国内に入れる手間をかけずに済みそうだから、都合よく警察を利用しようとしているだけだ。自身に探られる謂れがあると理解しているからこそ、取り返しのつかないことになる前に手を引く心積もりもしている。
 だが、これは遠回しな"もう黙れ"という脅迫だ。今のところ、手を引く気はない。彼女は、直前になって怖気づいてもそれを許されるほどの信頼関係をクラウセヴィッツ氏と築いている。本当に追い詰められるようなことがあれば、繋ぎになるだけで逃げることだって可能だろう。だから、今からFBIの協力を得られるように動く必要性はないはずだ。
 挑発に乗るな、あからさまに聞き出そうとしなければいいだけだ。
 ちらつく憎たらしい男の顔を長い時間をかけて吐いた息とともに掻き消し、苛立ちを殺す。

「……元よりあなたのことは置いておく、と言ったのはこちらです。FBIを日本に入れる必要はない」
「そう、話のわかる人で安心したわ」

 切り分けたガトーショコラを口に入れて美味しそうに咀嚼する姿を眺めながら、苦々しい気分をバーボンと一緒に飲み下した。
 ケーキを食べ終えてご満悦の穂純千歳を先に帰し、藤波に連絡を入れて少し置いてから会計を済ませて店の外に出た。
 路上駐車をしているジュークを見つけ、藤波の物であることを確認して後部座席に乗り込む。

「お疲れ様です」
「あぁ……」

 ジャケットを脱いで後部座席に畳んでおいてあったパーカーを羽織り、フードを目深に被る。きっちりと締めていたネクタイを少し緩め、溜め息をついた。
 藤波は俺が顔を隠したことを確認すると、車を走らせ始める。

「どうです?」
「やりにくい。あくまで自分に面倒事が降りかからなければ協力する……という姿勢だ。"自分が日本警察を恐れていると言えば、クラウセヴィッツ氏はFBIを日本に入れるための労を惜しまないだろう"とも言われたよ」
「脅迫されたんですか? 降谷さんが?」
「あぁ。不可解なことも言われたが、まず彼女に経歴を偽って戸籍を作った可能性があることは否定できない」
「管轄かどうかは怪しいですけど、どっかの組織の構成員でしたー、じゃ堪ったもんじゃないですしね。風見さんと一緒に調べます。ヒントになりそうなことがあったら教えてください」
「あぁ」

 笑みは虚勢、もしくは癖。その割に、偽りの情報を基に戸籍を作ったという事実をちらつかせておきながら、絶対に暴かれないという自信も見せている。
 素人であるが故の支離滅裂さなのか、こちらのノウハウを知った上での演技か、――それとも、すべて本当なのか。
 現時点で得ている情報からは、まだ判断できない。
 彼女のことは、トラウトの身柄を確保した後できっちり暴くつもりだ。
 かわした言葉の一つ一つを思い起こしながら、引っかかりを整理した。

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